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必見!マティス展 いかにマティスができたのか

展示というのは、いつも「勉強になった~!」と感じるものですが、今回は特別でした。
東京都美術館で開催中の「20年ぶり 待望の大回顧展 マティス展」。そこには、巨匠の挑戦と表現のヒントが満ち溢れていました!

毎度おなじみ?美術館ではおしゃべりを我慢する反動で、素人アートファンが、いらんことまで語りまくるシリーズです!
自分でもちょこっと描くけど専門教育は受けたことがない、恐れを知らぬどシロートの適当なつぶやきを、お暇でしたら、お聞きいただければ幸いです。

さてさて。マティスって、実は正直、ワタクシにとっては「守備範囲外」でした。
なんといっても、こちとら「わかりやすくキレイ」な絵が好きなどシロート。フォービズム以降の作家様は、「すごいなあ」と思えども、イマイチとっつきにくいイメージがございます。ええ、浅薄な美術ファンで恐縮でございますよ。
マティスといえば、例のダンスが思い浮かぶ、くらいなもんですよ。それで語ろうっていうんだから、恐れ多い話です。

◆きちんと描けるからこそ崩しても美しいのね


しかし今回の展示では、ワタクシのような素人にも「マティスはどうやってできたのか」がとてもわかりやすく構成されていました
そして、マティスが常に「自分ならではの表現」を追い求め、壊しては戻り、また壊し……を繰り返してきたことも。

マティスのダンスが心に残るのは、線と、色彩と、画面構成が、卓越して優れているからなんだなあ。
今回の展示にダンスはなかったものの、よくわかりました。

もちろん、最初はアカデミックな画法で描かれています。これがうまいんだわ(巨匠に向かって今さら何を……汗)
けれど、この時代の作家様は、画家として大成しようとすると「うまい」だけでは、たぶんスタートラインにも立てないんですね。ここから「絵画であることの意義」とか「自分にしかできない表現」とかを探していかなきゃいけないのでしょう。厳しい時代です。
そこで、マティスも点描とかいろいろ試します。

豪奢、静寂、逸楽 マティス 1904年(マティス展チラシより)

こちらはチラシから拝借ですが(折り目が入っちゃってスミマセン)、点描でも、手前の人物の稜線とか、基本的なルールは抑えたうえで、崩しているなあと思いました。
でも、色の選び方は、こんなこというのも恐れ多いことですが、どこかで見たかも~的な気も? 空の色とか……ほら(ご、ご、ごめんなさいっ)

◆脱・アカデミックな描き方! の奮闘


そして、形のラインにこだわって崩していった様子がみえます。
あえて平面的に、形のラインだけを置くことで画面を構成しようとした奮闘を感じました。
西洋絵画のアカデミックな描き方では「モノに輪郭というものはない」ので、その世界で生きてきた人にとっては相当なチャレンジだろうと思いました。
(逆に、日本画でも漫画でも輪郭があるのが当たり前の世界で育ってきたワタクシのような純日本人が「輪郭はないんだよ~」という絵を描こうとすると、最初は大変です……)
あ、でもクロッキーは線画か……

豪奢Ⅰ マティス 1907年(マティス展チラシより)

今回、完成品と並べて習作を展示してくださっていて、なんとなく、絵の中でどの要素が大切だったのかがわかるような気がしたのもありがたかったです。
この絵「豪奢1」は、右向きか左向きか迷ったようですが、個人的にナルホドと思ったのは、雲が重要な要素だったことです。
大きな形で画面を分割する中で、背景の雲も大切な役割を果たしていたんですね。勉強になります。

◆画面分割に徹底的にこだわる


それから、画面分割や極端な省略をいろいろ試したようです。
とくに、このころ縦の線で画面を分割するのが好きなんだったんだな~と思いました。これはチラシにも掲載されていたので、絵葉書から拝借してもいいかなと思いましたが、このへんとかです。

コリウールのフランス窓 マティス 1914年(マティス展ポストカードより)

ほぼ長方形しか書かれていないのに、右側の淡いグリーンとグレー、左側のくすんだブルーがめちゃくちゃおしゃれな色で、見ていて飽きません。さりげなく質感の違いも書き込んであって、う~むかっこいい。
かっこいいと同時に、不穏な雰囲気です。主に黒の面積が大きいためだと思われます。戦争を暗喩した絵でもあるそうです。どこまで描くべきか悩んだ結果、ここで止めたのかもしれませんね。黒い部分に塗りこめた思いがあるように感じました。
ただ、ワタクシとしては、ここで止めてくれてよかったなと……見る側としては、この形が一番かっこいいんじゃないかなと……(さりげなくエラソーになりました。ごめんなさい)

