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戦友との再会

2005年一緒に働いている時はふたりとも若くて尖っていた。彼はシェフとして、自分はソムリエ兼マネージャーとして初めて店を任された。何もかもが初めての事ばかりだった。それまで一緒に働くこともなければほぼ初対面の二人の関係は手探りだった。挨拶すら「あっ、どうも。よろしく。」みたいな記憶しかない。自分が「料理以外の事はすべて自分がやるから料理に集中してくれて良い。」と偉そうなことを言ったのは覚えている。

10月22日に兵庫県立芸術文化センターというコンサートホールがオープンし怒涛の日々が始まった。毎日こけら落とし公演が続き、3200名収容の施設にわずか72席のレストラン一軒のみ。

最初の衝突は料理のスピードだった。公演の始まる前後にお客様は押し寄せてくる。特に公演前のお客様の料理が出ないことで何度となく土下座をさせられ、謝罪をする日々。まともにソムリエなんてほぼできない状況。とにかく回すそんな日々だった。

2歳下のストイックに料理に取り組む彼の姿勢を見ていてもさすがにこっちも精神的にかなり参っていた。厨房に何度も足を運び「アンヴォワイエ」(料理を出せ!)と叫んでも「待てないなら帰ってもらって、マックじゃないんだから」と周りもお客様も見ずにひたすらクオリティを落とすことなく黙々と自分の皿を仕上げていく。

半年ほど互いに帰宅すらままならないほど必死に走った。まさに戦争だった。ゆっくり話すこともなく、互いの想いもぶつけることなく、やがて自分は統括職となり現場を離れがちになり、話す機会も少なくなった。再び彼と交わったのは5年後コンサルティングでリニューアルオープンに携わった富山のリバーリトリート雅楽倶だ。

もともとフランス料理などないホテルでギャルソンと呼べるスタッフは皆無の状況で座学から伝える毎日。自分は伝えているつもりでもお客様の前に出るとカトラリーのセットを忘れて料理を出してしまうスタッフに苛立ちを覚える。彼はストイックで独創的な料理を生み出すために徹夜で仕込みを続ける姿は変わらない。また彼も自分の考えていることについてこれないスタッフに苛立ちを感じていた。それでも互いに役割分担をしながら動いた。そして課題は多くあったものの無事にリニューアルオープンした。

その後、彼は独立しミシュランやゴー・ミヨなどで富山を代表するシェフとして数々のメディアに登場する。いつも気になっていたが、彼はストイックに料理以外のことはそぎ落とし純粋に打ち込んでいた。僕とはステージが違うと言い聞かせていた自分がいた。回すこと、謝罪すること、運営すること、そんなことをすることが多くソムリエとしての情熱は少し衰えていたのも事実だし彼と差がつくことも当然だ。彼の中にもう僕などいないだろうし、気にもしていないだろうと思っていた。

そんな彼が知り合ってから16年、突然僕の店に来てくれた。なんだかお互いこっぱずかしい感じでなかなか会話は弾まなかった。突然「あの時は料理のことしか考えていなかった。お客様もスタッフもワインもどうでも良かった。今考えると本当に悪かったと思う。」と彼が言った。きっと今の彼のオーベルジュは素晴らしいことになっているんだろうな。いつか行きたいな。素直にそう思ったし、またステージが違えど僕は僕で胸を張って頑張ろうと思えた。

https://levo.toyama.jp/

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