この国の王を殺すには 第三話

 社交期まで半月ほど時間があったため、エミルは、レナルドから直々に字を教わった。
「本来貴族の令嬢がたしなんでいるような、儀礼やマナー、ピアノや歌、乗馬にダンスなんかはおぼえなくてもいい。必要に迫られたらおどけてみせろ、それが道化の役割だ」
 と、いうのがレナルドのいいぶんだったため、エミルの教育は字の読み書き一辺倒だった。
 悔しいことに、レナルドの教え方はうまかった。エミルが間違えても決して声を荒らげず、根気よくどうして間違ったのかを一緒に考えてくれる。簡単な読み書きならば、エミルは七日で習得することができた。
 シャノン大公家の書斎にて、エミルは四面を本にかこまれた室内で、机にかじりついていた。レナルドが簡単な読み書きテストを作成したため、それを解いていたのだ。
 エミルの答案用紙を見て、レナルドはふうん、と軽く息をついた。
「まあ、もともと話せるのだから、読み書きもすぐできるようになるだろうとは思ったが、想像よりもはやかったな」
「それって、正解ってことか?」
「ああ、全問正解だ。――お次は、これだ」
 どさっと分厚い書物を渡された。灰色の表紙で、題字は金箔によって装飾されている。
「題字を読めるか?」
「ええと……」
 一文字ずつ、ゆっくりと指でなぞりながら読み上げる。
「せ、い、て、ん」
「その通り、聖典だ。フィルヴィス教の教えが書かれている。正直いって退屈極まりない内容だが、最低限の教養として目を通しておいたほうがいい」
 まあ、とレナルドはうつくしい金色の髪をかきあげる。
「別に読まなくてもかまわないけれどね」
「読む」
 どうせできっこない、といわれた気がして、エミルはむきになった。
「宮廷に行くまで、あと七日あるんだろう。だったらこのくらい、読み終わるはずだ」
「それはすばらしい」
 レナルドがにっこりと笑うと、周囲にぱっと花が咲くように明るくなった。しかし彼の危険思想を知るエミルからしてみれば、薄気味悪い以外の感想は出てこない。
「それから、これは追々教えようと思っていたことだが、せっかく文字が読み書きできるようになったのだし、この国の王を取り囲む面々の家系図をおぼえてもらおうか」
「かけいずってなんだ」
「先祖から子へいたるまでの家族の系譜を書き記した表、というものかな」
「あたし、表なんて書けないぞ」
「大丈夫。登場人物の名前が書ければじゅうぶんだ」
 そうだなあ、とレナルドはあごに手をあて、備え付けのソファに深々と座って長い足を組む。
「どこから話そうか……。そうだな――はじめに、シミオン四世という王がいた」
「シミオンって、あたしが殺さなくちゃならない王位継承者第一位の人間じゃないのか?」
「それとは別の人物だ。この国では往々にして、先祖の名前を子につけることがままある。名前の多様さがあまりないからこんなことになるんだけれどね。今の王位継承者であるシミオンとは別の、シミオン四世という国王がいたということは理解できるかな?」
「馬鹿にするな、そのくらい理解できる」
「大変結構。そのシミオン四世というのは、大変な好色家だった」
「こうしょくかってなんだ」
「女が好きで好きでたまらない病気ということだ」
「ふうん」
 エミルは気付いていなかったが、彼女の尻尾はこのとき興味津々を示すように左右に揺れていた。ドレスを用意してもいいが、といわれたエミルだったが、そんなものに袖を通したくはなかったので断った。それならば慣れるためにも、とレナルドが用意したのが、実際に宮廷の道化が着ている、不思議なかたちの洋服だった。袖口と短いずぼんが丸くふくらんだデザインの、カラフルな衣装だ。エミルのために尻尾の部分には切れ込みがいれられている。
