この国の王を殺すには 第八話

 翌早朝にレナルドは宮廷をあとにした。無論、ミミを助けにいくためだ。使用人はつけなかった。誰にも告げずに、こっそりと宮廷を去っていったのだ。
 エミルだけは見送りを許された。まだ夜が明ける前のほの暗い空のもとで、レナルドは単身、馬にまたがった。
 開発されたばかりの自動車は、短距離を走ってはすぐにトラブルにみまわれて動けなくなってしまうので、足が悪いのだとか。あんなものを購入するのは、新しいものが大好きな成金くらいなものだろう、と、貴族たちの間では未だに馬車や馬が足として使われていた。乗馬は現在も、貴族の子女の一般教養だ。
「俺は王妃に無礼を働いたため、しばらく離宮で自主謹慎すると周囲には伝えてある」
「でも、宮廷使用人たちがみてる。あんたがこの離宮にいないことなんて、きっとすぐにばれるんじゃないか」
 心配そうなエミルの問いかけに、にやりとレナルドは口元を歪めてみせた。
「いったろう、エミル。宮廷使用人は賄賂を渡せば簡単に裏切るんだ」
「どこへ向かうつもりなんだ? あたしの話から、ミミの居場所なんてわからなかったはずだろう?」
「ランブロウ公爵家を頼ってみようと思う」
「ランブロウ……? って、ああ、あんたの母親の実家?」
「そうだ。俺の屋敷がメヴェリー地方にあったことはおぼえているだろう? それと同じでバーナード辺境伯の領地もメヴェリー地方にある。ランブロウ公爵家もまた、メヴェリー地方だ」
 まさか、とエミルは青ざめた。まさかレナルドの屋敷の目と鼻の先に、あの変態親父の領地があったのかと思うと、背筋に薄ら寒いものが駆け抜けた。
「俺ひとりの力では心もとないが、ランブロウ公爵家の力を借りられれば百人力だ。バーナード辺境伯の息がかかった娼館をしらみつぶしに探し出す。きみが教えてくれたミミという少女の特徴をもとに」
「こんなだいじな時期に……宮廷をはなれて大丈夫なのか?」
 だいじな時期、という言葉にはずっしりとした重みがあった。トバイアス三世は、残念だがもう間もなく死ぬだろう。そうしたらエミルはシミオンとセオドリックを殺害しなくてはならない。そうして彼は、王継承権第三位から第一位に繰り上げられるというのが、ふたりで交わした当初の契約だったのに――。
「たいせつなものの順番は間違えたくない」
 レナルドは凛とした声でいった。
「きみはいつの間にか、俺にとってたいせつなものになっていたというわけだ」
「え」
 エミルは瞠目した。
「それ、って……どういう……」
 しっ、と、レナルドはそのかたちのよい唇に人差し指を立ててみせる。
「その先は、ミミを連れて帰ってから話そう。いってくるよ、子猫ちゃん。お利口に待っていなさい」
 片目を閉じて、レナルドはまたがっていた馬の腹を蹴った。駆け出した馬の背中がみえなくなるまで、エミルはいつまでもその場に立ったまま、動けずにいた。

