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満州からの手紙#41~#45

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満州からの手紙#41

 酷寒地たるこの辺の風景の或一部分のスケッチ(見取絵)を、最も適切に表わしている二枚の写真を同封して送ります。
雪の広野の遙か彼方にうっすらとかすんでみえる地平線!!それからこの付近の丘様の山形(樹木一本無い)、酷寒地の兵隊さんの服装等説明をしなくてもよく解るでしょう。
色々言って軍紀に触るといけないので何も言いません。この写真からすべてのことを想像して下さい。
 
 現在は、酷寒の頃一米余の厚さではりつめていた河水の凍結が解氷して、水は悠々と流れ下っています。そしてそれらの河からは三尺に近いと思われる大鯉やフナやなまずの川魚がとれます。
それから寒さにこごえていた山野は、一瞬にしてしたたるような新緑の色につつまれています。
 
 畑では麦がスクスクと延びて、高染が可愛い芽をふきました。
山には雑草や草花が、一面に太陽の恩恵を満喫しています。
しゃくやく、櫻草、ケシ、西洋いちご、すみれ、アヤメ、ぼたん。シクラメン、なでしこ、黄色タンポポからその他名も知らぬ数十種の草花が爛漫として咲き乱れています。特に香がよくて可憐な感じのする草花はスズランの花です。(これ等の花は皆野性です) 

 満州娘と言う歌がそちらで流行したでしょう。あの花はインチュウホーとか何とか言ったと思っているのですが、白い毛がセリのような感じの葉と、モクランのような紫紺色の花弁一面にくっきりとうき出て生えている、上品な落ち着きのある花です。
あの花が咲いたからか、美しいクーニャンのお嫁入りを随分沢山みかけました。(この僕の言っていることが解らぬなら、お母さんに聞いて下さい。)
 
 この花はお母さんのところへ送っておきましょう。お父さんにはスズランの花と白樺の皮を送ってあげます。
写真は高価なのでお母さんには買って送りません。とってかえって、この手紙と一緒にみせてあげて下さい。

 お父さんは僕からいった手紙をのけておられますか。それともすてているのですか。
手紙はとって置いて貰いたく思っています。
兵隊さんの僕は、お父さん達の子供であって又、お父さん達の子供ではありません。
明日の日、否今日たった今、死なねばならぬことがハッキリと解っていても上官殿が「他言無用」と命ぜられたなら、僕達は心と反対の思いを筆にしなければならぬことだってないとは言えぬのです。
 
 単なる平凡なこれら一通一通の手紙が、僕達のその時、その日のユイゴン状であるのです。
お父さんには僕の言っていることがよく解って貰えると思います。と言って現在そんな運命が身近かにせまっているのではありませんよ。 最もお父さんも御存知の通り、時節柄・・・・・・・・・・・・・・。
それで一層自重して、体を大切にして銃後の御奉公大事とつとめて下さい。

 事無くゆけば来年四月あたり満期が出来るのではないかと思いますが、これは全く自分達の憶測ですよ。 ハ・・・・・・。
 
 色々としゃべりましたネ。

あまりかくと後の種がなくなるので、この辺で止めましょう。
時々は、忙しくてもお手紙下さいネ。
心からお父さんの手紙をたのしみにして待っていますよ。
では皆様に四六四九。 
サヨナラ
乱筆多謝
忠勝
お父さんへ

満州からの手紙#42

  お母さん。
昨日山から元気で帰って来ました。
あたえられた任務は一生懸命確実にやって来ました。どうぞ安心して下さい。
 
 山では赤だにの猛攻撃を受けたり、ストーム(暴風雨)に遭ったり、沼地に入って牛馬が倒れたり、南京虫にさされたりしたけれど、何一ツの事故もなく皆んな元気でかへりました。
お母さんの誠心が神に通じて僕達を守って貰ったのですよ。きっと。

 国境の白樺や、もみ、五葉松などの大原始林の中では、沢山の珍奇な昆虫や植物等をみました。奇異な獣の啼声から、鶯、郭公鳥の懐しい声まで聞きました。
目的地へゆくための、最後の部落 {郭/カッ} {家/カ} {油/ユ} {房/ボウ} を出はづれて丘様の山合いを行く時、一面のならの新緑風景!! これは北満ならぬ内地の近永、奈良川あたりのなら林を思いださせてくれて、非常に心懐しく思いました。
いずれこのことは後文にまとめてお送り致しましょう。

