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ギフテッド予備軍だらけの中学受験時代

小学生時代、公文式教室と日能研に通っていた。結構いろいろな人がいて、面白い環境だった。小学校の延長かなと思っていたけれど、個性が強い人が多くて、それは良い意味で刺激になった。学校は村社会、横並びを強制されたり、異なる者への排除の視線が常に支配的だった。言葉は悪いが、あれは刑務所のような環境といえると思う。一般社会の良識が通用しない、独特なルールのもとに子供たちが消耗し合うだけの地獄だ。二度と学校という環境に身を置きたくないと、小学校の時点で感じていたし、これが私が子供を絶対に持ちたくない原点となっている。

公文式は基本的に教材を与えられて自分で勉強していくスタイルを採用する。学年は関係なく、1年生の教材で合格点を取ることができるようになったら2年生の教材に進む。一日にどれだけ勉強を進めてもいい。それが自分にとても合っていた。自習でも理解できるような教材構成になっていて、教員や周りからのプレッシャーもないので、自分の世界に籠って夢中になれる人にとっては楽園のような勉強方法なのだ。

当時流行ってたのはマリオやポケモンのゲームだが、ああやって頭で考えながらゲームを黙々と進めていく感覚で勉強ができ、算数や数学を頭が柔らかいうちに吸収することができる。私は小学生の終わりまでに高校数学をすべて終わらせていたので、数学に関しては惰性で大学受験まで乗り切ることができた。こういう貯金ができたのは本当に幸運だったし、親や先生に感謝しかない。

学校はルールに縛り付け、不毛な団体生活を強いてくる地獄の場でしかなかったし、授業は聞かなくても自習すれば勉強はできることがわかっていたので、本当に苦痛だった。友達がいても、週5で数時間拘束され、同じことを同じメンバでやるのが苦痛で仕方なかった。

公立の学校がこういう管理教育だったので嫌になり、日能研に入り私立を受験した。進学のための塾なので、足を引っ張り合ったり、頑張っている人を貶したり邪魔したりする人間がいない。何より、変わり者や特定の分野で特異的な学力やマニアックな志向を持っている人が多くて刺激になった。そこでも公文式の先行学習が役に立ったし、同じように数学で高校分野まで先行学習している人が何人もいて、別解を作ったりして遊んでいたし、正直、ほとんどの時間を遊んでいた。学校と違って面白い人がたくさんいて、雑談するだけでも面白かった。

同じように、中学や高校もあまり面白くなかったけど、大学入試のために通った予備校、海外への修学旅行のために通った英会話、流動的で色々な世代の人がいるコミュニティでの経験はどれも面白かった。

結局、大学も「学校」という要素が強く、なかなか楽しめなかった。それでも、行動の自由が許されていたので、色々な人と話したり遊んだり、飲んだりした。バックグラウンドが多様すぎる大学だったので、そこは刺激的でよかったと思う。

小学校や中学校での習い事で出会った人たちは特に面白かったし、学ぶことがとても多かった。当時、連絡手段があれば、今でも友達として残っていただろう人がかなり周りにいた。私のような変わり者がとにかく多かった。その人たちが今何をしているのだろうと考えるだけで、ちょっとワクワクする。

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