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それって本当に必要なんですか?

📷:靴並べてあるだけ、だけなんだけど、なんかいい


「それって本当に必要ですか?」


これは私の頭の中に蓮舫さんが出現した時の、心の中で唱えるセリフである。

仕事をしていると、数多くの質問をされる。

私が偉いとか知識が多いとかで回答を求めてされるというよりは、単純に確認とか自分の頭の中の整理とか、そういう質問が多いのだと思う。

質問をされると必然的に思考を司り解答を導く必要が出るので、私自身にとってもいい頭の整理だなと思っていた。

が、そうでない質問ももちろん存在する。

明らかに書類にその答えが記載されている時。

少し考えたり調べてみれば答えがわかるような時。

確実に私よりも専門的な人がいるにも関わらず答えを求められるとき。

正直に言おう。

だるい。

めんどくさい。

自分で調べてくれ。

この三言に尽きる。

私の知識が勿体無いとか、そんな意地悪なことではなくて。

シンプルに時間を奪われるのが嫌だと思ってしまう。

力になりたいという気持ちは存分にある。

助け合いの精神って大事だ。

だが、あなたと私のこの関係は助け合いではなく、かなり一方的なものになってきている。

力になりたい!かといって、対価を求めないわけではない。

ボランティア活動に勤しむのだって、誰かの役に立てるから、誰かの力になれるからなのであって、時間を無駄にしたいからというわけではなかろう。

私にも仕事がある。

時間は限られている。


別に、無意味なことをすること自体が嫌というわけではない。

家で何もせずダラダラ過ごすのも、友達と生産性のない会話をしてはしゃぐのも、意味もなく部屋のレイアウトを変えるのも。

全部その時々で私には必要な時間になるし、そこで得られるものだってある。

一見無意味に見えて、意味があることなのだ。

ところが、無意味な質問をされるあの時間はどんなに視点を変えてもやはり無意味なのだ。

頭の中に蓮舫さんが出てきて、「それって本当に必要ですか?今じゃないとダメなんですか?」と吠える。

別に蓮舫さん好きなわけじゃないけど。

政治知らないけど。

回答を得た本人は得をしているのかもしれないが、それ以上に私からの「無意味な質問をしてきて嫌だな」という感情もプラスで得てしまうのだから。

私からの評価などどうでもいいのかもしれないが、無意味に人に嫌われる必要もないのでは?と思ってしまう。

と、そんな無意味な質問をされても、笑顔で答えてしまう自分の不甲斐なさ。

社会生活のストレスはこういうものがメインなのだなとつくづく思う今日この頃。

社会人になって半年、学んだのは世知辛さ。

2ヶ月前でも、半年前でも、4年前でも、時間を巻き戻したいのは私だけですか?

最近なんだかグチばかりの投稿になってしまった私のnote。

どうかポジティブで明るいnoteに立て直しができますように。

と明日の私に願うのでした。



よんぴ

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