西芳寺の核心は「自然」「空間」「仏法」の3つだと考えています。西芳寺は何万年、何億年単位で形成されてきた「自然」の営みのなかにあります。境内に群生している美しい苔たちは人には左右できない自然の偉大な力と恵みによってこの地にもたらされました。西芳寺の「空間」は、1300年の歴史が織り成す重層性を持っています。時代時代の最新の思想や技術と掛け合わせてそれがまた深まっていく。そして、西芳寺は、法相宗、浄土宗、臨済宗と宗派が変遷してきた歴史がありつつも、聖徳太子に始まり行基、法然、夢窓国師と仏教における重要な人たちが関わり続けてきた「仏法」の源流と言える場所です。
ここ西山の西芳寺にも実は文化があり、華美な北山文化の下に築かれた金閣寺、わびさびの東山文化の下に築かれた銀閣寺は、両者とも西芳寺を模して作られました。室町以来続く日本文化の源流ともなった華美な文化とわびさびの文化、そのどちらをも抱きとめる存在であったのが西山の西芳寺です。文化を起点に歴史上の偉人たちが関わりをもち、最高峰の美意識と感性による文化的営みとともに形成されてきた空間がここにはあります。「自然」というものの捉え方、自然と調和する「空間」のつくられ方には、日本で古くから培われてきた美意識と感性が根底にあります。
西芳寺の作庭を手がけた夢窓国師は、「美意識の発信・創造」において、唯一無二である場所をつくりました。「盛りをば見る人多し散る花の後を訪うこそ情けなりけれ」という彼の歌があります。桜の盛りの時期だけではなく、散った後、葉桜になったときにもその美しさを感じる感性、つまり、「心に散らない桜を持っている」という心の豊かさについて歌ったものです。おそらく古くから日本には桜を年中愛でる感覚があり、月は欠けていてもたとえ新月であっても風流なものと感じられる心の豊かさがあります。
満開の桜に多くの観光客を呼ぶよりも、日本の大切にしてきた美意識や感性を世界に伝えていく、それが格好いいと感じることのできる世界をつくっていくことが大事だと思います。とくに今、日本が右肩下がりになりつつある時代に、受け継がれてきた美意識と感性に立ち還ることでみずからに誇りをもてるようにしていきたいのです。その受け皿となるような場を、思いのある人たちで再びつくり上げていくことができたらと思っています。
西芳寺の庭には禅の思想があり、どうやって込められたのですかと訊かれたことがあります。しかし、禅の思想は足せるものではありません。禅を生きる人間が、つくろうとしてつくったわけでもなく結果としてつくられたものが、この庭であった。そういうものだと思います。あとから足すようなものではなく、それはもう最初から入っているのです。そのようなことが、ここ西芳寺でこれからの時代においても可能だと考えています。ここに集う人びとが「自然」「空間」「仏法」の核心に無意識のうちに触れ、気づきやインスピレーションを受けることで、他に生かしていく。そしてまたここに帰ってくる。そんな循環が生まれていくように、共感する人たちの輪を広げていきたいと思っています。