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ぼくがユニクロの服を買わなくなった理由――「替えがきく」ことのデメリット

最近、ワードローブを厳選して、すっきりさせたいと考えている。服を消耗品として使い捨てるのではなく、本当にお気に入りのもの、質のいいもの、よく着るものだけを揃えて大切に着るようにしたい。ここ一年ほど、ずっとそんなマインドで服を買ったり手放したりしている。

大きな変化として、プライベートではいわゆるファストファッションの服をほとんど買わなくなった。それこそ、以前はユニクロの服をよく買っていた。たとえばアウターやトップスにちょっといいものを着ていても、ボトムスは汚れやすいからとユニクロのスキニーデニムを穿いていたり、ニットは自宅の洗濯機で洗えるほうがお手軽だからとユニクロのラムウールニットを着たりしていた。

その結果、どうなったのかというと、ぼくはすっかり服を大切にしなくなっていた。「3,000円で買ったものだから、ダメになったらまた買い替えればいいや」「クリーニングに出すほうがお金がかかるから、捨てて新しいのを買おう」と、服を消耗品としてどんどん使い捨てる人間になっていた。

ミニマリストの方々がよく言っていることに、「身のまわりのものは、いつでも替えがきくもので揃えるべきだ」というのがある。高価な一点物ではなく、いつ、どこにいても買い替えることができるお手軽なものを使うべきだという考え方だ。実際、多くのミニマリストたちが無印良品のブロードシャツやリュックサック、ヘインズのビーフィーTシャツ、ユニクロのスキニーデニム、コンバースのオールスターなど、安価で、いつでも容易に買い替えがきくものを愛用している。

ぼくは別に、この考え方を否定はしない。だが、かつてのぼくのように、モノを単なる消耗品として使い捨てるようになってしまう可能性を孕んでいるのが、この「いつでも替えがきく」ことのデメリットだと思う。安価ですぐに買い替えられるあまり、ひとつひとつのものを大切にしない、お手入れも、クリーニングにも出さない――そんな消耗品でしかないものに、はたして愛着など湧くだろうか?

また、以前のnoteにも書いたことだが、世界では年間10億枚もの新品の服が、誰にも着られることなく廃棄されている。地球の限りある資源や労働力を使って作られたものなのに、「売れなかったから」という理由だけで、それだけ大量の服が捨てられている。しかも、世界のどこかには「今日、着る服がない」と嘆いている人たちがたくさんいるにも関わらず、だ。

このように考えだすと、ぼくは何でもかんでも身のまわりのものを、いつでも替えがきくもので揃えていくことに、強い違和感を覚えて仕方がなかった。また、そもそもの話だが、ぼくは今まで着まわしていたユニクロの服を、心の底から気に入って買ったわけではなかったことに気づいた。値段を度外視すれば、本当はもっと欲しかったパンツがあった。もっとときめくニットがあった。でも、「高いから」という理由で、ユニクロの服に妥協していた。であるならば、ユニクロの安い服を10着買うお金を使って、本当に欲しい、心がときめく、しっかりお手入れやクリーニングをしてでも長く使っていきたいと思えるモノを1着買うほうが、環境的にもQOL的にも断然優れていると感じた。

誤解しないでほしいが、ユニクロの服がダメだというわけではない。でも、ファッションとは本来もっと楽しくて、素敵なもので、いろんなブランドに目を向けた時、もっと欲しいと思える、心がときめくアイテムがきっとたくさんあるはずなのだ。それらに出合うことなく、知ることもなく、「いつでも替えがきくから」という理由でファストファッションばかりを着るのは、とてももったいないと思う。

モノにこだわるミニマリストだからこそ、たとえ高価であっても本当に欲しくて、良質で、それを着た自分を鏡で見た時にドキドキしてしまうような服だけでワードローブを揃えるべきだとぼくは考える。

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