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ショート ショートショート 0002

_続けて言う

 飛行機の中。

 私は携帯品・別送品申告書に記入するため、リュックからボールペンを取り出した。申告するものはないのだけれど、申告書の提出は義務だ。

 カチャッ。

 ボールペンの頭をノックする。

 右隣りはアジア系の若い女性。テーブルの上には日本入国のための必要書類を重ねて置いてある。記入しないといけない書類は多そうだ。私は気づいた。女性が筆記具を持っていないことに。自分が書き終わったら、このボールペンを貸してあげようと思う。

 と、そのとき、ボールペンを貸してほしいと女性が話しかけてきた。

 今は自分が使っているので、もう少し待ってほしいと私は伝えた。

 ボールペンを貸してあげると、女性はてきぱきと記入しはじめたのだけれど、手元が暗かったのだろう、座ったまま頭上の読書灯をつけるために手を伸ばした。無理だろう、少し腰を浮かさなければ届かない距離だ。しかし、女性の手の先には私のボールペンが。

 カチャッ。

 彼女は私のボールペンの先で読書灯のスイッチを押していた。

 細かいことを言うようだけれど、それはあなたのボールペンではなくて、私のだ。しかも、持ち主の目の前で。いいけれど、そんなやわじゃないからそのボールペン。なんだか彼女にまるで自分の家族であるかのような印象を抱いてしまう、そんな距離の近さだ。

 書類をすべて書き終えた彼女は私に向かってボールペンを差し出し、

「サンキュー、謝々」続けて言う。


 電車の中。

 私はドアの近くで進行方向に向かって立ち、文庫本に夢中になっていた。

 午後、東京行き快速の車内は落ち着いた雰囲気だ。斜め前の座席シートのいちばん端に女性が座っていて、体の前に大きなスーツケースがあるのが視界に入る。ただ私はこの時まだそのスーツケースの存在を意識化できてはいなかった。

 バスがこちらへ向かって突進してくるような、猛スピードだけれどスローに見える、そのような感覚でその大きなスーツケースが斜め前方から、ゆっくりと、すーっと、私の方へ向かって転がってくる。大きなスーツケースだけが転がってくる。その気配で私は徐々に本の中の世界から現実へと戻される。

 スーツケースはもう誰にも止められない距離に入った。もう誰も手が届かないところを移動している。すーっと、私の距離に入った。私の前を通りすぎようとした。その瞬間、ここは自分しかいないと、私は右手をそのステッカーだらけのスーツケースの上に乗せた。止まった。放っておくと座っている乗客の誰かにぶつかっていたはずだ。その時に動いたのは私だけだった。これでよかったんだ。

 持ち主の女性はその後すぐに駆け寄ってきて、

「ソーリー、ごめんなさい」続けて言う。


2019年1月7日 セサミスペース M (Twitter


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