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一対一の関係の価値が見えるとき

床屋で順番待ちをしていると、前のお客さんの会話が聞こえてきた。どうやら、夫婦同士で付き合いのある友達夫婦とバーベキューに行く予定だったんだけど、今回は相手の都合が合わなくて、夫婦だけになったらしい。そして、そのお客さんは、夫婦二人になってよかったと、安堵しているらしい。

会話が続いて、その理由の話になった。お客さんの言葉をそのまま受け取ると、こんな経緯だ。

・友達夫婦といるときの妻は普段の妻よりも気持ちに余裕がない
・友達夫婦の前でいい人になろうとしすぎて、気疲れした分、自分への素っ気なさや苛立ちに転嫁されているように感じる
・みんなでバーベキューや旅行をすると、スムーズに事が進むべきであるような雰囲気になる(その人の妻は気配り上手だけれど、一生懸命やりすぎて疲れてしまうとのこと)

この話を聞いて、「うーん、よくわかる…」と私も心の中で笑っていた。これまでも記事に書いてきた通り、私も、妻とは仲良しを自覚しているけれど、妻と共通の友人に、夫婦単位で深く関わるのが苦手なタイプだからである。

妻は田舎暮らしや所属していたコミュニティの影響で、どうしても人に過剰に気を遣う。本人も、この振る舞いによって相手に軽くみられることがあるけれど、つい下手に出てしまうと自分で言うほどだから、おそらく、普通の人よりも気疲れさんなのだろう。そしてそれは決して短所ではなく、どんな人とでも支障なく親しくなれるという絶対的な人当たりの良さに他ならない。

裏目に出ることだけがネックなのだ。たとえば、お店一つ決めるにも、サクサクとスムーズに決まったり、順調に予約が取れたりしないと、ソワソワしだす。旅行が行程表通りに進むかどうか気にするようなものだ。「よそ者」がいる場面では、その「よそ者」に良い顔をしなければならないという心理が働くのか、時間・場所・プラン・希望すべてを相手に合わせようとするイメージだ。

そして私は誰と関わるときもマイペースなので、妻のこうした真面目な振る舞いを邪魔する存在でしかなく、余計に妻の苛立ちを買う。ダラダラと用もないところに寄り道したり、店が決まらないなどといった「失敗」も、たとえ「よそ者」がいたとしても楽しみたいのが残念ながら私の性分であり、だから私は、コミュニティの輪を乱す存在になってしまう。きちんとやれと言われると、窮屈に感じてしまうのだ。

私はすべてにおいて、この「きちんとやる」ことができない。上手くいかなかったら、それは「失敗」なんだから仕方ない。失敗することも楽しめばいい、と思う人間なので、たとえば、イベントや行事を絶対に成功させるぞという使命感を持った人とは、分かり合えないのである。

よそ者との関わり方の違いは人によって異なる。それは同じにすることも歩み寄ることも絶対にできない。唯一できるのは、相手の合わない部分が露呈する場面に、自分が居合わせないことなのだろう。

第三者とのかかわり方は、夫婦関係だけでなく、一対一の友人関係にも影響する。結局、第三者とのかかわり方は、その人の優先順位のつけ方そのものなのだ。嫁姑問題っていうよく言われるものも、結局、夫が妻か母のどっちを優先するのかが問題の根本になることが多いと思う。それと同じだ。

友人関係もそうで、高校の友人と同じ大学に進学することになって、一緒にサークルの見学に行くとする。これまで通り自然体で友達を続けたいAさんに対し、サークル内の人たちに上手く受け入れられたいBさんがいたとする。二人の友達関係はおそらくここで終わるだろうというのが私の感覚だ。Bさんは今持っていないものから承認されたいがために、新しい世界に良い顔をしたり、優先順位を上げようとしたりする。Bさんとの友情がベースで、その土台の上に大学生活を楽しみたいAさんとは明確な温度差ができる。こんなイメージだろうか。

結局、このお客さんの話の結論は、「二人でいるときの穏やかな雰囲気は、二人の時にしか表れない。だから、私は二人きりの時の妻がそうじゃなくなるのが嫌だから、できるだけ、夫婦同士の付き合いや子供を含めた家族ぐるみのお付き合いはしないようにしている。」というものだった。

その通りなのだ。夫婦関係が上手くいっているからこそ、第三者とかかわる時間がぎこちないものになるのだ。友達夫婦に気を遣う妻は、当然、そこに集中し、神経をとがらせているから、普段のリラックスした妻ではないし、ある意味、夫婦で一緒に仕事をしているような感覚なのだろう。仕事をしているときに、ヘラヘラ笑っている夫婦など、極めて少数だろうから。

正直にこういえばいいのに、なかなか人間は素直になれないから、言えない。

「<妻の優先順位が高い対象が、第三者とのかかわりにおいて、夫である自分ではなく、友人夫妻に代わる>という、ちょっと寂しい実感を伴ってまで、余所行きの顔で気を遣うだけのダブルデートバーベキューに行きたくない」

といえば済むだけの話だ。普段通り笑顔で気持ちに余裕がある妻じゃなくなって、その余裕のなさの矛先が自分になって、こっちも嫌な気持ちになってイライラして、喧嘩してしまうことが怖いっていえばいいのに、カッコつけてそれっぽい理由をつけて断ったり、無理に参加してストレスをためて、しなくていい喧嘩をしてしまうのはもったいない。我侭な物言いに聞こえたり、恥ずかしいかもしれないけど、こうストレートに言った方が、よほど愛情が伝わるし、変に意地を張って変な言い方をするよりもよほどいい。

第三者といるときに居心地がよくないというのは、二人の関係が良い証拠で、互いにいつもどおりの素の自分が出せないから、負荷がかかるのは当たり前なのだ。第三者に夫婦のありのままを全部見せられたとしたら、それはそれで味気ないものだろうし、自分のキャラクターを取捨選択する場面に、そうじゃない対象がいれば、その人との関係はぎこちないものになって当然だ。家族、友人、夫婦、全部そうだろう。

逆に、普段不仲だけど、第三者やグループとの関わりだから、上手くやれるし、そういう時だけ停戦状態のように一時的に温和な関係になる関係の方がよほど残念な関係だと思う。誰かと一緒にいるときよりも、二人きりでいるときの方が楽しい。心底そう思える関係にあるのなら、素直にそれを自覚して、喜べばいいし、それが崩れる瞬間が嫌だと思うなら、夫婦ぐるみの付き合いをしなければいいだけだ。

あれこれ理屈を並べるよりも、別の用事があるから、ちょっと行けないけど、楽しんできてね。行ってらっしゃい!と、快く送り出す方が、お互い幸せになれるだろう。人間関係、いつも一緒にいればいいというわけではない。

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