金魚鉢のある室内 マティス 1914年(マティス展ポストカードより)

この青い部屋は、今回の展示で好きな作品トップ3に入ります。また絵葉書から拝借です(これもチラシに載っていたので^^;)
縦のラインの分割が気持ちいいし、真ん中の机とか構図の決まり方がすごく好き。
あえて透視法は無視しているのに、手前と奥で机や水の描写を変えていることや、一番奥の外の風景が一番明るいのに奥行きがちゃんと感じられる描写とか、左奥の壁の面積が広いのにもたつかない塗り方とか、金魚鉢だけにほどこされた映り込みなど写実的な描写とか、もう勉強になることのカタマリです。
なんといってもワタクシの大好きな系統のブルーがたくさん使われていますし、全体的にとてもきれいだなと感じる点が、キレイ系好きのワタクシには最も重要です。画面全体に、透明な寂しさのような感覚が漂っているのも好きです。部屋は暗いのに外が明るいのも何かを表しているのかも。
絵葉書をスマホで撮った写真では、どれだけ美しい色かぜんぜん再現できませんでした。ぜひ会場で、原画をナマで堪能していただきたいです!

同じ部屋にあった「グレタ・プロゾールの肖像」も、うなりました(絵葉書から画像を載せたかったのですが、マティスはまだ著作権が切れていないと思われ……どうなんだろう、買ったポストカードを接写して掲載するのは大丈夫なのだろうかと迷った挙句、今回は見送ります…涙)
光を表す彩度低めの黄色(ローシェンナっぽい)と影色(暖かいグレー)をほぼ半々に配分して、画面構成を大きく作っています。黒い輪郭で椅子に座る女性が描かれており、その線がとても張りと緊張感を感じてかっこいいです。女性の青いドレスは彩度高めで、背景色との組み合わせが最高に美しいし、黒い帽子と椅子の陰に配置した黒が画面全体を引き締めています。もう全部好き。
「金魚鉢のある室内」と合わせて、この2枚は、模写したら勉強になりそう! と思いました。

これまたチラシになかったので画像は割愛ですみませんが、「白とバラ色の頭部」という女性像も、超かっこいいです。
白とピンクと青と黒で、直線的に構成されたバストアップの女性像なのですが、縦の太いラインの配置が、すごく気持ちいい。平面的な構成なのに光の方向が意識されてて立体的に見えます。
解説を読むと、この絵が完成するまでにはかなり試行錯誤があり、様々な描き方を試しては塗りつぶして修正した跡があるそうです。新しい描き方に挑戦するのは、大変なことですね。
……でも、これは娘の肖像だそうですが、父親に「これ、お前の肖像だから」って描かれたら、ま、軽くショックかな、とは思います……泣くかも。

◆なぜ彫刻もたくさん作ったのか?


マティスは彫刻もたくさん作っています。なんとなく、ちょっとだけわかるような気がしました。
平面の絵画で、いろいろな崩し方を試す中で、もしかすると「この崩し方はモチーフとして成立するだろうか?」と気になることがあったんじゃないかな。裏側まできっちり「見て」、自分がその崩した形をきちんと把握できているか、モチーフを理解できているか確かめたくて、立体の像を作ったのかな~などと思いました。
あ、シロートの単なる感想ですからね。簡単に信じないようにね(って、オイ)

パイプをくわえた自画像 マティス 1919年(マティス展会場で撮影)
イケメンに描いてますね!