 普段どおりに振舞うようにはいわれたが、さすがに王妃に白豚、とまで暴言を吐いてしまったのと、また宮廷内でバーナード辺境伯と顔を合わせてしまったら、と考えるとおそろしかったので、夜会には出ずにひたすら図書室で本を読んで過ごした。朝食、夕食はレナルドの離宮でとるが、昼食は使用人に頼んで持ち運びのできるものをバスケットに入れてもらった。朝早くから図書室に向かい、誰もいない静かなそこで本を読んで過ごし、午後にはセオドリックと過ごす――それを三日ほど繰り返した。
「じゃあ、これはどうですか? 『ジャネットとひみつの薬』!」
 セオドリックとふたりで児童小説の本棚の前で、交互に本を棚から抜き出す。
 ふたりの遊びは単純だった。お互い、面白かった本を選び出して、それを相手が未読だったら、勝ち。既読だったら、負け。
 昨日今日に本を読み始めたエミルのほうが、圧倒的に不利な勝負だった。勝負に負けた者は、罰としてその本を読まなくてはいけないのだ。それでもエミルはこの遊びが嫌いではなかった。
「ふふふふふ……」
 エミルの手にはすでに数冊の本が抱えられている。セオドリックの手には、一冊だけだ。
 そのエミルが、不適な笑みを漏らす。
「読んだこと、ある本だ! ようし、この勝負はあたしの勝ちな!」
「えー! エミルさん、読むのはやくなっていませんか?」
「だってあんたが毎日こんなに宿題を出すから。これだけ読めば、さすがに読むはやさもあがるだろ」
「エミルさんは真面目ですね。負けたらきちんと課題図書を読んできてくれるのですから」
「だってそういうルールだろう?」
 セオドリックはいたずらっぽく瞳を輝かせる。
「『ジャネットとひみつの薬』、どうでした?」
「なんていうか、きれいだった! 文章が流れるみたいで……一番盛り上がるところの虹みたいな薬の描写が、夢に出てくるくらい良かったよ」
「ですよね、ですよね!」
 ふたりはおおはしゃぎで本の感想を語り合った。このところ、こうしてセオドリックを興奮させてしまうことが多い。それでも体調を崩していないので、一応の境界線は維持できているのだろうか。
 そのときだった。ふわりと金色の影が視界のはしにうつったのだ。
「うふふ」
 ふくよかな笑い声だ。
「とても楽しそう」
 なめらかな絹のような声だった。歌うような話し方――この話し方の特徴をエミルはよく知っている。
 はっとして、振り向いた。窓辺からゆっくりと、長い金糸の髪をそのまま背に流した、この世のものとは思えないうつくしい女性が歩いてくる。
 金色の髪に、抜けるような白い肌。宝石のような青い瞳――。
(そっくりだ)
 レナルドとうりふたつ。吐息さえ甘く香りそうな、人形のように整った顔立ち。
「あんまり興奮してはいけませんよ、セオドリック。あなたは身体が弱いのだから」
「ロザリア様!」
 セオドリックはうれしそうに、ロザリアに向かって駆け寄っていった。
(この人が)
 ロザリア・ランブロウ。妻だけを大切にしようと誓った王が、唯一、特別に愛した人物。
 なるほど、これがその人か、とエミルは不思議な心地で彼女をみていた。彼女こそ、トバイアス三世の治世をめぐり、甚大な被害をこうむった人物だ。精神を病み、それでも宮廷から開放してもらえない――囚われの身の上。
「まあ、なんてかわいらしいのかしら」
 ロザリアはエミルをみて、瞳を細めた。長い金色のまつげにふちどられたその瞳は、とても穏やかな色を宿している。
「七呪いの一族の末裔なの?」
 その言葉に、エミルは自分が七呪いの一族であることを思い出した。
「そ――そうだ、けど……」
「そう。あなたは特別なかたなのね」
「エミルさん、紹介します」
 セオドリックがはきはきといった。
「このかたが僕のお友達の、ロザリア・ランブロウ様です」
「ロザリアです、よろしくね。あなたのお名前は、エミルとおっしゃるの?」
 ふわふわとしたロザリアの雰囲気に完璧にのみこまれながら、エミルはぎこちなく頷いた。それをみて、ロザリアはいっそううれしそうに微笑む。
「かわいいお名前。お父様かお母様が、つけてくださったのかしら」
「さあ……わかんない」
「わからないの?」
 ロザリアはなぜか悲しそうにした。彼女のそんな表情をみていたくなくて、エミルはあわあわしながらいいわけをする。
「あたし、親の顔を知らないから。だからどっちの親が七呪いの一族だったのかもわかんないんだ。……片方の親かもしれないし、両方の親かもしれない……」
「周りに教えてくれるかたはいなかったの?」
「いなかった。……なあ、あの」
 エミルはとてもどきどきしていた。緊張する、というのとはまた違う。これがいったいどういう感情なのか、名前をつけることはできなかった。
「あの――」
