この国の王を殺すには 第五話

(ち、くしょう……っ)
 これまであの変態男にされた性行為で快楽を感じたことはなかった。ましてや体がうずくことなどありえない。エミルの初潮は昨年とずいぶん遅かったので、発情期を迎えるのはこれがはじめてだ。
「七呪いの一族は、猫のような身体能力のほかに、生殖本能も受け継いでいる。ただ、猫のそれは年に二度ほどだが、七呪いの一族の場合は女性の月経周期によって誘発されると書いてあった」
 こんなに困った様子のレナルドははじめてだ。彼は床にうずくまるエミルを、相変わらず青い瞳を心配そうに翳らせて覗き込んでいる。
「これまで、発情期を迎えたことは?」
「……ない……。あたし、はじめての月のものが去年だったんだ。そのあとも不定期で……二回くらい下着が汚れていたこともあったけど、……安定してなくて」
(ちくしょう……!)
 七呪いの一族の末裔であることを、呪ったことは何度もあった。けれど、そのおかげで今日まで生き延びてこられたのも事実だ。でも、だからって、発情期だなんて。
 腰の奥が熱い。甘いうずきが、寄せては返す小波のように、刺激を求める。
「ひとりでしてみるか? やり方はわかるか?」
「ひとりでする、って、なにを」
「きみを猫と同等に語るつもりはないが、猫の発情期は膣と子宮を刺激することでおさまる場合があるらしい。ひとりでしてみて、絶頂を迎えたら、あるいは……」
「絶頂って、なんだ」
「ううむ」
 レナルドは本当に困りきった様子だった。
 ずいぶんと長い沈黙が落ちたように思う。が、レナルドの手が伸ばされ、エミルの首筋に触れた瞬間、かっと全身が熱くなる。
「……あまりこういうことは、きみとは、しないほうがいいと思ったのだが……」
 レナルドの手がエミルのおとがいを持ち上げた刹那、エミルの瞳が潤む。あごだけではなく、もっとさわってほしい。もっと、もっと強い刺激がほしい。
 しかしそれでもわずかに残った理性で、エミルは果敢にいいかえす。
「同情なんてまっぴらだ。あたしは、あたしの意思で、こうするんだ」
「では――」
 レナルドがなにかいうよりもはやく、エミルは本能のままに彼の身体を押し倒した。

   **

(っあ~~~~~~~)
 すうすうと寝息が聞こえる。横向きに寝台に寝そべったエミルを後ろから抱きしめるように、レナルドが穏やかな吐息をたてて眠っていた。
 エミルはぎゅっと瞳を閉じる。
(やっちゃった……!)
 脳内ではひとり反省会だ。
(まさか発情期なんてモンがあるなんて、知らなかったし……。あの変態親父のところにいたときは、まだ月経、はじまってなかったから)
 先ほどまでの自分の痴態を思い返して、エミルは煩悶したくなる。ずいぶん醜態をさらしてしまったように思う。レナルドはかわいいといってくれたけれど、そんなものは、場を盛り上げるための睦言にすぎない。
(ていうか……。やっちゃったんだよな)
 発情期に生殖活動にいそしむなど、自殺行為にも等しい。
(子どもができたら、どうしよう……)
 もし自分に子ができたら、自分と同じように、七呪いの一族の特徴を捉えた子が生まれてくるのだろうか。
(七呪いの一族の名前の由来は、猫は七代先まで祟る、っていうのからきてるって散々いわれてきたけど……)
 もしも自分が、子を孕んでしまったとしたら。
(あたしで七代目が終わって、普通の子に生まれてくれたら、いいな……)
 そっと手で下腹部を暖めてみる。そこまでして、はっとした。
(――いやいや! いらないし! 子どもとか! できてないことを祈るしかないし!)
「ん……」
 レナルドが小さくうめく。はっとしてエミルは動きを止めた。おそるおそる、彼の腕の中から抜け出し、その研ぎ澄まされた美貌に視線を落とす。
「…………」
 自分がせかしてばかりいたから激しいまぐわいになったけれど、行為の端々で彼はやさしかった。まさかこういう性交があるとは知らなかったので、エミルはなんとなく、もう一度レナルドにふれたくなって、彼の髪に指を絡めてみる。さらりとした金の髪が、エミルの指先にくるんと巻きつく。
 つくりものめいてみえていた彼のうつくしさが、このときはなんだか、ひどくかわいらしいものに思えた。ぼんやりとそんなことを考えている間はぬくい気持ちに胸を満たされていたのだが、すぐにはっと我に返る。
(なに考えてるんだ、あたしは! あたしは、こいつと、力を合わせて王様を殺すためにここにいるのに!)
 しかしその王様もむざむざと殺さずに見逃してしまった。またあの部屋に行けば会えるかもしれないけれど――レナルドの命令では王本人を殺すことは危険だという。王が死んで、すこしでも時間があればシミオンが即位してしまう。そうなったら、王を殺したエミルはシミオンを手にかけることもできずに処刑台行きだ。
(今更だけど、結構難しい作戦だよな。王が衰弱死するのを待って、その瞬間にシミオンを殺すなんて。それから寸分もしないうちに、今度はその息子ってのを殺さなくちゃならないんだろう? それって、シミオン親子とずっと一緒にいなくちゃいけないじゃないか)
 そういえば、とエミルは思い至った。
(あたし、まだシミオンの息子のこと知らないんだよな。たしか名前は……セオドリック、だっけ)
 だとしたら顔を認識せねばならない。
 なんでもシミオンは王族の人間なので――というよりも第一王位継承者なので、生活は一年中宮廷で営まれているらしい。それは夜会でみたあの妻と、息子も同行しているのだろうか?
(とりあえず、散策にでも行くか。夜会まで、まだ時間がありそうだし)
 寝台からぴょんと飛び降りて、エミルは床に散らばった衣服を拾い集めた。そのまま適当に着用し、眠っているレナルドを起こさないよう、そうっと部屋を出る。
 エミルが廊下を歩き出してからしばらく、寝台の上でもぞもぞとレナルドが動き出した。
「あー……」
 困ったようにがしがしと、頭をかく。
「やっちゃったなあ……」