 好きに使えばいい、と渡されたノート一冊の値段をなんとなくたずねてみたところ、なんとこれだけで浮浪児たちが一週間は暮らせる額を告げられた。だからこの衣装もきっと、とてつもない予算でつくられたものなのだろう。
「その女好きの国王は、十四歳のときに結婚し、正妃との間に子を授かった。それがトバイアス三世――現在の国王だ」
 エミルはノートに『シミオン四世、親。トバイアス三世、子』と書き綴った。
「シミオン四世は長子であるトバイアスが生まれたことで、これで世継ぎを残す任からは開放されたとばかりに、すぐさま政略結婚だった醜い王妃と離婚した。そうして、何度も再婚を繰り返した。知っているかな、エミル。この国では婚外子は親の財産を一切相続できないということを」
「実際、あんたがそうなんだろ」
「その通り。シミオン四世というのは好色家であると同時に、情に厚い人物でもあったんだ。庶子を増やすなど、自分の子を産んでくれる愛した女に申し訳がない。だから女を好きになったら、その都度結婚し、生まれた子を嫡子とする。何度も結婚と離婚を繰り返す国王に、民は辟易していたらしい」
「それって……シミオン四世にはたくさん子どもがいたってこと?」
「その通りだ。シミオン四世は四十まで生きたが、その間に子は十五人、うち、男はふたりだけ。ひとりは長子である現国王のトバイアス三世で、ふたりめは今際に残した最後の子ども――きみが殺すべきシミオンだ」
 ノートに『シミオン四世、親。トバイアス三世、子(兄)。シミオン、子(弟)』と書き加える。書きながらいった。
「女ばっかり生まれたってことか? その女たちはどうなったんだ?」
「女は政略結婚の駒だ。みな、銘々に嫁いでいった」
「嫁いだら王位継承権はなくなるのか?」
「王位継承権を授かれるのは、男児のみと決まっている」
「そうするとトバイアス三世とシミオンの歳の差って、いったいどのくらいはなれてるんだ」
「よくぞきいてくれた。きいて驚け、この兄弟の歳の差は二十六歳だ」
「親子みたいだな」
「ああ、まったく。薄気味悪い話だろう」
 レナルドは腕組をした。
「シミオンは愛されていた。死を間近に控えたシミオン四世の最後の子どもだからだ。死期を看取ってくれる妻を愛し、その子には自分と同じ名を授けた。そうして、かたく王命を下す。第一王位継承者であるトバイアスが王となったあかつきに、トバイアスに子があろうとなかろうと、シミオンを次の王太子とする、と」
「ふうん……」
「その後、シミオン四世は逝去し、無事トバイアス四世が国王となった。このトバイアス四世は、あまり父親とは似ていない人物だった。生まれてすぐに母親である王妃は離縁され故郷にかえっていたため、寂しかったんだろうな。自分の子にはそんな思いはさせまいと、妻はひとりだけと決めて、王妃であるエメラインを大切にした」
 エミルは『トバイアス三世、子(兄)』の横に『妻、エメライン』と書き足す。
「いずれ自分に子が生まれたら、その子を第一王位継承者に据えて、父の命令は無視しよう、と、王妃との閨に精を出す日々だったが――不幸なことにこの王妃エメライン、なかなか子を授からない。二十歳で嫁いできたというのに、それから十四年間まったく懐妊の兆しがなかったんだ。――その十四年の間に、王は出会ってしまったんだ。ランブロウ公爵家の大切なひとり娘、ロザリアに」
 そこまで聞いて、はて、とエミルは小首をかしげた。
(ランブロウ公爵家? って、なんかあのばあさんの話に出てきたことがある……。ランブロウ公爵家って、たしか……)
「あんたの母親?」
「きみはなかなかカンがいいようだね」
 レナルドは満足そうだ。
「うら若き乙女だったロザリアに、トバイアス三世は溺れきった。父の不貞を忌み嫌っておきながら、正妃以外の女性に手を出したというわけだ。そしてロザリアは十六のとき、子を身籠った。それがはじめての王の子どもで唯一の男児――このレナルド・シャノン様である」