 緊張のあまり、やぶからぼうに切り出してしまった。
「どうしてレナルドに会ってやらないんだ」
 レナルドの名が出た瞬間、ロザリアはぴたりと動きを止めた。やわらかな笑みを浮かべていたその表情から感情が消え、もともと白い陶器のような肌がさらにさっと白く際立つ。
「レナルド……のことを、どうして、あなたが」
 ふるえるロザリアの声に、応じたのはセオドリックだった。
「エミルさんはレナルド様お抱えの道化なのです。おふたりはとても親しくて」
「そう、なの……」
 セオドリックの言葉になにを思ったのかはわからないが、彼の言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が弛緩するようにロザリアの顔に表情が戻った。
「エミル。あなたは、聖典はお好き?」
「え?」
 セオドリックが補足をしてくれた。
「僕に聖典の面白さを教えてくださったのは、他でもないロザリア様なのです」
(ああ、そういえばそんなこといってたような……)
 ロザリアはセオドリックの髪を撫でながら、すこしだけ悲しみを帯びたまなざしをつくる。
「なぜ道徳が必要か、という課題は、聖典を紐解いたばかりの幼いわたくしにとって謎でした。けれど大人になってみてはじめてわかったの。道徳を大切にするのは、――悲しみを生み出さないため」
「悲しみ?」
「レナルドは、わたくしにとって、道徳からはずれた、とても悲しい存在」
 エミルは黙って耳を傾けていた。ロザリアはひとこと、ひとこと、涙の粒が滴るようにゆっくりと話す。
「あなたはなぜ、レナルドに会わないのかとおっしゃったわね」
 エミルはうなずいた。
「わたくしがあの子に会わないのは……、……愛せない、から……」
 いいえ、といってからロザリアは首を横に振った。
「愛せない自分が、おそろしいから……。わたくしは誰も愛したことはないの。お父様もお母様も、国王陛下も、自分が産んだ息子も、すべて……。わたくしはきっと人間として欠落しているの。それを認めるのが、とてもこわい」
「だって噂じゃ、生まれてから一度も抱いたことがないんだろう?」
「……そうね」
「抱いてみればよかったじゃないか。今からだって遅くない。顔を見てみればなにか感じるものがあるかもしれない――」
 もっともその当人は、エミルの願いをかなえるために、今この宮廷にはいないのだけれど。
 ロザリアはやはり悲しげなまなざしのままだ。なんだかこっちが意地悪をしているようで、すわりが悪い。
「聖典に書かれた道徳は、妻を愛せよ、夫を愛せよ、家族を愛せよと、示していました。誰も愛したことのないわたくしにとって永遠の課題――誰かを愛すること」
 愛されたことはあった。両親はあふれんばかりの愛情で彼女を育ててくれたし、国王からの寵愛も受けた。けれどロザリアはそのどれにも応じることができなかった。そんな自分が恐ろしくて、聖典をひたすらに読み込んだ。そうして導き出した答えが――道徳の中にいれば、悲しみが生み出されることない、というものだった。
「わたくしは既に道徳からはずれた存在です。……妻のある男性との間に、子を設けてしまったのだから」
「でも、それはあんたの意思じゃないって……」
「お父様に、陛下に近付くよう命じられました。わたくしはそれに従った。――道徳からはずれた行為です」
 自分で自分を罰しているような口ぶりだった。
「誰かと誰かの間に生じた問題で、片方だけが圧倒的に悪い、ということはありえないの。そのどちらにも、落ち度があるのよ」
「なら、レナルドは……」
 ――一生、救われないじゃないか。
 いいかけたが、寸でのところで飲み下す。ロザリアが呼吸を荒くしはじめたためだ。セオドリックが心配そうにロザリアの顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか? 離宮までご一緒します」
「ありがとう、セオドリック。エミル、あなたも一緒にきてくださる? わたしの離宮の周りにはね、とてもきれいな花が咲いているの」
「あ、うん」
 両脇からロザリアを守るように並んで図書室をあとにした。ロザリアの離宮はレナルドのそれとまったく同じ造りとデザインだ。違うことといえば、彼女がいっていたように、離宮の周りに花が咲き乱れているということだけ。
「あの花の名前はね……」
 ロザリアは次々と花の名前を教えてくれた。エミルと、セオドリックと、そしてロザリア。三人で午後の日差しの中、ゆったりとした時間を過ごした。
「道徳の中にいてみて、エミル」
 ロザリアに微笑まれる。
「そうすればきっと、あなたは深い愛の中にいられるわ」
 なるほど、とエミルは思った。なるほど、これは王が溺れるのも無理はない、と。

