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私には英語が急務

四月に父が亡くなった。
それからずっと、どこかほんの少し何かが欠けたような日々を送っていた。

さまざまが友達が、それぞれの方法で慰めてくれた。

何も言わずに一緒に泣いてくれた子、ただダラダラ話してくれた子、関係ない話で爆笑してくれた子、

そんな中、xちゃんにも久々に会うことになった。


xちゃんとは留学中に会った仲。彼女は、明るくて、口調は軽くて、それなのに芯がある。感情も豊かで、毒も吐くけど、常にハッピー。

そんな彼女は海外に住んでいて、早口でたくさん、楽しく夢のある話をしてくれた。


正直に言うと、今の私と話が合うわけではなかった。ペースもついていけなかった。

私は、父の死をもって、人間の人生の意味なんかを考えていたし、言葉を噛み締めるように話すようになっていたし。ゆっくりぼそぼそ、話すことが増えていた。

そんなときに、彼女の明るく楽しい話は、場違いだった。


だけど、それが、私の身体に、海風が吹いたように、何かを感じさせた。

なんだろう、この違和感。

そして、彼女と話したあと、私は思った。


多分、今の私に足りないのは、英語だ、と。

昔は私も、xちゃんのような雰囲気を持っていた気がする。明るくてハッピー。常に楽しんでる。どうしようもないこと考えすぎない。

その頃の私にあって、今の私にないもの。

それは、英語な気がした。


日本語は、得意すぎて、心の機微まで言い表せる。それはそれで大切だし、それによるストレス発散もある。

それでも、日本語は、繊細すぎて、今の私にはしんどい。

最近、日本語の小説を読みすぎたし、繊細な芸人を好きになりすぎたし、今の私に必要なのは、xちゃんだし、英語だと思った。


英語は、心の機微まで表せない。私にとって第二言語だからなのか、英語という言葉そのものが、日本語ほど繊細じゃないのかは、私にはわからない。

それでも、大雑把にしか表現できない英語という存在に、私は救われそうだなぁと思った。


早めに、英語を私生活に取り入れたい。

仕事でも、趣味でもいいな。

心にxちゃんを取り入れよう。


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