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「一生モノなんて嘘」、なんて嘘!――トレンドに流されず、本当にお気に入りの服を長く着よう

とあるファッショニスタの方が、ご自身のYouTubeやブログで【アパレルの闇】と題して、「一生モノという言葉はだいたい嘘である」という旨の発信をされている。詳しく拝見すると、耐久性という面では一生着られる服は存在するけれども、ファッション業界にはトレンドの変遷があるので、3年も経てば今持っている服をカッコよく感じられなくなり、飽きがきてしまう……ということだった。

ファッション業界の第一線に身を置かれる方のご意見なので、お立場を考えると「なるほど」と思うところはあれども、それがすべての人に当てはまるかというと、また疑問だった。実際、ぼくのクローゼットのなかには、今年で2年目、3年目に差し掛かる服なんていくつもある。そして、これらの服をあと1~2年で捨ててしまうかというと、その可能性はほぼゼロに近い。なぜなら、ぼくのクローゼットにある服は、だいたいが一時のトレンドや世間的な見栄を意識して購入したものではなく、その都度自分自身が本当にときめき、欲しいと感じたものばかりだからだ。

もちろん、過去には手放してしまった服もたくさんある。せっかく買ったのに、あまり着なかったり、着ていてときめかなかったりしてお別れした服たち――思い返してみると、往々にしてそれらは、まさにトレンドや見栄を意識して買ったものばかりだったように思う。

これらの経験から感じるのは、結局、(自分自身にとっての)正解というのは、外(世間)にではなく、内(自分のなか)にあるものだった、ということだ。自分が本当にグッときて買った服は、いまなおスタメンで現役で、いま着ても惚れ惚れするし、カッコいいと感じる。一方で、世間や他人にカッコいいと思われたくて買った服は、世のなかのトレンドが移り変わっていくにしたがって、次第に時代遅れのような気持ちになり、飽きて着なくなったり、手放してしまいたくなったりする。

そういった買い物の失敗や断捨離を経て、ぼくは「服をトレンドで買わない・着ないようにしよう」と決めた。それは、時代に左右されることなく本当にお気に入りのものを長く大切に使っていきたいという思いでもあるし、年間10億枚もの新品の服が廃棄されている大量生産・大量消費社会へのアンチテーゼでもある。なので、耐久性という面で寿命を迎えてしまった場合には例外だが、基本的にはいま自分のクローゼットにある服のほとんどとは、大袈裟ではなく一生を添い遂げる覚悟でいる。

ぼくは、服も人も同じだと考えている。たとえば、あなたは長年連れ添った家族や仲のいい友人から「なんか飽きたから」という理由だけでサヨナラされたらどう思うだろうか? おそらく「理不尽すぎる!」と相手を非難するだろう。当たり前のことだが、人が別れるのには別れるだけの理由がある。であるならば、服を手放すのにも、手放すだけの理由がある場合に限ったほうが健全だと思うのだ。

人の誰しもに積み重ねてきた過去や歴史があるように、服にもそれをデザインした人がいて、製造した人がいて、販売した人がいて……というバックグラウンドがある。知れば知るほど、その服が自分の手元にくるまでに、果てしない数の人が関わってくれていることがわかる。ぼくにとってそれらは、もはやトレンドや飽きを理由に一蹴してしまえるような軽いものではなくなってしまった。

だからこそ、ぼくはこれからも、自分にとって「一生モノ」と思える服を揃え、大切にしていきたい。そして、現実的にぼくの人生が終わるまで一生着られることはなくても、せめて、その服が寿命を全うするまでという意味で、「一生」着続けていきたいと思っている。

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