(かわいい人だった)
 夕食を終え、湯浴みを終え、エミルはレナルドの離宮の自分の寝台の上にいた。セオドリックとの遊びで課題に出された本を読もうと思ったが、ちっとも頭に入ってこなかったので、しかたがなく本を閉じ、枕を抱きしめる。
(あの人が悪くても、悪いって責められないような雰囲気だった)
 使用人が声をかけてきたので、もう眠るといってあかりを落とした。ランタンのあかりだけに照らし出された室内で、エミルはぼんやりと考える。
(道徳、ってものに、もしあたしがずっと守られていたとしたら)
 きっと今、ここにはいない。
 レナルドと出会うことだって、きっとなかったに決まっている。
 果たしてそれはよいことなのか、悪いことなのだろうか。そう考えに暮れていると、ふいにギイッ、となにかがきしむ音がした。
 使用人たちには眠ると告げてきているから、今更たずねてくることはないはずだ。エミルはとっさに、レナルドが戻ってきたのかと思って、寝台から飛び降りて間続きのレナルドの部屋へと向かう。
「――レナルド?」
「エミルちゃん」
 小さな声がした。女の声だ。しかし、扉の向こうから聞こえてきたわけではない。
 エミルはきょろきょろとあたりをみわたす。室内には誰もいない。けれど声は、とても近くから聞こえてきたように思う――。
「ここだよ、エミルちゃん」
 ずず……っ、と音をたててレナルドの寝台の横にあったチェストが動いた。チェストが横にずらされると途端にぽっかりと黒い空間が奥に広がっており――そこから顔を出していたのは、大きな丸いめがねをかけた、宮廷使用人のお仕着せを着た女――他でもないミミだった。
「――ミミ!」
 歓喜にエミルはふるえた。ミミが、あの辺境伯に目をつけられていたミミが! 五体満足で目の前にいる!
 よいしょ、といいながらミミは穴から抜け出した。エミルに駆け寄っていって、ふたりは同時に抱きしめあう。
「ミミ――ああ、ミミ! 無事だったんだな、よかった……! 本当によかった!」
「びっくりしたよう、エミルちゃん。だってまさか大公様がわたしのことを迎えに来たから」
「ああ……っ、ごめん。ごめんよ、ミミ。あたしのせいで娼館で働かされていたって……」
「そんなの全然、違うよお」
 ふたりは抱きしめあったまま話した。
「処女なんて、とっくの昔にお金持ちのおじさんに売っちゃった。エミルちゃんがいなくなってすぐくらいだったかな。そのころから路上で娼婦の真似事をはじめたの。何度も自警団につかまって、それを前の娼館のおかみさんが助けてくれて……。辺境伯? って人には、ただ働く娼館を変えさせられただけ。していることは、前と一緒。全然へっちゃらだよう」
「そうなのか。大丈夫なのか? 身体はつらくないか?」
「大丈夫だよう。わたしね、今のお店で働けてよかったと思っているの。だってね、お客さんで、わたしをお嫁さんにしたいっていってくれる人があらわれたから。貴族様じゃないけど、お金持ちなの。正妻は無理かもしれないけど、だいじにしてくれるって。まあるく太った穏やかな男の人でね……。――ああ、こんな話をしている場合じゃないんだった」
 ミミはやっとエミルを抱きしめていた腕をはなした。向かい合った少女はふたり、声をひそめる。
「大公様は、追いかけられているの」
「大公様って――レナルドのことか?」
「うん」
 そのときだった。どんどんどんどん! と力強く、レナルドの部屋の扉が叩かれる。
「レナルド・シャノン。不敬罪につき、貴殿を拘束させてもらう!」
 扉の向こうから野太い男の声が聞こえてきた。どんどんどんどん! 相変わらず乱暴に扉は叩かれ続けている。
「今すぐに投降すれば名誉だけは守ってやろう。ここを開けなさい!」
(不敬罪? レナルドが? いったいどうして――)
「ついてきて、エミルちゃん」
 ミミがエミルの手を引っ張った。
「大公様が教えてくれた。この宮廷にあるみっつの離宮には、どこも同じ隠し通路があるんだって。わたしがここまで入ってこられたのもそのおかげなの。――逃げなきゃ、エミルちゃん。大公様は、王位継承権を剥奪されてしまったの」

