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初心に還れ、ということらしい

ぼくは現在超ダメ会社員です。中途入社して4年、全く業績をあげていない。がんばる気もない。とっても良くしてくれる会社なんでホント会社に申し訳ない。とはいえなんともやる気が出ないんです。

ただ、正直怠け倒すのってまじめに働くよりけっこうしんどいんですよね。

それに、こんなぼくでも「あの時はホントにがんばったなあ」という時期が何回かあり、ではどうしてがんばれたのか仕組みを見いだせば、この状況を打破できるんじゃないかと考えてみました。

いままで本気でがんばった時期はいくつかあります。

中学受験

単純に楽しかった。小学校4年の終わりから町塾に通い始めて好きなだけ勉強させてもらいました。ぼくは生意気な子供だったので小学校の授業で出てくる話なんてのはほとんどもとから知っていたんです。死ぬほど退屈。

なのでレベルを上げれば上げるほど強い敵が出てくるゲームのような中学受験の世界は生まれて初めての楽園でしたね。

ライバルもいた。学校と違って席順が成績によって決まっていたのもうれしかった。ぼくはほぼ万年2番、1番のやつとは仲もよかったですね。たまに1-2は逆転しましたが基本2番でした。

3番のやつは地味な男で4番以下に落ちることはないけど2番以上になることもなかった。結局そいつだけがちゃんとした中学へ行きましたけどね。

1番もぼくも受験には失敗し、1番のやつは引きこもり、ぼくは消火器も窓も便器もない中学へ行きました。

ただ、本当にがんばったことはいまでもよかったと思っています。

大学受験

なんだかんだで高校はいわゆる底辺校の一番マシなあたり、まあまともな大学へ行くような学校ではなく、やる気も出なかったので赤点は取るしバイクは楽しいし学校へはあんまり行きませんでしたね。

そんなわけで高3になったところで行けそうな大学なんてない。けれど、小学生の時にあれだけがんばれたんだし、研究をしたいという気持ちもあったので、浪人してがんばってみることにしました。

英語の偏差値28。予備校に入ってとりあえず志望校は地方国立大にしました。担当者は「ムリだと思うけどね」って顔でしたね。

熱狂した予備校時代

ぼくは50歳なので当時の大学受験予備校は全盛期。講師の人たちもすごくて、授業はものすごく面白い。浪人=ニートなんで他にすることないからすげえ勉強しましたね。

で、4月入校、6月に最初の模試があり、28だった英語の偏差値が50を超えた。「おれが英語で平均を獲るのか。これはなんとかなるかもしれない。」と手ごたえを感じました。

化学がべらぼうにできたので英語さえなんとかなれば大概なんとかなったんです。

2ヶ月に1回模試があったわけですが、英語の偏差値はそのたびに10上がった。受験が近づいたころには英語は足を引っ張るどころか化学に次ぐ牽引役になっていました。びっくりしたね。

で、そこそこの大学へ入りました

それまで(少なくとも勉強においては)アホばっかの環境にいたので、自分と同レベルの人間なんて見たことなかったんですよ。

けど、大学入試ってのは容赦ないもので、上のやつも下のやつもあんまりいない、ホントにだいたいおんなじレベルの連中で集まっちゃうわけです。あっちのかわいい子も、隣でしょんべんしてるやつも、酒飲んでゲロしてるやつも、自分とおんなじくらい勉強できる。

アホらしくなった。おれの代わりなんていくらでもいるんじゃんって。

で、イヤになっちゃって全然勉強しなくなり(大学の講義が予備校に比べたら死ぬほどつまんなかったこともあり)、留年2回、すでに一浪しているので、3年遅れってことになり「ニートでいいや」ってなりました。

ニート

当時付き合っていたいまの嫁さんのアパートへ転がり込んで、朝から酒飲んでゴロゴロしてました。嫁さんは働いていたのでその間つまんないからほかのニートを呼んで酒盛り。クズだね。

石の上にも三年とはよく言ったもので、ニートも3年やってるとしんどくなってくる。意味が違うか。。

あと、子供ができたとき、「お父さん大学でなに勉強したの?」って言われて「酒。」ってのも寂しいのと、研究の道ならニートあがりでも実力あればなんとかなるだろなんて思って、大学院進学を決意。

大学院入試

なにしろ日本一厳しいといわれている大学だったので、大学院へ行くってのはガチの真言宗で出家するくらいの覚悟がいるもんだと思っていました。

すげえ勉強した。ニートだからほかにすることないし。

詳しくはこちら。

研究、超おもしれえ!

まあ大学2回留年+ニートのクズなんで、失うものもないし特に期待されてるとかのプレッシャーもない。とはいえ、同期は4歳年下ばかりなんでナメられるのも困るってわけで、とにかく早くそれなりになろうとしましたね。

だんだん結果が出てくると同期やら周りのことなんて気にならなくなり、ホントに没頭した。面白いなんてもんじゃない。いままでのは受験で、誰かが答えを知ってる世界だったけど、初めて答えのない世界に挑む高揚感。

最高出力を保つために、徹夜なし、休みなし、遊びなし、毎日14時間研究室。常に興奮状態だったのを覚えてますね。

詳しくはこちら。

そしていろいろあって無職→いまの会社

無職になって困っていたところに転職エージェントさんが現れ、いまの会社へ押し込んでくれました。ホントに感謝しています。

ただね。中途入社+エージェントによる有料紹介(会社がエージェントにおカネ払っての採用)って部署のみんな知ってるわけですよ。

マジでしんどい。

「だってニートだったんだからしょうがないじゃん」とか言えない。初めてプレッシャーに押しつぶされるというやつを経験しました。しかも、分野違いなので開発一筋の社員に勝てるはずもなく気づけば新人にも水をあけられている始末。

かつてがんばれたのはなぜなのか?

入社して4年、こればっかりずっと考えてきました。

おれは全然ダメなやつってわけじゃなく、なんか条件がそろえばがんばれるはずだ、その条件とはなんだ、それを見つけて再現すればがんばれる、と考え続けてきたんですよ。悩みました。「年齢」だったらどうしようとか。

で、こうして記事にまとめてみたんです。これまでのがんばれた時に共通するものを見つけるために。

そして見つけたんですよ。その共通点ってやつ。

いままでがんばれた時というのは全て、評価ゼロから始まってるんですよね。中学入試→小学生なんだからゼロで当たり前、大学入試→バカ高校でバカだったんだからバカ、大学院入試→ニート、修士→実績なしの元ニート。

「おまえには誰もなんにも期待していない」がポイントみたいです。

入社して4年、実績なし、休職歴あり、残業しない、そろそろ完全ゼロ評価になったかもしれない。

早い話、「おれはそこそこのもんだから」ってのがあったから身動き取れなかったんですね。初心に還ってゼロスタートすればがんばれるかもしれない。と、発見したのでした。

点火はもう少し怠けてからね。

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