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DINKs妻が教えてくれた読むことの楽しさ

昨今SNSばかりが流行っているけど、古いと言われようが、ブログが好きだ。その理由がわかってきた。最近、はてな匿名ダイアリーを通勤途中に読書代わりに読むことが多くなった。このコンテンツが、とても居心地が良い。この居心地の良さは、ネット黎明期の2ch掲示板に近い。居心地の良さは場所によって異なるが、私が今のSNSにない匿名性の良さとして考えるのは次のポイントだ。


1.アカウントが存在しないこと

これがかなり居心地の良さの決め手になっている。SNSのようなアカウントありきのツールは、その人の発信するコンテンツが、その人の人格と関連付けられる。たとえば、ある発言、価値観を見たときに、その人がどんな人物なのか、他の投稿を見て判断する。

この「判断する」という作業が心に良くない影響を与えていると思う。判断すると言っても、その材料は、偶然その人がアップロードした少数のコンテンツに限られる。その人の本質をとらえているものではない。にもかかわらず、ネット上での人の評価や印象は、その人の部分的な表象により決まる。それが決まると今度は、自分の中で、その人に対する「好き嫌い」が始まる。
 
私は「好き嫌い」という考え方自体が苦手で、どちらかといえば嫌いだ。なぜなら、多くの人が、自分の主観的な好き嫌いを善悪に昇華させようとするからだ。食べ物の好み、ブランド物の好み、住まいの好み、人生設計の好み、社会や政治に関する好み、多くの人が、自分が好きなものを「社会的に正しい」と思いこみ、その根拠を必死で探し、相対するものを悪であると結論付ける根拠を探す。
 
あるインフルエンサー同士が対立している時、本人たちよりも、その取り巻きの方が激しく衝突する場面が容易に想像できる。材料を見つけては叩く、それの繰り返し、特にTwitterにこの傾向が強いと感じ、基本的に使うのをやめた。暴言を見ていると、いつのまにか自分自身も同じような言動を取るようになったり、物事にケチをつける人の発言ばかり見ていると、いつのまにか自分自身も他人の挙動や価値観にケチをつけることが習慣になることがあるようで、本当に気を付けたい。
 
これは昨今のSNSに限ったことではないという意見もあるだろうけれど、アカウントが存在することによりそれをより過激なものにし、誘発することがあると思う。意見そのものではなく、意見をしている人間に注意が向くことで、それが粘着性や攻撃性を助長することがあると考えている。機械よりも人間が接客した方がクレームが起こりやすいことと似ている。
 
ある一つの書き込みを見て、その人のことが嫌いになった場合、その人のアカウントを気づくとチェックしていて、気に入らない発言を見つけて叩く…「嫌いなものを見ない」ということを人は容易にできない。たとえば、YouTubeである動画にアンチがついて、そのアンチが次に出した動画にも低評価やアンチコメントを残すことが少なくない。コンテンツではなく、人に注意が向いていることによって起こる「攻撃欲求」であると言える。
 
これが匿名形式で、発言同士が「人物」という媒体によりリンクすることがなければ、仮に一つの書き込みが誰かにとって気に入らないことであっても、その場で違和感を唱えることや、批判的なコメントをするにしても、その場で事態が収束する。匿名掲示板では、しばらく敵対的なやりとりが続くこともあるが、特定のアカウントに粘着するようなことは起こりにくいし、ある意味、人間関係が希薄であることが平和な空気を作っているように感じる。それでも場面によるところではあるけれど。
 
その人のキャラクター抜きに、純粋に書かれたことだけを「読む」ことは、昨今のSNSではほとんど不可能だ。

2.文章しかない

ネット上のコンテンツは、この20年で変わったと思う。明らかに変わったのは、コンテンツの種類がメディア中心になってきたことだ。初期のネットは、ほとんどの情報がテキストだった。掲示板で画像を添付できることさえも稀だった。

それゆえ、書かれたテキストから色々なことを想像したり考えたり、時には質問したり議論したりすることがたくさんあったと思う。今、Noteを楽しんでいるのも、テキストを書いたり読んだりすることが面白いからだと思う。わからないことや不思議なことを、自分なりに考えるのが楽しいのだ。
 
これだけ普段から画像や映像を生産している私でも、触れていて最も面白い媒体はテキストだと思っている。10年間や20年間の電子データのストックの中で、テキストデータが最も価値のある財産だと思っている。テキスト中心の時代のTwitterは今と異なる雰囲気を持っていた。

だからこそ、この時代になって、今更ながらブログにはまっているのかもしれない。ブログのように、文章のまとまりを読むのが面白いのである。140字や反射的発言ではなく、じっくり考えて吐き出されたテキストを、時間をかけて理解しながら読むのが好きだ。そういう面倒くさいことを楽しみたい気持ちが増えている。面倒くさいことをやっている時が一番楽しい。それは家事が好きなことにも通じるものかもしれない。

最近は妻の大学生活の影響で、文章を読むことがさらに好きになった。好奇心のままに生きている人が身近にいることのありがたみをとても感じる。

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