   **

「あれ?」
 ひとまずもう一度、王の寝所をたずねようとしたエミルだったが、どこでどう道を間違えたのか、気付けば知らない廊下に出ていた。日はすでに暮れかけており、もう数刻もしたらまた夜会がはじまるだろう。
(夜会がはじまったら、部屋に戻らないで直接会場に行こう。今更、どうやってレナルドの顔をみたらいいのかわからないし)
 しかたがないから、それまでは時間つぶしに宮廷内を歩き回ってみるとするか。
「ん?」
 北へ北へと向かうにつれて、なぜか宮廷内はひっそりと静まり返っていくのを感じた。とあるひとつの扉の前にたったとき、エミルはなぜか胸が高鳴るのを感じた。
「ここって、なんの部屋なんだ?」
 扉の前にたたずむ宮廷使用人にたずねると、
「こちらは、宮廷図書室になります」
 と、礼儀正しい答えがかえってきた。
(――宮廷図書室!)
 エミルがいってみたくてたまらなかった場所だ。さっそく扉を開けて、室内に飛び込む。
「わあ……!」
 ずらりと本棚の並んだ空間に、エミルはただただ息を呑むばかりだった。広い部屋だ。本棚が部屋の奥まで無数に続いている。どれも天井に届くほど高いのに、みっちりと本が詰め込まれている。
(レナルドの家の書斎でも、本棚はみたけど……。こんなにたくさんははじめてだ)
 これのどれがエミルでも読めそうな児童小説なのだろうか。レナルドから課された聖典を読み解くという課題はまだ達成していないけれど、児童小説を盗み読みしてもおそらく怒られることはあるまい。
 部屋の中はしんと静まり返っていた。見た限り、人はひとりもいなさそうだ。エミルは一通り部屋の中を駆け回ってから、南側に細長い机と椅子がたくさん並べられている場所を見つけて、
(なるほど、ここで本を読むのか)
 と、得心し、早速読む本を選びはじめた。
 図書室はまるで迷路のようで、だが本棚の側面に「歴史」「聖典」「文学」と、分類されたジャンルが掘り込まれていたため、そこまで迷うことはなかった。
(あった! 『児童文学』! 文学って小説ってことでいいんだよな?)
 背表紙がぎっしりと並ぶ中、どれにしようかなあ、とわくわくしつつ、エミルは尻尾を左右に揺らした。好奇心で耳がぴょこぴょこと動いている。タイトルをじっくりと吟味して、「魔女とお姫様とその弟」という本を手に取った。昨晩、レナルドに読んでもらった本にも、魔女と娘が出てきたのを思い出したからだ。似た物語があるのなら、ぜひ読んでみたいと思った。
 エミルは嬉々としながら本を手に取り、机と椅子が並んでいる空間に向かう。
(これも全部ゼイキンでできているのか? それなのに誰も利用してないなんて――やっぱりこの国はクソだ。ゼイキンの無駄遣いだ)
 などと考えながらも、気分はわくわく状態のまま、本を開いた。
 それからどれほどの時間が経ったかはわからない。
 はっとしたときには、夕暮れが空を赤く染めていた。
「えっ?」
 エミルはびっくりして立ち上がってぴょんと跳ねた。――なぜなら彼女のすぐ隣の席で、いつの間にかあらわれたのかわからない男の子がひとり、じっとエミルをみていたからだ。
「だ、だ、誰だ、あんた」
「あなたが噂の七呪いの道化のかたですか」
「そ、そうだけど、あんたは……」
 少年は席を立った。みればずいぶんと仕立てのいい服を着ている。年のころは十二、三歳ほどだろうか。
 彼はぺこりとエミルに向かって頭を下げた。
「はじめまして。僕の名前はセオドリックと申します。――七呪いの一族については本でしか読んだことがありませんでした。ですからあなたに、とても興味があります」
(――セ)
 セオドリック。
 それはエミルが殺すべき、シミオンの息子でこの国の第二王位継承者。
 セオドリックは母親オーガスタ譲りの栗色の髪に、濃紺の瞳を細めてくしゃっと微笑んだ。
「あなたの名前を教えてくれますか? 僕、あなたとお友達になりたいです」

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序章

第一話

第二話

第三話

第四話

第六話

第七話

第八話

第九話

終章


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