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軍隊関連なら何だっていい! 強そうだから宣伝になるんだ!ーといった感じの緩い売り込み品を集めました
戦時下、国の力の象徴である軍隊を商品や店の宣伝に取り入れるのは、以前も紹介させていただきましたが、今回はその中でも、変わり種を集めてみました。やはり長野県内や近辺のものがたくさんあります。
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まずこちらの引き札。中央に凱旋してきた陸軍、周囲を関連する絵で埋めてある、長野県鬼無里村(現・長野市)の恵比寿屋のもの。呉服太物、米穀、清酒、菓子、雑貨など、村一番のデパートです。
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兵器や絵柄、軍服などと、田舎の商店の売り込みの多彩さから、満州事変直後くらいのものと判断。1935(昭和10)年前後でしょうか。
うちわも、戦前は火つけに、納涼に、何本あっても困らないでしょうから、広告代わりうちわもありました。こちら、長野県長沼村(現・長野市)で肥料や木炭を扱っていた櫻井商店のうちわです。
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このデザインは一度見たらちょっと忘れられないインパクトがあります。国産品が進められた時代のものですが、軍艦と飛行機もあり、既に複葉機ではないので、やはり日中戦争初期か直前くらい、1936、37年ごろのものでしょうか。
それに比べ、こちらは主に銃後の姿を描いたうちわで、時事川柳とあり、「非常時の 美服 肩身を狭くする」「分捕りの 青龍刀で薪を割り」といった作品から、日中戦争下のうちわとみられます。こちらも長野県のもので、上高井郡日野村(現・須坂市)で精米や肥料、セメントなどを扱い布告徴兵保険代理店も兼ねていた堀内金護商店のものです。
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そしてこちら、恵比寿大黒が日の丸を持ち、三国同盟と満州国の旗をデザインしたもの。時流に合わせてすぐこうしたものが作られたのでしょう。こちらは県外のお店のものです。三国同盟締結時とすれば、1940(昭和15)年の製作でしょう。
太平洋戦争に突入するころは、わざわざ宣伝して売るほど物資が潤沢な状態とはほど遠くなり、さまざまなものが統制されたり品薄になったりしていて、第一紙も不足しています。そんな中で、太平洋戦争中のものとみられるものを紹介しますと、こちら、砥石の宣伝ポスターです。
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飛行機の97式艦上攻撃機は真珠湾空襲で特に有名になっているので、太平洋戦争中と推測しました。砥石は、まあ、需要はあったでしょうが、兵器と結び付けるのは強引かなあ。それぐらいの大切さがあると売り込んだのでしょう。
そして、こちらは商品そのものに爆撃機や軍艦、占領地域などを入れた冊子「報国足袋の仕立方」。もちろん、中身は軍事とは関係ありませんが、布を節約することで兵器増産に役立てるという含意か、単に目立つからか、おそらく後者でしょう。1944(昭和19)年2月15日、家庭経済研究会が発行しています。
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1944年といえば、戦局の悪化はそろそろ隠しようもなくなっていたころ。兵器の絵を引っ張ってきても、なんとなく勢いを感じられないのは、そんな時代背景と一緒に見るせいでしょうか。引き札や宣伝のデザインも、もっと比べればそんな変化が感じられるかもしれません。
もっとも、購買意欲をそそらせるからだめ、スパイ対策のためにと、お店の看板を外させたり街頭や煙突の広告を消させたりしている時代ですから、街中の雰囲気はかなり暗くなってきていたでしょう。
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