この国の王を殺すには 第九話

 レナルドは国王に即位するため、様々な手続きを踏まなくてはならないらしく、エミルはひとまずレナルドの離宮に足を運んだ。宮廷使用人たちはこれまでと変わらずにエミルを迎え、エミルもまたこれまでと変わらずにレナルドの部屋と間続きの自室で本を開いた。
 室内は出て行ったときとまったくなにも変わらなかった。もっと踏み荒らされていることを覚悟していたのだが、メヴェリー地方にあるレナルドの屋敷から持ってきた荷物のほとんどが、手をつけられていないまま放置されている。
 本を開いたエミルだったが、しかしその内容はほとんど頭に入ってこない。夕方を過ぎたころに、使用人が恭しくやってきて、
「セオドリック様からお手紙をあずかっております」
 と、銀のトレイに乗せた封筒を差し出してきた。
 エミルはそれを受け取り、即座に開封した。

「親愛なるエミルさん。
 この手紙を読んでいるということは、僕たち家族は宮廷をあとにしていることでしょう。
 お父様は、あまり仲の良くない隣国から嫁いできたお母様をとても大切にしていました。お母様もお父様には心を開き、ふたりはとても仲の良い夫婦です。ですがそのふたりの子どもである僕は、あまり身体が強くありません。だから地方で療養が必要だと、お医者様にいつもいわれていました。
 お父様も、お母様も、あまり野心家ではありません。国王の座など、押し付けられてもいらないといっていたことがあります。それは、僕も同じ気持ちです。レナルド様が王位を欲しがっていることは一目瞭然でした。ですから僕とお父様は、王位継承権を放棄することにしたのです。
 ですがこの国の法律で、個人の意思による王位継承権の放棄は認められません。王位を退けるには、いったん即位して、退位するしか方法がありませんでした。伯父様――トバイアス三世陛下も、生前退位を宣言すればよかったのですが、陛下にはその意思はないようでした。彼が自死を選んだのは、己の余命が幾許もないことをご存知だったからなのではないかと思います。このまま苦しみが続くくらいならばいっそ、と、自ら命を絶つことを選んだのではないでしょうか。もちろん伯父様のお気持ちは、伯父様にしかわからないので、僕の想像でしかないのですが。
 僕は明日、伯父様の自死を見届けてから、お父様の即位、退位をみとどけた後、同じことを繰り返します。ひとつだけ違うのは、ロザリア様と亡くなった伯父様を結婚させること。キーツクライドでは前例のないことではありますが、死人との婚姻が禁じられている法律はありません。歴史を紐解いてみると、権力者の遺産をめぐった死者婚というものが、実際には行われていたこともあるそうです。法律というものには、実はいろいろと抜け穴があるのですね。
 王妃エメライン様とトバイアス三世陛下の生前による離婚は、王妃様が承諾するはずがありませんでした。ふたりの婚姻関係が解消される瞬間はトバイアス三世が亡くなったときのみです。そのため、僕は陛下が亡くなった直後に、ロザリア様にお願いをして婚姻届にサインをしていただくようお約束していただきました。ロザリア様はとても悩まれていたようですが、最終的には承諾してくださいました。きっと、レナルド様が刑に処されるのを防ぐ目的のためでしょう。
 トバイアス三世陛下が自死を選んだ理由のひとつに、死後であったのならば、王妃様と離婚せずともロザリア様と婚姻関係を持てる、といったものも大きいと思います。ああ、いけない、僕ときたら、また空想でものを書いてしまいました。これはあくまでも僕の考えですので、参考程度に読み流してください。
 本来ならば僕のお父様が即位したときに、自ら命を絶った伯父様とロザリア様との婚姻関係を結ばせることはできるはずです。ですがお父様は、ロザリア様を説得したのはおまえなのだから、と、僕にその命令を下すことをすすめました。僕にとって、最初で最後の、国王としての任務をお父様は授けてくださったのです。
 伯父様の死を目の前でなど、本当はみたくありませんが、それが僕がこの国のためにできる数少ないことというのなら、受け入れるほかありません。
 エミルさん。あなたは僕にとって素敵なお友達でした。さようならのご挨拶ができずに去ることをお詫びいたします。どうかレナルド様とお幸せに。もしよければお返事をください。僕は文通仲間というものが欲しかったのです。
 それでは、時間が迫ってきたのでここまでとします。さようなら、エミルさん。あなたの未来が輝かしいものであることを、僕は祈っています。」

(そういえば)
 エミルはふと思い出して、レナルドの屋敷に来る前からずっと持ってきたままだった自分の鞄の存在を思い出す。
(あのばあさんからも、別れ際に手紙を受け取ったんだった。いろいろあってすっかり忘れてた)
 エミルは荷物をひっくり返して、老女からの手紙をみつけた。中に書かれていたのは、とても短い文章だった。

