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風呂の順番に思う

譲り合いというと他者を思いやる気持ちの現れのように感じられますが、我が家の姉妹は自己都合による譲り合いをしょっちゅうしています。どちらも風呂に入りたがらず、互いに「先に入って」を繰り返して時間ばかりが過ぎていくのです。

2人とも風呂が嫌いというわけではないのですが、今楽しんでいることを中断したくないようです。後回しにしたところでどうせ風呂に入らなければならないのはわかっているはずですが、粘っていれば姉が、あるいは妹が入ってくれるかもという期待があるのかもしれません。度重なる譲り合いの結果、どうしても寝るのが遅くなってしまうというのが最近の状況です。

そこでふと思ったのですが、私自身が小学生だった頃は、風呂の順番はどうやって決めていたのでしょうか。当時は両親と私と弟3人の6人家族で、全員が入るには相当な時間が必要だったはずです。小学生の間は21時に就寝していたのですが、いったいどうすればそれができるのか不思議なくらいです。

ところが、具体的にどう回していたかの記憶は残っていません。おそらく、両親に指示された通りの順番でこなしていくのが当たり前だったからでしょう。末弟はまだ幼児だったのでまず父が彼とともに入り、それから我々兄弟3人が順番に入って、末弟を寝かしつけた母が最後に入る、というのが自然な気がしますが。

もしかすると、家族の一員として諸事を円滑に回していかなければという意識が、当時の我々には芽生えていたのかもしれません。ただ、今の我が家の子どもたちよりも成熟していたかというと、一概には言えない気がします。このくらいの年頃では、親の教育方針の影響が大きいからです。

私は良くいえば子どもの自主性を尊重する、悪くいえば甘い親だと思いますが、背景に自分の両親に対する反発があるのは間違いありません。自分が育った家庭は窮屈だったから、自分の子どもはもっと自由にやらせてみたいということです。

ただ、家族の一員として…という考え方を折に触れて提示してやるのは、必要なことかなと思っています。

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