 昨日、雑誌二冊を、今日小包を確かに受とりました。お母さんの汗のにじんだ慈愛の篭った送り物、謹んで嬉しく戴きました。
准尉殿、曹長殿が大喜びでお茶を飲んで戴いたのは涙の出る程嬉しく思いました。
お母さんから来た送り物をどの程度まで理解して食べて貰えるか、そうしたことがいつも僕を淋しくさせていましたから。
実際、お母さんの送り物を粗末にされた時の淋しさは、口には言えません。
味つけのりは一昨日から中隊の酒保で売りはじめたのですが、こんなものは一番有難いです。
 
 昨日、故郷の各村の村長さんがみえました。明治村の村長にお目にかかって、お父さんのことも聞いてみました。 又、畑地の村長には亀岡の小父さんによろしく言伝しました。
 
 明二日、舞踊家石井漠氏の慰問が僕達の隊で催されます。
今日は舞室つくりです。
来週は僕は週番ですから忙しく成ります。しかし初年兵さんがいるので仕事は以前に競べてズーと楽です。
 
 消燈後中隊事務室へ来て、一人こうして手紙を書いていると、とても静かです。
今夜は外は月あかりですが、少し風が吹いているようです。
この二、三日とてもむしむしするので、近く雨なのでしょう。
半截河では僕達の部隊は、もう今日から夏服に成りました。
日中汗がニキニキする今の半截河で、冬の酷寒時の半截河なぞ想像も出来ません。
夜間に成って温度の下がるのは、近くに海がなく、大陸性の気候だからいやが言えません。
 
 夜も大分更けて来ました。
消燈刻限だからこれで止めます。
お体大切にして下さい。
雑誌は隊にありますからあまり送らないで下さい。ではサヨナラ
忠勝
お母さんへ

 満州からの手紙#43

 お母さん。
二日、午後二時からあの有名な舞踏家、石井漠氏の慰問舞踏会が、中隊の舎前で催されました。
しかし、楽しみにしていた舞踏見物も、某戦友のかわりに衛兵の歩哨勤務に服することに成ったのでみることが出来ませんでした。
 
 表門に立していると、情無いやら、しゃくなやらで実際しゃげました。
表門の方が舞台裏で二、三間離れた処にある急設の舞台の上では、真黒いビロードの幕一枚を堺に、向側では美しい舞子達が胡蝶のように舞っているのですから。

 この日は、半裁河の在留日本人全部 (カフェー、ピー屋の女達までも) が満官憲の夫婦連と共におしかけているので、中隊の舎前は人の波で湧きかえっていました。
慰問使が来てこんなににぎわったのは、今日が半蔵河に来て以来最初でした。
 
 舞台へゆくため踊子達は舞台姿のあの裸ん坊のままで、門側に立っている僕に頭を下げ微笑んでは上ってゆきます。
踊子が僕の前を歩いてゆく時と、舞台へ片足かけた時の相違!! それはまったく別人の如くにみえる程変化します。
僕は胸うたれるものを感じました。
三、四人の踊子達の中には、漠氏の娘さんの石井カンナ(五月号、週間朝日の表紙に出ています)と言う人や東京の名門の令嬢とかで男装の麗人、和井内恭子とか言う人がいました。皆、美しい人達ばかりでした。

 演芸は二時間余で終わりました。
サインしたプロマイドを貰いましたから送って上げます。
かえる時、サヨナラサヨナラを幾度も幾度もくりかえしてかえってゆきました。
 
 漠氏は随分年寄りでした。
ゴリラの様な感じのするユーモアに富んだ親父さんです。ハ・・・・。
スペインの何とか言うのに演出されたそうです。

 今日 (三日) 山の部隊で催されるので、昨日みなかった勤務者はみんな行ったのですが、又々自分は週番の交替でくさりました。
残念だけれどメンファーズ (仕方ない)です。ハ・・・・・・。
 