 なるほど、とエミルは納得した。なぜ王の直系の男児が王位継承権第三位にあまんじているのか、それはフィルヴィス教を国教とするこの国で、なんの相続権も認められない私生児だからなのか。
「しかしロザリアも俺を産んで以降、懐妊することはなかった。俺が生まれてからおよそ十年後に、ようやく王妃エメラインが子を孕む。誰もが男児を期待したが、生まれたのは女の子だった。それが、王のひとり娘イヴリンだ。俺にとっては異母妹にあたる」
「なんか、面倒くさいな。なんで女が王位継承権をもらっちゃ駄目なんだよ」
「そこらのことも聖典に書いてある。男女の違い、なぜ女児が家を継げないのか。あとで熟読しておくように」
 エミルはふくれっつらを作った。宿題が出されるのは自由時間が減るのであまり好きではない。
「という感じで、今の王朝がある。現王トバイアス三世の嫡子に男児がいないから、王位継承権第一位は弟であるシミオンのものというわけだ。そもそも俺が王位継承権第三位を賜ったことすら奇跡なんだ。フィルヴィス教の教えに反するからな」
「もし今から王様がエメラインと離婚して、あたらしい王妃との間に男の子が生まれたら、そいつが王位継承権第一位を授かるのか?」
「その通り。そうなれば正直、話ははやいが、あいにくもうトバイアス三世には子を残す余力がない。病気なんだ、いつ死んでもおかしくない」
 老女の言葉がよみがえる。
 ――ご病気らしいの。それも伝染する、原因不明の病。
「王様が死にかけているから、あんたはシミオンとその息子を殺せって動き出したのか」
「きみはなかなかお利口だね、その通りだ。自分の夫の浮気相手との子どもである俺が憎くてたまらない王妃エメラインは、過激なシミオン一派でね。このままでは玉座はなんの問題もなくシミオンのものとなるだろう」
「面倒くさいな、王様の周りって」
「ああ、まったくだ。――シミオンは二十歳のときに隣国ルーベルクから王女を娶った。姫の名はオーガスタ。十五で嫁いだ三年後に、息子セオドリックを産んでいる。この子はたしか今年で十二になるな。――このセオドリックが、第二王位継承者だ。わかるか? きみが殺すべきふたりめの人物だよ」
「――十二歳の子どもを殺すのか?」
「おや、怖気づいたかな?」
 レナルドはせせら笑った。
「きみの覚悟はその程度なのか? この国をめちゃくちゃにするということは、なんの罪もない子どもたちも平等に死に直面するということだ。それがいやならこの話、なかったことにしてもかまわないよ。間諜はほかにもいるんだ、なにもきみだけが切り札というわけではない」
「や、――やるよっ」
 エミルは思い出していた。自分が十二のとき、なにをしていたかを。あのころはまだぎりぎりサーカスにいたかもしれない。否、もしかしたらあの変態男の性玩具にされていたのかも……。それを思えば、宮廷でぬくぬくと過ごしている、セオドリックという人物にも怨嗟がわいてくる。ただ子どもだからという理由だけで、庇護の対象になるのは理不尽だ。
「ええっと、つまり……」
 頭をぽりぽりかきながら、エミルは自分で書き記した家系図を眺めながら反芻する。
「あんたは今の王様の庶子で、婚外子だから王位継承権は第三位。王位継承権第一位は、あんたの叔父ってことなのか」
「簡単にまとめると、そのとおりだ」
「めちゃくちゃややこしい。途中にちょくちょく出てきた、エメラインとかロザリアとか、イヴリンとかその辺のことは別に教えてもらわなくてもよかった」
 不満げなエミルに、レナルドは組んでいた腕をほどき、ぬっと身を乗り出してエミルの額をはじいた。
「無知は罪だよ、子猫ちゃん」