   **

 ミミの話では、こうだった。
 レナルドはミミを探すため、母方の実家であるランブロウ公爵家を頼った。娘を溺愛し、また孫でもあるレナルドを目に入れても痛くないほどたいせつに思っていたランブロウ公爵は、さっそくミミという娘のいる娼館をあたりはじめるために、辺境伯の領土内にも足を踏み入れた。辺境伯の権力は大公であるレナルドと同等だが、しかし歴史あるランブロウ公爵家のほうが、相手に有無をいわさぬ力があった。それを受けて、バーナード辺境伯が顔色を変える。それまでレナルド派であった彼は、しかしその行為によりいっきにシミオン派へと寝返ったのだ。お気に入りのペットを奪われ、あまつさえ領土を荒らされている。よほど屈辱だったのだろう。
 バーナード辺境伯は王妃に告発した。レナルドがランブロウ家を頼った。すなわちそれは、王籍を棄ててランブロウ公爵家に降下したことと同じ行為である。ランブロウ公爵家はそもそもレナルドの母、ロザリアの生家だ。王位をめぐった派閥争いに疲れた彼は、ランブロウ公爵家に籍を置き、王籍を返上したものとして訴えたのだ。
 すかさず議会が開かれる。これは後になって知ったことだが、レナルドがミミをみつけだすのは実にたやすいことだった。ミミはすぐに探し出され、すぐにレナルドの庇護下に入ったが、問題なのは議会――というよりも王妃エメラインである。ランブロウ公爵家は偉大な一族ではあるが、王族にかなうはずもない。レナルドがランブロウ公爵家に降下したこと、それすなわち、これまで王妃に対してはなってきた言葉の数々は、すべて不敬罪にあたる。レナルドの王位継承権は剥奪され――不敬罪により火刑、という審議が下された。
「――火刑?」
 エミルは素っ頓狂な声をあげた。
「なんだよ、それ。めちゃくちゃじゃないか!」
 エミルとミミが無事に宮廷を抜け出すことに成功した頃には、日はすでに高くまであがっているところだった。宮廷は王都にあるが、ひとびとが暮らしを営む場所からは遠くはなれたところに在る。人通りのある場所までは歩いていかなくてはならないが、皆がお抱えの馬車を使って宮廷に出入りしている貴族もいるので、平坦な道を歩いていては不審がられる。あえて辻道をはずれた木々の間を縫うように歩きながら、さっそくミミが用意してくれた外套を目深にかぶった。
「火刑って、火あぶりってことだよな? 王妃を侮辱したくらいで、なんでそんな……!」
「うーんと、よくわかんないけどお、多分派閥争いの結果? なんだと思うよう」
(あたしのせいだ)
 胸が苦しくなるのを感じた。
(あたしがミミを助けてっていったから。――あたしを守るために、王妃に乱暴な口を利いたから)
「その火刑ってのは、いつなんだ。明日か? 明後日か?」
 エミルの問いに、ひい、ふう、みい、とミミが指を折り始める。
「昨日決まったことだから、ええと、二日後だと思う。王都の広場でおこなわれるんだって」
(それって)
 まだレナルドに出会う前。エミルが自分を売り込むために芸をした、あの広場なのではないか。
「――ミミは、これから先、行くあてはあるのか?」
「うんとね、大公様がたくさんお金をくれたの。これで適当な宿屋にしばらくの間、滞在しなさいって。国王様が亡くなって次の王が即位したら、ほとぼりも冷めたころあいだろうし、好きな人のところに戻ってもいい、って」
 国王様が亡くなって、という言葉にエミルは瞠目していた。
(どういうことだ。なにを考えているんだ、レナルドは)
 もしこれが彼の想定内の出来事だとしたら、レナルドになにか策はあるのだろうか。それともまったくの想定外だとしたら――レナルドは本当に、火刑に処されてしまう。
「ミミはもう、泊まる宿屋は決まってるのか?」
「うん。もう荷物も運び込んだし、王都の西にある『手紙を食べる山羊亭』ってところにしばらくいるつもりだよ」
「絶対に、絶対に目立つような真似は避けてくれ。ミミさえ無事でいてくれたのなら、あたしは、なにがあってもどうってことない」
 ミミがめがねの奥の瞳を不安げな色に翳らせる。
「エミルちゃん……。どうするつもりなの?」
「あたしは」
 エミルはまっすぐに前をみて、いった。
「あたしにできる限りのことをする。レナルドには、絶対、死んでほしくない」

 ミミと別れ、宮廷へ引き返した。とはいえどうしたらよいかわからず、頼るべき人物は誰なのかと迷っているうちに日が暮れる。外からみた宮廷は、ただただ荘厳な白い建物だった。あの中で、人の命が天秤にかけられ、裏切りや偽りが跋扈しているなど、以前のエミルなら想像もつかなかったことだろう。
 レナルドの処刑を止められる人物――それは恐らく国王だ。彼に直談判して処刑を中止にしてもらわなくてはならない。しかしエミルはレナルドの道化だ。宮廷に足を踏み入れたことが知られたら、レナルドと同じ火刑に処される可能性もなくはない。というより、その可能性のほうが高い。堂々と宮廷内を歩き回るわけにはいかない上に、国王の寝所は複雑な道に阻まれている。
 では、国王に繋がる人物は誰か? シミオン、セオドリック――だめだ。彼らにも会えるとは思えない。彼らはレナルドの刑が決定した今、まごうことなきこの国の王位継承者だ。忍び込んだエミルが、簡単に会える場所にいるとは考えがたい。
(シミオンは、王位継承権第一位をレナルドに譲るっていっていたけど――)
 果たしてそれは、彼の火刑までに間に合うのだろうか。
 そこまで考えて、はっとした。
(そうだ。いるじゃないか、ひとり)
 宮廷に忍び込んで、あたしでも会える、王とレナルドにもっとも縁深い人物が、ひとり。