 今日は雨です。
明日は偉い人が来られるので、今日の忙しかったこと忙しかったこと。体が十あるとよいのにと思いましたよ。ハ・・・・・・・。
 
 昨日、西条の宮崎君から久保本班長殿と自分と二人に手紙が来ました。
班長殿に紹介してあげたのです。 西条の人達を。
 
 お母さんはこの頃大分手紙の文章が上手に成りましたネ。 感心しています。
手紙は誠心こめて丁寧に、正直な気持で書くのが一番大切です。
でないとなんだかいやにけばけばした文章に成って、いやな感じのするものです。
美文を書こうと考えるのは禁物です。
自然のままに、考えのままにかくのが一番テンポよいのです。
 
 お貯金がとてもよく出来ますネ。

 僕が、無駄つかいを家にいた時させてお母さんを困らせていたけれど、目下、金喰蟲がいないので斯くの如しなんでしょう。 ハ・・・・・・・。
無理をしないようにして下さいネ。
無理は結果がよくありません。ながくは続かないものです。

 お茶はおいしいです。いつのんでも。
どんぐりを、しょうが板をかじり乍ら豆茶をのむ時、お母さんとあのお茶を、おいしいおいしいと言って飲んでいた昔が思い出されます。

 吉野へ旅行した歌ちゃんから絵葉書が来ました。父がかえったともかいてありました。お父さんは時々かえられますか。
僕も来年の四月頃にはかえれるかもしれませんよ。元気を出して待っていて下さいネ。くれぐれお体を大切に。
僕のことより、お母さん自身のことを注意して下さい。では皆に四六四九、サヨナラ 
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#44

 僕の懐かしいお父さん。『今日は!!』
今日は楽しい日曜日なのですよ。
もうズーと先から断続的に降っていた雨もやっとあがった模様です。雨雲の切れ間切れ間に、澄んだ青空のみえるのが心懐かしく思われます。

 この三、四日来、朝は決まって一面の霧なのですよ。
兵舎の窓越しに眺める楊柳が、ボンヤリと霧の中にボヤけて広重の墨絵のようにそれはそれは美しいのです。
 
 そうそう霧と言えば、こんな濃い霧の朝は、僕はよく愛治の祖母の家を思い出します。
夏休みにおばあさんの家へいって、早朝起きでると、あの大粒のヒンヤリとした山気を含む山霧が、僕の体をシットリと湿らせて、谷へ谷へと渦巻流れて行くのです。
 それから霧は杉木立にそって、次第次第に上に昇ってゆくと、その下から山間をぬってくねくねと蛇行した山裾の田舎道が、人家の藁屋根が、製材所が、火のみ櫓がポツンポツンと眼界に飛入って来るのです。
 
 山の中腹に石垣を高くくんで、杉垣に囲われた祖母の家の庭先に立って、僕はそうした霧の流れに奇異の感をいだきながら、幾度となく朝霧を懐かしんで来たものでした。
北満の霧も静かに眺めていると、そうした幼い頃の思い出を楽しく追憶させてくれるに充分です。

 さてさて霧のことはさて置いて、今度は何を話しましょう。
日曜日は起床ラッパで飛び起きると、先ず点呼に整列です。それが終わると馬の手入れです。蹄を奇麗に清洗してやったり、 毛並みの塵を除いてやったり、配当されている自分達の分隊の馬は、分隊の者全員総がかりで手入れしてやるのです。
最初は馬が恐ろしかった者も次第に馴れて来て、終わりには自分達の馬がとても可愛く思わ れて来ます。 馬の方でも覚えておるからか、決して危害を加えるようなことはありません。 僕も馬には少し乗れます。
ハッハ・・・・・・・・・。

 馬の手入れが終わったら朝食です。 ホコホコの麦飯におみおつけ、おいしいですよ。
朝食を終わって、隊の者全部で兵舎の内外を清掃するのです。そしてそれが終わるころ昼食のラッパが、カッコメ カッコメ--------------------------------、と鳴り渡るのです。掃除を終わってかえって来た初年兵さんが、 食器の消毒や茶くみ、 飯とりにいって食事準備をしてくれます。

 食事を終われば、夕方『馬の運動に整列!!』と週番下士官殿のどら声が響くまでは全くの自由です。
 寝台の上に腹這いに成って、呑気にこうして手紙をかいてもかまわない訳です。 ハ・・・・・。
『することだけはして休む!!』これが如何なる場合に於いても、軍隊では絶対に厳存する無言の規則です。
夜間演習で一時に成っていても、二時、三時に成っていても、かえってくれば必ず兵器の手入れをし、被服の手入れを終わらなければ、どんなに班長殿や上官の人達が寝めと言われても、誰一人としてノッホンと寝むような馬鹿者は一人もありません。そこに軍隊の軍隊たる処があるのです。

