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今だから「映画タイタニック」

コロナ禍の営業時間短縮で早々の帰宅就寝。朝はやはり早く目覚める。やる事がないので映画など手当たり次第に録画をしている。なぜかこのタイミングで「映画タイタニック」しかも後半を観た。

言わずと知れたイギリスからアメリカに航行中の当時世界最大級の客船タイタニック号が氷山に衝突し、乗客約2300人中で生還したのはたった710人と言う当時史上最悪の海難事故の物語である。

もちろん映画はキャメロン・ディアス監督の主演はレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの1997年に公開されたものだ。基本的に主人公2人のラブストーリーとして語られている。

しかしハッとした。映画後半は、見方のよってはその氷山に衝突してから沈没する人間の生死を彷徨う狂気の軌跡を描いており、何かもやもやと重なった。

船長の側近の進言で救命ボートに乗せて脱出する人の優先順位を決めた船長。パニックを避けるためのに人々の生存欲を聞きながらも命令事項を忠実に行おうとする船員・警備員たち。金に物を言わせて助かろうとする富裕層。それとは逆に自分の誇りを持って正装で海に沈む覚悟決めブランデーを所望するイギリス老紳士。船長は下船することなく操舵室で最期を迎え海に沈む。

船上では命のトリアージが行われている中でも人は与えられた役割を果たす。恐怖の中でも説法を解き心を安らかに導く牧師。人々の心の安寧を祈って演奏し続ける楽団員。動けない老夫婦はベットで寄り添い、子供に物語を聞かせ不安を取り除く母親。それぞれが抗うことなく出来ることを必死にやる。

その中で本来の目的である生き残ることを忘れ、人間の欲望は蠢き争うものもいる。目的を失うと人は人でなくなるのだ。やがて警備員も職務遂行の責任感からその争う乗客を殺めた絶望に打ちひしがれ、銃で自害する。

優先順位を「女」「子供」と決めたのは、想像するに「男は、女、子供を守るもの。」と言う西洋人の紳士道に基づくものだろう。この船には進言する側近がいたからこそ判断できたことだ。そもそも、子を残すことで、子を成す女性を残すことで少しの男性が残れば種の保存を託すことが出来るという動物本来の潜在意識なのかもしれない。

日本では古来からの「優老思想」や江戸時代には儒教の「敬老思想」という考えが取り入れられてきた。「翁」「仙人」「年寄」「老中」「大老」「老女」「長老」などと称される経験豊かなものの知恵を借りる事がある事から崇敬の対象とされてきた。この考えは決して老人を敬えと言うことだけではなく、「老いるほど人間として成長し、心が豊かになる」と言うことだ。

映画の登場人物や事象をどのように置き換えるかは読み手の自由だ。

いまだ高齢者に残る男尊女卑の武士道の日本。誤った敬老思想。そしてこのコロナ禍の日本丸はどこへ向かうのか。

僕ら飲食人は、いささか食を通じて人々の心の安定を提供し続け、楽団員の様に沈んでゆくしかないのだろうか。もしこの時代を生き抜くことが出来たなら、「老」と呼ばれる歳までもし生き残れたのなら、「女、子供を優先的に救命ボートに乗せろ」と声を大にして言いたいと思う。


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