 ――この宮廷にあるみっつの離宮には、どこも同じ隠し通路があるんだって。
 エミルはミミと逃げてきた道を引き返していた。どうやらレナルドに教わったらしい宮廷の抜け道は、中々どうして優れものだった。誰にもみつかることなくレナルドの離宮の裏の茂みにたどりついたエミルは、夜半、人の気配がないことを確認しながら、慎重に移動する。
(今頃宮廷内では、舞踏会が開かれてるのかな)
 だとしたらそれはエミルにとって都合がよい。夜露に濡れたうつくしい花々の園を抜け、エミルはそうっと、ミミから教わった離宮にある秘密の入り口の扉を開こうとした。
 ロザリアの離宮だ。
(頼れるのはもう、ロザリアしかいない。ロザリアが王様を説得してくれさえすれば、レナルドは火刑は免れるかもしれない。――それどころか婚姻関係を迫れば、王様は承諾してくれるかも。そうなればレナルドは、正当な王位継承者になれる)
 ロザリアさえなんとか味方につければ、まだ希望はある。
 そうしてロザリアの離宮の秘密の扉を開こうとした刹那――。
「待ちなさい」
 潜めた声に諌められた。驚きのあまり、エミルはその場で跳ね上がる。
 考え事に暮れていたため気付かなかったが、エミルのすぐ横には彼女と同じ、外套を目深にかぶった人物が立っていた。
「だ、誰だ」
 エミルがぎょっとして問いかけると、その人物は頭からかぶっていた外套を脱いだ。
 母親譲りの黒髪を丁寧に巻いた人物――イヴリンだった。
「ここの人を説得しようとしても無駄よ。お兄様の処刑が決まってから、気が狂って強い薬を飲んで眠ってばかりいるようだから」
「な……なんであんたが、ここに」
「シミオン叔父様のご命令。あなたをみつけたら伝えるように、と」
「なにを」
「宮廷には戻ってこないように。あなたは火刑をできるだけ遅く進行させるよう心を砕きなさい、ですって」
「火刑をできるだけ遅く進行させるって……どうやるんだ」
「さあ? 死刑執行人に飛び掛ってみたり、お得意のダンスを踊って場を混乱させたりしてみるしかないのではないかしら」
「そんなことで、レナルドは助かるのか」
 そこまでいって、はっとした。このイヴリン、レナルドの異母妹ではあるけれど、彼の死を誰よりも願う王妃エメラインのひとり娘なのだ。彼女の言葉をまるっきり受け入れていいのだろうか。
 そんなエミルの胸中を察したのか、イヴリンは鼻で笑いながらいった。
「あなたがわたくしに疑いを持つ理由はよくわかるわ。すべてはお母様の暴走によりものですもんね。そしてわたくしは、そのお母様の一粒種だし」
 エミルは注意深くイヴリンの横顔を観察した。
「わたくしはね、生まれてきただけでひとびとを失望させた罪深い女なのよ」
「え」
「国民の誰もが、わたくしが男児であることを望んでいた。国民だけではないわ、お父様、お母様、ほとんどの貴族。そのみんながわたくしの性別を確認したとき、落胆した」
「…………」
「わたくしが女として生まれて、褒めてくださったのはお兄様だけなの。よくやった、ですって。よくやった、きみが女であったおかげで、俺は首の皮一枚つながったままだ、って。――ふふ、お兄様らしいわね」
 イヴリンは、これまでみたこともないような穏やかな表情で笑っていた。
「誰が次期国王になろうと、正直、わたくしはどうでもいいの。誰が国王になろうと、どうせわたくしは政治の駒として、どこぞの誰かに嫁いでいく身だし」
 イヴリンはロザリアが眠っているはずの離宮の上の階をみあげながらいった。
「お兄様って、面白い人でしょう。だからわたくしも、嫌いじゃないのよ」
 そこまでいってから、イヴリンは鋭いまなざしでエミルを射抜く。
「あなたはどうか、時間を稼いで。お兄様が死なないよう、一秒でも長く」

   **

 着の身着のまま宮廷をでていったため、エミルには資金がなかった。申し訳ない、と思いながらミミを頼り、彼女の泊まる部屋に一緒に泊まらせてもらうことになった。
「ここの宿泊費は大公様からもらったお金だもん。気にしなくていいよう」
 それより……、と、ミミは上目遣いにエミルをみる。
「明日だね、大公様の処刑」
「ああ、明日だ」
「エミルちゃんは、どうするつもり?」
「わからない。でも、できるだけ刑の執行を遅らせるようにいわれた」
「どうやって?」
「わからない……」
 けれど。エミルは前をまっすぐにみすえた。
「できる限りのことはする」
「……大公様は、エミルちゃんにとって、だいじな人、なんだよね」
「うん」
 エミルは力強くうなずいた。
「すごくすごく、だいじな人だ。だから死なれるわけにはいかない」