今回の展示は、ワンフロアまるごと撮影可のコーナーがありました! ありがたやありがたや。おかげさまでこうしてブログを書けます……
習作や線画をたくさん展示していただいているおかげで、マティスの線がとても美しいことがわかります。この線があったからこそ、後年の描写につながっていくんだな、と、実感しました。

赤いキュロットのオダリスク マティス 1921年(マティス展会場で撮影)

そして、このころはどうやら写実に戻っていますが、これもなんとなくわかるような気が……
いろいろな崩し方を試す中で、なんか、わけがわからなくなるというか「いいのか、これで? この先進んだらどうなる?」と、迷う瞬間があったんじゃないかな、と。
それで、自分の立ち位置をしっかりつかんで、「大丈夫、オレは描ける」と体勢を立て直すために、写実的な表現に戻ったりしたんじゃないかな~と。
あ、これもシロートの感想ですからね。ホントかどうか知りませんよ(って無責任な)

緑色の食器戸棚と静物 マティス 1928年(マティス展会場で撮影)

セザンヌの描き方など、いいね! と思った手法は、かなりキャリアを積んでからも貪欲に取り入れて試していたんですね。
このグリーンとブルーも好きです。

こちらの「夢」では、輪郭線が細くなって、絵の具の塗り方も変わっています。このあたりからしばらく「薄塗り」や「塗り残し」を試したんじゃないかな、と思う作品が続いた印象がありました。
「夢」も習作が展示してあります。顔は違うのですが、なんとなく、今回マティスが重視したのは、左腕と左手だったのかしら、と思いました。
こういう想像ができるのも楽しいですね。

立っているヌード マティス 1947年(マティス展会場で撮影)

そして、「顔はいらねーな」と思うようになったみたいです。この絵では、いったん描いた後に顔を消した形跡が残っています。
顔がなくなってからが、晩年のマティスらしさが出てくる気がします。

黄色と青の室内 マティス 1946年(マティス展会場で撮影)

こちら、今回の展示で個人的に一番好きだった絵です。「黄色と青の室内」
マティスと言えば赤だそうですが、これは赤はありません。でも、画面の分割の仕方といい、彩度を落とした黄色といい、青のくすんだ色合いといい、もう大好き。
強いグリーンが、画面全体の視線誘導でとても大切な役割を果たしているように感じました(こういうビリジアンっぽい緑は、扱いが難しくて、私の水彩パレットでは全然減らない色の一つです……)
さりげなく主役の壺とフルーツは黄色の中でもトーンを変えて目を引くようにしてあるところとか、きっぱり省略された線はマティスの線の美しさがあってこそできたんだよな~と感じるところとか、好き。
この絵は「描くの楽し~! 描きたい!」という気持ちを感じました。本当かどうかはわかりませんが……

マグノリアのある静物 マティス 1941年(マティス展会場で撮影)

これは、5人組アイドルグループみたいだなあと^^; センターの子だけ描写を細かくして、立体的に見せているところがしびれます。
強烈な赤にいろいろな色を置いているのに、全体の統一感があって、うるさくないのが、すごく不思議です。
個性的なメンバーがそろって、相乗効果でグループとしての魅力が高まる感じですかね……(ほんとか?)

◆表現者として「解脱」


十二指腸癌の闘病を経て、晩年に切り絵が出てきます。TV東京の「美の巨人たち」によると、病で体力が衰えて絵筆を持てなくなったので切り絵を手掛けるようになったとのことですね。
でも、なんとなく、展示を見ている中では「マティスらしさを突き詰めると、ここに達するわけね……」と、すごく納得感がありました。
線の美しさ、画面構成の巧みさ、色の取り合わせのセンスのよさ……これ全部、余分なものをそぎ落としてつきつめると、切り絵でいいじゃん! ってなるような気がしたのです。
顔すらなくした人間、デザイン的な鳥と植物。切り絵になってからの作品には、むしろ対象への信仰のような尊さが感じられました。

それで、礼拝堂につながるわけですね。
線、画面構成、色。デザインにまでそぎ落とされた描写。これらの表現があったからこそ、あの礼拝堂はできたんだな~と。
この表現でこそ伝わる信仰があったから、礼拝堂が「かわいい」だけでなく「聖なる空間」になったんだな~と。

マティス展チラシより

表現者として、最後にマティスは「解脱」したんだな、と、つい仏教用語が頭に浮かびました。

あ~面白かったです。ええもん見せてもらいましたわ……

なお、画家によって、印刷でも全然オッケーな人と、原画を見てナンボですよという人がいると思っていますが、マティスはやっぱり原画を見てほしいです!
デザインとして優れていますが、やはり原画を見てこそ伝わる筆遣いのパワーというか息遣いというか……そういうのがあります。
8月までやっていますので、ぜひ東京都美術館へGO!

長々と大変失礼いたしました。最後までお読みいただいた方、誠にありがとうございます!



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