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【ショートストーリー】32 樟と桜と春と

瓦版に人が群がっていた。

桜の品評会で齢八つの左衛門太郎の倅が推した十月桜が喝采をあびたそうだ。その息子が言うには「木と話せる」と言い張っては、社の軒先に植えた幼木を愛でているとのこと。
「はぁ、不思議なこともあるもんだいなぁ」
「うんだなぁ、でも目利きは確かだろうさ。ちいせえのに希なことよな」人々は口々に噂をした。


心地よい3月の風がビルを縫うように吹く。

千秋は、桜の蕾を眺めて、空の青さと重ねてみた。するとなんだか、地球の素肌に触れているような感覚におそわれた。

自然な本来のラインの上にのっかる人工的なアスファルト、車の排気ガス、音響信号。

人が100年生きるとしたら、一年間365日×100+25日だから、36525日。そう考えたら人間の一生なんて地球にとっては、瞬きみたいなもんだろう。

「案外少ないな」
千秋は呟いた。

「えっ?千秋、何か言った?」
普段の口数の少ない千秋が急に何かを言ったので、波瑠は驚いて尋ねた。

高校受験に無事合格し、御礼参りに訪れた。波瑠とは幼稚園以来の付き合いで、波瑠の母さんが、車で送ってくれたのだ。

「いや、何でもないよ、何か中学校生活も早かったなってね」

「私と違って、千秋は多忙だったよね、生徒会やら、部活やら、合唱コンクールは余計だった?」

「おれは乗り気じゃなかったけど、原がな」
原というのは音楽科の教師だ。

千秋は高校合格という目標を達成したというのにすっきりしない心地があった。そのせいか急に日常が味気なく、自分の存在もなんだかちっぽけなものに思えてしかたなかった。

「何でもできていいですね。また、後輩の子に告られてたでしょ?このSNS全盛時代にね、言ってみれば公開告白じゃん」

「ん~、まぁそんなこともあったかな」

本殿の裏手を覗けば、樹齢400年をこえた御神木が目に入ってきた。

「千秋この木すごいね」

「太い幹‥‥」

「ふたりでさぁ、木のまわり手を回せるかやってみようよ」

「いやぁ‥‥」

波瑠は準備万端だ、すでに両手を広げ千秋を待ち構えている。

「早く~、御神木だよ」

(いやいや、逆に御神木だから変なノリはまずいんじゃね)

千秋は躊躇した。が、桜の季節の前で人は辺りに誰もいなかったので仕方なく波瑠に近づいた。

「分かったよ。ほれ」

千秋の左手と、波瑠の右手が繋がれたがもう一方は無理そうだった。

「千秋、もうちょい、いけるかも」
波瑠は諦める様子は全くない。あまりの本気度に千秋も、できる限りの腕と手首の可動域を広げる。

「さすがに‥‥波瑠、無理だろ」

「千秋、諦めないの」

「これは、物理的な‥‥問題がある‥‥だろ」

二人とも頬を木の肌に擦り付けるくらいになった時、小さな手が握られたのに気がついた。

「え?」
「え?」

一瞬だったが、確かにその手の感触が二人には残っていた。

すぐに手を離し、千秋は波瑠と顔を合わせる。

「座敷わらし的な?」
千秋は笑った。

「そこ、笑うとこか?」

千秋も不思議と笑いがこみ上げてくる。
「案外、いるかもな」

大木の上の木々が、一瞬風もないのにざわめいた。
千秋は何か世界が変わったような気がした。



おしまい


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