 迎えた、翌日。外套を目深にかぶって、王都の広場で、エミルはきょろきょろと落ち着きなく過ごしていた。街のひとびとの噂話から収穫を得た情報では、正午、レナルド・シャノンの火刑がおこなわれるということだった。
 午前のうちに広場には特設処刑台が用意されていた。それだけで広場にはわいわいと処刑をみるためにひとびとが集まる。そばの建物の高い場所には、貴賓席のようなものが用意されていた。あまり数はないので、おそらくあの性悪な王妃が、レナルドの死をみとどけるために用意したものだろう。
 エミルは火刑を娯楽としてとらえるひとびとの中にまぎれていた。
「まさか大公様が不敬罪とはねえ」
「いったいどんな不敬を働いたら、火刑になんてなるんだ」
「大公様はえらい美形だっていうじゃないか」
「今からみるのが楽しみだな」
 噂話にかっとなりかけたエミルだったが、たしかに自分も彼らの立場だったとしたら、貴族が火あぶりになるのを面白がっていただろう、と己にいいきかせる。
 やがて正午を迎えるころ――一台の馬車が広場に到着する。
 それだけで、わっとその場がにぎやかになった。刑史に引きずられるようにして首に掛けられた縄を引っ張られ、馬車を下りてきたのは他でもないレナルドだ。
「おやまあ。さすがは大公様、ずいぶんな美人だねえ」
「けれどそれもこれから燃やされるとあっちゃ、無意味なもんだ」
「たいこうさまはなにをしたのー? どうしてひあぶりになっちゃうのー?」
「この国のえらい人を、侮辱したからなんだってさ」
 レナルドは白いシャツに、黒いズボンという簡素な出で立ちだった。まばゆいほどの金髪に、青い瞳は光を失っていない。彼は凛とした表情のまま、刑史に導かれ、火刑台をのぼってゆく。
 火刑代の上には、一本の太い丸太が直立していた。そこにレナルドの身体を縛り付けて、足元の藁に火をつけるという算段になっている。
 レナルドの身体が丸太に結び付けられたとき、――エミルはそれまでかぶっていた外套を脱ぎ捨てた。
 そのままひとごみをひといきにぴょーんと飛び越え、火刑台にあがる。
 ざわめきが持ち上がる。
 みなが突如あらわれた猫耳の少女に驚いていたが、誰よりも驚いているのはレナルドにみえた。彼はエミルがその身体を縛り付けている縄紐にかじりついたのをみて、悲鳴に近い声をあげた。
「なにをしている――逃げるんだ。このままでは、きみもなんらかの処罰を受ける」
「受けたっていい!」
 エミルは叫んだ。なにごとかと驚いた刑史が、エミルを引きずり落とそうとしがみついてきたが、エミルはそれを振り払い、ぽーんと高く飛んで、その刑史の顔のうえに着地した。ぐえ、という短い声をあげて、刑史がその場でもんどりうつ。
 エミルはふたたび、レナルドを縛っている縄をほどくために爪を立てる。
「あんた、いったじゃないか。自分がこの国の王様になる、って。そうしたら、あたしに一生分の自由を約束してくれるって、いったじゃないか」
「はなれろ、そこの猫娘! はなれないのなら罰するぞ!」
「エミル、はなれろ。はなれてくれ、頼むから」
 レナルドの哀願にもエミルは首を横に振る。
「やだ、――いやだ! あんたに死んで欲しくない。あんたはあたしにいろんなことを教えてくれた。字の読み書き、児童小説、それから、それから……」
 エミルはむきになって縄に噛み付き、強く引っ張る。鋭い牙を持っているため、幸いにして縄はすでに緩み始めていた。
「とにかく、たくさんだ! 諦めるなんてあんたらしくないじゃないか。あたしはあんたに、死んで欲しくない!」
「猫娘! 貴様もその男と同罪の火刑に処すぞ! その場をはなれろ!」
「うっさい! 黙れ! できるもんならやってみろ!」
 刑史がちっと舌打ちをする。突如としてはじまったこの愛憎劇に、観衆はすっかり興奮しきっている。
「かまわん。やれ」
 火のついた松明が、レナルドの足元の藁へと近づけられた。
(縄さえ切れば――縄さえ切れれば、走ってでも逃げ出せる)
 貴賓席に目をやると、そこには王妃の姿があった。でっぷりと太った身体を小さな椅子に押し込み、オペラグラスを使って面白い芝居でも眺めるようににやにやとこちらをみている。
 悔しくて、悔しくて、たまらずに縄を引っかき続ける。