   **

 エミルはむきになって聖典を読み解いたが、これがなかなか難解だった。聖典に記されている文章はどれもいいまわしがくどく、ややこしいと思ったレナルドの宮廷家系図の説明のほうがよほど明瞭なくらいだった。
 それでも半分ほど読んだころ、時間切れとなった。社交期がはじまったのだ。エミルとレナルドはそれぞれ別の馬車に乗り込み、宮廷を目指す。これから三ヶ月ほどの間、レナルドは宮廷で過ごし、エミルもそれに同伴する。うかうかしていると現国王トバイアス三世が死にかねないので、エミルがシミオンとその息子セオドリックの命を狙う制限時間は限られる。
「きみはそれほど馬鹿ではないが、宮廷には宮廷のルールがある。俺が殺せといった瞬間に殺せ。自分勝手な行動はきみ自身の破滅を招く」
(なんだよ、それ)
 エミルは不満だった。
(そんなの、本当の本当に、ただの道化じゃんか)
「それからきみのナイフでは人を殺せない。そもそも狙うのならば腹ではなく首を狙え。頚動脈という箇所を教えておこう」
 馬車から汽車に乗り換えて、また馬車に乗る。変態男に引き取られてから、貴族の屋敷で使用人に傅かれるという行為にはなんとなくなれていたが、それにしてもレナルドの周りには使用人が多かった。馬車から汽車に乗り換えるときに大荷物を運び、汽車から馬車に乗り換えるときにも大荷物を運ぶ。
 王都の駅で汽車から馬車に乗り換えた際、エミルとレナルドは同じ馬車に乗った。宮廷の最寄り駅は王都だが、そこから宮廷までにはうんと距離がある。王都の下水路で暮らしていたエミルが、ふらりと宮廷に立ち入らなかったのだから、きっとそれなりなのだろう。
 半日ほど馬車に揺られて、やがて田園地帯が窓の外に広がった。天気がよくて退屈なので、ぐうぐう眠りこけていると、ふいにゆらゆらと肩を揺さぶられて目を覚ます。レナルドが面白そうに微笑みながら、エミルを起こしたのだ。
「宮廷についたよ。窓の外をみてごらん」
「え」
 いわれたとおり、馬車の窓に張り付いた。そこは――庭だった。同じ長さで切りそろえられた背の低い木が並んでまるで迷路のように道を作っており、それを抜けると巨大な噴水があった。噴水を左右に囲むように大輪の花が咲きほころんでおり、色鮮やかでうつくしい。噴水のそのずっと奥に、これほど距離があっても驚いてしまうくらいに、大きな白い建物があった。横に長く、中央に巨大な扉を持つほか、左右対称に同じ大きさの窓が並んでいる。その窓のすべてに、それぞれ天使の胸像が飾られていた。四階建ての建物らしく、最上階は金色のクリームをしぼったようなまろやかな装飾がほどこされている。
 エミルは興奮した。
「でっかい!」
「大きい、だ。いいなおしなさい」
「……大きい」
「裏庭には離宮がみっつ。俺の母親はその離宮にこもりきりだ」
「あんたの母親はずっと宮廷にいるのか? 社交期以外でも?」
「それが王の望みだからな」
 宮廷の人間関係の説明は受けたが、そういえばレナルドとその母ロザリアの関係はききそびれていた。王妃エメラインが過激なシミオン派だということは、エメラインがロザリアを良く思っていないことに起因しているのだろう。王妃に目をつけられた妾の立場というものは、いったいどのようなものなのか。正直、エミルの歩んできた人生からは、想像もつかない。
「王様はずっと宮廷にいるのか?」
「ああ。宮廷は王の寝所でもある。それに社交期以外にも議会は毎日開かれているから、王が席を外すわけにはいかない」
「でも今の王様は病気なんだろ? 王様の役割は誰が代わりに果たしてるんだ?」
「それはもちろん、王妃エメラインだ」
 エミルは再び得心がいった。なるほど。王の役割を担う王妃、それならば確かに権力も集まろうというものだ。
「シミオンとその息子もずっと宮廷にいるのか?」
「ああ。シミオンは王妃とともに議会に出ている。必然的にその家族も、宮廷で暮らすことになるな」
「あんたは暮らさなくていいのか?」
「俺は特別なんだ」
 レナルドはにやりと唇の端を引き上げる。
「俺だけ自由を許されて、好き勝手にできている。あまつさえそれで王継承権第三位だ。王妃が俺を嫌う理由も、わかってきたんじゃないか?」
 話だけきけば、なるほどたしかにレナルドだけ特別待遇である。
「ていうか、社交期ってなんなんだ」
「なんなんだとは?」
「具体的になにをするんだ? 議会は毎日開かれているんだろう? だったら別に社交期なんてものをつくらなくても、貴族は宮廷にいるんだろう?」
「なるほど。面白いことを聞くね、きみは。いや、目からうろこだ」
「?」
「社交期がなんのためにあるのか、俺は考えたこともなかったよ。――社交期ってのは文字通り、毎夜宮廷でお祭り騒ぎが行われる時期だ。ダンスパーティを開くことが体面だが、この時期に貴族たちはいろいろな縁を結んでおく。政治的な縁、婚姻的な縁、あるいは友愛、恋情、さまざまだ。そういうときに道化は重宝される。貴族たちはただ狂乱したいだけだからな」
「なんだそれ」
 エミルは心から毒づいた。吐き気がする。
「貴族ってのは、クソだな」
「言葉遣い」
「知るか、そんなん。クソなものをクソっていってなにが悪い。あたしたちからゼイキンを巻き上げて、議会に出るならばまだしも、ただ踊っておしゃべりするだけのやつもいるんだろう? そんなやつ、全員死んじまえばいいんだ」
 牙をぎりっと噛み締める。ここにいる連中はきっと、エミルが老女の家で過ごしたときのように、守られ、穏やかに、好きなことをして暮らしているのだろう。そのあげくに縁を結ぶための宴だと? 毎晩ダンスパーティだと? それのなにが、いったい誰の腹の足しになるというのだ。
「聞いておいてよかった」
 エミルは白亜の宮廷を睨みつけながらいった。
「全員、ぶち殺してやりたくなった」

