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気配りの矢印について考えてみたら・・こう思った。

仕事をしていると様々な方向に対する「気配り」が必要になります。今回はその気配りの特に、矢印について書いてみようと思います。

こんにちは、稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。よかったら、スキやフォローをお願いします。@sevenina

気配りの矢印・・・つまり、誰に向いた気配りなのか・・というテーマです。結論からいえば、仕事における全ての気配りは自分に向けたものであると言ってもいいと思っています。


身近でおきたことを例にあげてみます。

ある制作ディレクターがクライアントとのやりとりにおいて、デザイナーが持つデザイン意図を口頭では伝えていたものの、クライアントの内部でそれが丁寧に展開されておらず、意図しない(すこしお門違いな)指摘が発生してしまった。

という事例がありました。この事象における原因は僕の中ではただひとつです。それは、


デザイン意図を資料化していなかった


です。デザイン意図を口頭で担当者に伝えていたのは問題ないのですが、その担当者がその意図をきちんと・・もっといえば、限りなく同じ熱量で伝えてくれたか・・・というとそれには疑問符がでます。

相手が、しっかりメモを取りながら、こちらの話を聞いてくれていて、そのメモをみながら話を展開しているのならば、まだいいかもしれません。



しかし、概ね、そんなことはありません。


そして、言葉や絵柄は一人歩きをします。そう、一人歩きをしてもちゃんとその意図が伝わるように用意をしておけば、とりあえずはちゃんと伝わっていたでしょう

一見、これは「相手がきちんと伝えられるような気配り」のように見えますが、よくよく考えてみれば、これは「自分の仕事がスムーズに回るための手法」であることがわかります。


これは例えば・・・の例でしたが、こんな感じであたかも相手のためにやっているように見える「気配り」は自分のためにあるということが見えてきます。



普段の仕事において、

伝えるために丁寧なものを作る時間がもったいない

と思っているシチュエーションがあるならば、少し考えてみてください。
相手に向けて丁寧に作ることで、
実は自分の仕事がスムーズになっていくということは想定できませんか?

良好なコミュニケーションは、相手のために産んでいくのではなく自分のために自分で産んでいくものなのです。

気配りの矢印は、実は自分に向いているということです。



もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!