「生きるんだ、レナルド。生きて、あんたが王様になってくれ!」

 ――そのときだった。
「刑をただちに中止せよ!」
 複数の馬がこちらに駆け寄ってくるところだった。馬たちの勢いはものすごく、集まっていたひとびとの間を容赦なく横切っていく。先頭の馬が火刑台の前に到着したとき、馬はいななきながら足を止め、それに乗っていた兵士らしき人物が大きな声で告げる。
「そのお方はこのキーツクライドの国王、レナルド二世陛下であらせられる! 刑を直ちに中止せよ! 繰り返す、そのお方はキーツクライドの国王、レナルド二世陛下であらせられる!」
(――え)
 驚いて動きを止めたのは、エミルだけではなかった。その場にいた誰も彼もが、突然のことに目を白黒させている。
「トバイアス三世国王ご逝去に伴い、新国王シミオン五世が即位、同時に退位。その息子であるセオドリック国王陛下の即位、同時に退位。この国の王位継承権は、すべてそこにいるレナルド・シャノン様のもの」
(トバイアス三世の逝去? 逝去って、死んだってことだよな? シミオンとセオドリックが玉座をついだのか?)
 そして――即位と同時に退位。
 やがてざわざわとざわめきが持ち上がる。王国のエンブレムを胸に刻んだ騎士に命じられ、火のついた松明はすぐさまレナルドから遠ざけられた。力が抜けてぽかんとしているエミルをよそに、刑史たちがレナルドを縛っていた縄をはさみで切り始める。
 王妃のほうは、と視線をやると、彼女は驚きの表情のままかたまって、身を乗り出した姿勢で静止していた。
(いったいどういうことなんだ)
 エミルもまた混乱していた。しかし、ひとつだけわかることがある。それはレナルドが、もう火刑に処される心配がなくなったということ。――彼を失わずにすんだということ。

 トバイアス三世の死因は自死だった。
 シミオンとセオドリック、法務大臣を控えさせ、寝台の上で刃によって自らの首を貫いた。すぐさま大臣の手によってシミオンが国王として即位し、王命として退位を宣言。セオドリックが即位した。
 セオドリックは即位してすぐに、王の死により自動的に解消された王妃との婚姻関係を確認、王命として死んだ王とロザリアの結婚を認めさせた。死人との婚姻など非常識なことであったが、あいにく、それを禁ずる法律はない。トバイアス三世とロザリアの間には正式な婚姻関係が結ばれ、晴れてレナルドは嫡子となった。そうしてセオドリックが退位し、――レナルドはこの国唯一の王位継承者として、否、国王として極刑を免れたのである。

(あたしがやろうとしていたことを、あの王様がやってくれたのか)
 トバイアス三世が自死したことは驚きだった。病に苦しみながらも懸命に生きようとしていた様子だったのは――すべてこのときのためだったのか。
「あんたは、知っていたのか」
 宮廷まで向かう馬車に乗せられながら、エミルは向かいの席に座るレナルドへといった。
「……国王が自死するとまでは知らなかった。ただ、シミオンから王位はきみのものになるから安心するように、とだけ話されていた。だからこの処刑も、なんとか免れると思っていたのだが――」
 まさか。と、レナルドは珍しく悲しそうに笑ってみせた。
「まさかきみが、あんなに必死になって助けてくれようとするとは思わなかった」
「知ってたなら、いえよ!」
 エミルはむきになる。
「あたしがどれだけ気をもんだと思ってるんだ。あたしがミミを探して欲しいなんていったからあんたが死ぬのかと思って、あたし、あたし――」
 赤い瞳に涙が盛り上がる。
「エミル」
 レナルドが両手を伸ばして、エミルの身体を抱きしめた。
「うれしかったよ、ありがとう。心配させてごめん」
「――あんたは馬鹿だ」
 ぼろぼろと涙をこぼしながら、エミルはレナルドの身体にしがみついた。
「あんたは馬鹿で、どうしようもなく自分勝手で、それで、あたしにとって、――だいじな人だ」
 死なないで。しゃくりあげながらエミルはつぶやく。
「絶対に死なないで。もう、どこにもいかないで。いなくならないで」
「ああ」
「約束して」
「約束する」
 レナルドはエミルを抱きしめる腕に力を込めた。
「絶対にきみをひとりきりにはさせない」

 宮廷について、最初に通されたのは玉座の間だった。そこにはまだ誰も集まっておらず、ただ豪奢な赤い椅子がすえられているだけだった。
 否、人影はひとつだけあった。まばゆいほどの金髪に、白い簡素なドレス。
「レナルド……」
 ロザリアだった。
 彼女は唇まで真っ青になりながら、室内に入ったところで動きを止めたレナルドとエミルのほうへ、駆け寄ってくる。
 よくみればロザリアは裸足だった。いろいろな情報を聞いて混乱していたのか、それとも精神を蝕む病が彼女に靴を忘れさせたのかはわからない。
 ロザリアはレナルドの目の前に立って、彼に触れようとこわごわ手を伸ばす。
「ぶじ、で……、……っ」
 しかしロザリアの手は、宙をさまよったのち、彼女の胸元に戻っていった。
「無事で……」
 ロザリアの宝石のような青い瞳に、涙があふれた。
「……よかっ……」
 ロザリアは文字通り泣き崩れた。幼子のように泣き声をあげ、その場にすわりこむ。レナルドよりすこし後ろに立っていたエミルからは、このときのレナルドの表情を確認することはできなかった。

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