 どうやら宮廷がこれほどまでに大きく、広いのは、社交期の間、自身の領土からやってくる貴族たちにそれぞれ部屋を割り振っているかららしい。貴族の位によって与えられる部屋の広さは変わってくる。王に近ければ近い人物ほど、王の寝所に近い部屋を与えられるらしい。
「あんたの部屋はどこなんだ?」
「俺は、離宮だ」
「へ?」
「俺は特別な存在だっていったろう? 俺は部屋ではなく宮そのものを与えられている。本来なら一年中、離宮で暮らしていてもかまわないんだけれどね。それだといつ寝首をかかれるかわかったものではないから、社交期以外は領土でまったりくつろいでいるんだ」
「なんだかあんたも殺したくなってきた」
「それはどうも。で、きみの部屋なんだが、本来道化は宮廷内の狭い一室を割り当てられる。ただ、きみは俺が連れてきた特別な道化だから、俺の離宮にいてもいい。宮廷内の窮屈な部屋か、それとものびのびできる俺の離宮か。どちらがいい?」
 エミルはじっとりとした目でレナルドを睨んだ。それはもちろん、広いほうがいい。けれど……。
「仮にあんたの離宮に部屋をもらったとして、シミオンを殺す機会はどっちのほうが多いと思う?」
「――うむ、すばらしい受け答えだ」
 レナルドは美貌をほころばせた。
「迷わず離宮といっていたとしたら、道化を解任していたところだよ。安心したまえ、道化は宮廷のどこにでも入ることが許されているから、好きな場所で寝起きしていい」
「じゃあ、どっちも」
「どっちも?」
「宮廷内にも部屋は欲しいし、あんたの離宮にも部屋はあったほうがいい。だから、両方よこせ」
「うむ、うむ。まったくもって、感心、感心」
 レナルドは満足そうだ。
「早速そのように手配しよう。ただし覚悟しておきたまえ。宮廷内のきみの部屋は、恐らく狭くて暗いぞ」
「そんなん、慣れてる」
「それなにより」
 エミルの回答はレナルドの機嫌を良くしたようだった。ただし、と彼は唇の前に人差し指を立ててみせる。
「これから宮廷に足を踏み入れたら、クソだのなんだの、明確な殺意は隠しておかなくてはならないよ。できるね?」
「当たり前だろう。――そのためにあたしは、ここまで来たんだ」