 今日の昼食は鰯の缶詰に菜葉のつけものでした。
鰯も缶詰は美味しいですよ。食事はとてもおいしくたべられます。安心して下さい。(西瓜の加給品もありました。)
酒保からピーナット、練羊羹、キャラメル等をかって来て、戦友達と食べながらこの手紙をかいているのです。
三立サンドやビール、サイダー等も売られています。蜜柑、パイカン、ノリ等もあります。日用品、菓子類は別に不自由は感じません。
 
 隣りの班でレコードが鳴っています。
広沢虎造さんの森の石松でも聞きにゆこうと思いますから、この辺で今日はアデューします。
くれぐれお体大切にして下さい。
そして暇の時はお手紙下さい。
会社の人達に四六四九。
サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ。

満州からの手紙#45

 お父さん。
僕は折角よいことを心に決めて実行していても、一寸体がきつく成ると止めてしまいます。へたばってしまうのです。
こんな意気事ない性格は早く僕の体からのけてしまいたく考えています。
 
 六月一日から、日誌の明記、小遣い帳、手紙の発信、受信簿、読書名簿等を確実につけております。
日誌はその日その日のモットーを最初にかかげ、反省事項を書き、次にその日の様々な事柄をかくことにしております。
小遣い帳は六月一日から十日までの使用金銭には驚く程の無駄がありました。それで考えを一新して無駄費いしない工夫をしています。
手紙の発信、受信簿は自分が何日に誰に手紙を出して、誰から手紙を貰ったかと言うことを日付をつけて明記したものです。
この他、人名簿の整理もしていますが、これら以外に見聞記として、見たり聞いたりしていることをつけているノートもあります。
 
 又あらゆる雑誌の中で心の糧に成る精神的な材料、生活設計、女性の研究材料、結婚生活の探求に関する参考物は全部切りぬいてもっております。
読書名簿は自分が読んだ書籍の名と著者をぬきがきしたものです。
これは、過日この地で読んだ書籍をお父さんに報告して置いたから御存知だろうと思ってい ますが。

 色々とすべての瞬間瞬間に、深刻な真面目さで自覚反省しているのですが、それを実行しているつもりでも、無意識のうちに赤裸々な己のあさましい本性をむき出しにしているこ とに気付いて、自分ながら情け無く、泣きたい気持ちに成ることが度々です。
 
 苦労した人間には、やはりそれだけの価値を実際にみせつけられて成る程とうなづける点が多分にあります。
苦痛を苦痛と思わず、微笑と共にそれを乗り切ってゆく、そうした人達を戦友の中にみた時、実際『自分の敗けだわい!!』と正直考えます。
頭が悪くて記憶力が少なくても、物事をあらゆる点に於いて理解するだけの力が多少でも僕にあると言うことは、人の{尻/シリ}にくっつきながらも学問させて貰ったお陰だと、心からお父さんに感謝しないではいられません。

 初年兵さんの入隊と共に、班長殿の世話から班内の雑事、さては自分のことまでも色々わずらわせて呑気でいた自分を、昨今静かに反省してみました。
体を楽にすることは、一考して大変結構なことの如く考えられるけれど、 実は大変な損を無考の基に重ねていることに気がつきました。
自分のことは出来るだけ、自分の力で一生やりとげる覚悟が実際の行動に表れなくては駄目ですネ。
論語読みの論語知らず!! それは僕のことを言っているようにさえ考えられて、たれにともなく気恥ずかしい気持ちでした。
 
 僕は呼吸のあるかぎり、自分の姿を静かにみつめて生きてゆく考えです。
昨日の僕よりは今日の僕が、そして今日の僕よりも更に明日の僕がより一歩完全に近い人間である如く、 お父さんも僕のために神にいのっていて下さい。

 この頃、僕が満期したら晩シャクのお相手をしてあげたいナ、などと空想して心嬉しい宵が続きます。
くれぐれお体を大切にして下さい。
暇の時、お手紙下さいネ。サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ



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