「エミルへ。
 そういえばあなたに字を教えることを失念していたことに、遅まきながら気が付きました。ですからこの手紙は、短いものとします。決して、あなたへの感謝がないわけではないということを、心に刻んでおいてくださいね。

 愛する人をつくりなさい、エミル。
 そしてたくさん愛されなさい。
 そうすればあなたはきっと幸せになれます。

 さようなら、お元気で。――わたくしのかわいい子猫ちゃん!」

「……ははっ」
 ふたりの手紙を読んだ後、エミルは笑った。面白かったわけではない。楽しかったわけでもない。胸がいっぱいに満たされていたからだ。こんな気持ちははじめてだった。もう会えないかもしれないセオドリック、死んでしまった老女。クソみたいな人生だったと思ったが、エミルは大切にされていたのだ。ロザリアのいうところによる道徳に守られていたのだ。そのことに気付くのがあまりに遅すぎた。ふたりにはもう会えない――。否、セオドリックは手紙を欲しいといっていた。どうせ本など頭に入ってこないから、ペンをとってみるのもいいかもしれない。エミルにとってのはじめての手紙を送る人物は、セオドリックで決定だ。
 エミルはさっそく使用人を呼び出して、封筒と便箋を用意してもらった。書き物机にかじりつき、何度も失敗をしながら、セオドリックへの気持ち書きをつづった。

   **

「国王陛下がお呼びでございます」
 夜半に使用人が声をかけてきたので、エミルはきょとんと小首をかしげた。
「レナルドはここに戻ってこないのか?」
「はい。陛下は国王の寝所にてお休みになります。わたくしはエミル様をお呼びするよう、申しつかってまいりました」
「わかった、今いく」
 使用人に従って、エミルは離宮をあとにした。国王の寝所、と聞いて真っ先に浮かんだのはトバイアス三世が病に伏していたあの北の部屋だが、正式な国王の寝所はもちろんそんな場所ではなく、トバイアス三世がいた部屋とは間逆の、宮廷の南に位置する広い部屋だった。
 扉をノックして、レナルドの声で返答があり、エミルだけ室内に入ったところで、扉が閉められる。
「レナルド」
 レナルドは窓辺に立っていた。王の寝所は広く、かつてエミルが彼の命を狙って刃を突きつけた彼の屋敷の寝室が、ふた部屋は入ってしまいそうなほど広かった。
「エミル、どこか調子が悪いところはないか」
「大丈夫だ。あんたは」
「俺も特に問題はない」
 ふたりはなんとなく互いに歩み寄り、すぐそばで向かい合った。
「戴冠式が来週に決まった。それまでは書面上だけの王だが――俺はこの国を手に入れた、といっても過言ではないだろう」
「この国をめちゃくちゃにするのか?」
 エミルは問いかけた。レナルドは微笑む。
「それをきみが望むのなら」
「望まない」
 エミルは即答した。
「はじめは、めちゃくちゃになればいいと思った。でも、いろいろあって、考えがかわって、今はもう、このままでもいいかなって」
「そうか」
「あんたもそうだろう?」
「俺も?」
「あんたも、もう、この国をめちゃくちゃにしようなんて思ってないはずだ」
 そこまでいってから、「あっ」と、エミルははじかれたように身体をぴくんとさせた。
「ただしゼイキンは軽くしてくれ。あと、浮浪児たちの救貧を徹底化してほしい。人攫いが出ないようにもしてほしい。あんたにやってもらいたいことは、たくさんある」
「そうか。できる限り力になるよ」
 じわじわと、レナルドがそばにいることの実感がわいてきた。よかった、殺されていない。よかった、失われていない。よかった、奪われていない。
「なんだかとても疲れそうだ」
 レナルドは嘆息した。
「明日から、激務に襲われる。きみと会う時間が、減ってしまうかも」
「いいよ、別に。その間は本を読んで過ごすから」
「そうか。そうだな、それがいい」
「――レナルド」
 エミルはとても自然な仕草で、彼の頬に手をあてていた。
「なんかつらそうな顔してる」
「そうか? そうだな……そうかもしれない」
 レナルドは悲しく笑った。
「いろいろなことが覆されてしまった。これまで自分がしていたことはなんだったのだろうという気分だ。けれど結果的に、欲しいものを手に入れたのだから、いいといえばいいのだがけれど……」
「レナルド……」
 エミルは彼の身体にそっと抱きついた。厚い胸板に、頬をうずめる。レナルドが小さく笑うのを彼の服越しに感じた。
「なぐさめてくれるのか」
 エミルはわずかに沈黙したのち、問いかけた。
「こういうのってなぐさめるときにするものなのか?」
「いや」
 レナルドがエミルの身体を抱きしめ返した。
「思いを通わせるためにするものだよ」

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序章

第一話

第二話

第三話

第四話

第五話

第六話

第七話

第八話

終章


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