 宮廷内は、それはすさまじい絢爛豪華さだった。
 どの部屋にも、どの廊下にも、クリスタルが燦然と輝くシャンデリアがつるされ、天井には華美な宗教画が描かれている。変態親父の屋敷で見た調度品よりも、老女の屋敷で見た装飾品よりも、宮廷のそれは贅を凝らしてつくられているとわかった。
 鏡になりそうなほどぴかぴかに磨き上げられた廊下の上を、ふたりの兵士に守られるようにしてレナルドが歩く。エミルは内心で慣れない環境にどきどきしながら、それを表に出すまいと尻尾を正してレナルドのあとを歩いた。
 やがて謁見の間と呼ばれる部屋に通される。扉を開けると、そこは赤い絨毯がまっすぐに伸びていた。絨毯の先には、赤い椅子がふたつある。ひとつの椅子の背もたれは長く、高く、もうひとつの椅子の背もたれは短く、丸いデザインだった。
「王妃様のお成りです」
 その言葉に、レナルドがひざまずいてこうべを垂れた。彼の後ろにいたエミルはどうしたらよいかわからず、ひとまずそれを真似る。
 なにかが引きずられるような衣擦れの音がして、しばしの沈黙の末、女の声が響き渡った。
「おもてをあげよ」
 いわれるがままに、顔をあげる。レナルドの背中越しに背もたれの低いほうの椅子に座っていたのは、たっぷりと贅肉を身につけた、黒い巻き毛の女だった。肉に埋もれた目鼻口に、どこか皮肉めいた笑みを浮かべている。
「久しいですね。レナルド・シャノン」
「ご無沙汰しております。我らが王妃、エメライン様」
「わずらわしい挨拶は結構。――どうやら珍しいものを運んできた様子」
「お気づきですか。お目が高い」
 レナルドはエミルに顔だけ向けて、片目を閉じて見せた。
(この人が王妃エメライン……。シミオン一派の過激派)
 エミルはすくっと立ち上がり、その場でぴょんっと宙返りをした。
「はじめまして、王妃様。あたしの名前はエミルです!」
 元気にかわいらしく、両手を広げて頭を下げた。
「七呪いの一族とは珍しい。この一族はどれも短命だと聞いていましたが……、はて、あなたはいくつになるのかしら」
「エミルは十六になります、王妃様!」
「そう。イヴリンと同じ年ね」
 エメラインのまなざしはぬかりがなかった。レナルドが連れてきたものなど、はなから信用していないのだろう。
「この者はわたしの道化として連れてまいりました。ご覧の通り、七呪いの一族らしく猫の耳と尾を持ち、毛並みと瞳の色は色素欠乏症のそれです。珍しゅうございましょう。社交期の間だけでも、宮廷を楽しませることができるのではないかと思い、ご挨拶させた次第です」
「それは結構。――エミルといったわね、そこの猫」
 鋭いまなざしを向けられて、エミルは背筋と尻尾をぴんと伸ばした。
「精々我々を楽しませなさい。つまらない道化は必要ありませんからね」
「おまかせください、王妃様!」
 にっこりと満面の笑みでエミルが答えると、王妃はふん、と鼻で笑って椅子を立った。そのとき、彼女のまとうマントが床を引きずるほど長いことに気付く。頭を下げていたときに聞いた衣擦れの音はこれだったのか。
 エミルはまた、かがり火のような怒りが再熱するのを感じた。
(あんな無駄なものを身に纏って、白豚みたいにぶくぶくに太って――)
 死んじまえ。
 この宮廷の人間、残らずみんな、死んじまえ。

 ひとまずエミルはレナルドの離宮に荷物を運び入れた。離宮とはいったいどんなものなのかと身構えていたのだが、宮廷の裏庭に建つ三階建ての、金色の屋根をした細長い建物だった。レナルドの母の離宮はしばらくはなれたとろこにあるらしい。
「きみの部屋は、俺の部屋の間続きだが、問題ないね」
「どうでもいい」
「ずいぶん機嫌が悪いようだが、王妃がきみになにか不快なことでも?」
「あんたには関係ない」
「まあ、王妃の前では演技ができていたくらいだし、深く追求する気はないが……」
 せっせと荷物を運んでくる使用人たちは、レナルドが連れてきた面々とは異なるものだった。彼らは宮廷につくなり、レナルドに深々と頭を下げて、その敷地を出ていってしまったのだ。
 レナルドは声を潜める。エミルにしか聞こえないような、小さな声でいった。
「ここから先は魔窟だ。俺へ仕えることに忠誠を誓ってくれていたこれまでの使用人たちとは違って、ここの使用人は小銭を握らせれば簡単に裏切る。――一瞬たりとも気を抜くな。戦いはもう始まっているんだ」
 レナルドの言葉に、エミルはぎりっと歯を食いしばったのち、それまで伏せていた顔を勢いよくあげ、にっこりと笑顔をつくった。
「はあい、わかりました。レナルド様!」
 レナルドはそんなエミルの様子をみて、やはり満足そうに微笑むのだった。

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序章

第一話

第二話

第四話

第五話

第六話

第七話

第八話

第九話

終章


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