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SNSは、ぼくたちに「ありのままでいてはダメだ」という洗脳をしてくる

もし、ぼくが断捨離してよかったものランキングを作るとしたら、ぶっちぎりでSNSがナンバーワンに挙がるだろう。ツイッターにしても、インスタグラムにしても、フェイスブックにしても、中毒のようにしょっちゅうアプリを開いている人はたくさんいる。だが、そういったSNSが知らず識らずのうちにぼくたちを不幸にしているとしたら、あなたはどう思うだろうか。

SNSは、ぼくたちに「ありのままでいてはダメだ」という洗脳をしてくる。インスタグラムを例に挙げると、全身をハイブランドで装い、高級車を乗りまわし、高級レストランでシャンパンを空ける、整った顔立ちのインフルエンサーたちが、華やかな生活を毎日これでもかと投稿し、ぼくたちの劣等感を刺激してくる。そうして、いまよりもっといい暮らしがしたい、もっと高いものが欲しい、もっと幸せになりたい――と、さも現在のままではダメであるかのように思わせてくる。

もちろん、向上心があるのは素晴らしいことだ。現状に満足せず、よりよい人生をめざして努力するのは、人間の本来あるべき生き方だ。しかし、はたしてインフルエンサーのようにラグジュアリーできらびやかな生活を送るということが、よりよい人生であるといえるだろうか?

別に、慎ましくたっていいじゃないか。ささやかだっていいじゃないか。大切な家族がいて、仕事があって、食べるものがあって、着る服があって、寝るところがあって。叶えたい夢があって、そのために努力をして、時には思い切った挑戦をして。小さな悩みこそあれ、生命が脅かされることもなく、健康で文化的な最低限度の生活を営むことができる――それがまず、なによりなのではないだろうか。ぼくたちは、そんな暮らしができる現状のありがたさに気づくべきではないだろうか。

容姿に関しても同様だ。SNSのせいで、ぼくたちは過剰に綺麗なものばかりを目にしすぎている。大きな二重まぶたやホクロひとつない肌、綺麗な歯並びの人たちを見ては、自らのそれと比較し、劣等感を抱いている。小顔で脚の長い、スタイル抜群の人たちを見ては、両親のDNAを恨み、「親ガチャに失敗した」などといって嘆いている。美しくなりたいと願うのは人間の本能だとは思うが、どうも昨今ではその欲求が著しく行き過ぎているような気がしてならない。

だって、たとえ一重まぶただからって、大きなホクロがあったって、歯並びが悪くたって、あなたはあなただ。小顔じゃなくたって、足が短くたって、世界にたったひとりのあなただ。ただそこにいるだけで、あなたがあなたであるだけで、救われる人がいる。あなたのことを心から大切に思ってくれる人がいる。他の何者も代替不可能な、唯一無二の存在があなたなのだ。

いま、あるものに気づくべきだ。ぼくたちはもう、必要なものを全部持っている。誰になにを言われようと、そのままで、ありのままでいていい。幸せとは、なるものではなくて、気づくものなのだから。

ここまで、インスタグラムを例に挙げて説明したが、ツイッターやフェイスブックも同じようなもので、結局のところSNSというのは、ぼくたちの人生観や価値観を大きく歪めてしまう危険性を孕んでいる。できることなら一刻も早く距離を置くべきだし、それが無理なら、せめて適度な付き合い方を考えるべきだ。

断言するが、SNSがぼくたちを幸せにしてくれることはない。むしろ余計な負の感情を抱かせ、本当に大切なことから目をそらさせるだけの、害悪以外の何物でもないのだ。

ぼくも過去にnote以外のSNSからの卒業を決意してからは、ツイッターを更新の告知ツールとして使っているだけで、ほかのSNSはまったく見なくなった。おかげで心身ともに健やかに、ずっとやりたかったことや本当に大切なことのために時間を使うことができている。

ぼくたちの人生をコントロールするのは、SNSではなく、ぼくたち自身なのだということを忘れてはならない。


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