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戦時下は、町の住民も大変ー長野県松本市元町区の回覧に見る1941年度の忙しさ

 戦時下の農村では増産だ何だと追いまくられていましたが、何かに追いまくられているのは戦時下の町部でも同じです。手元に長野県松本市の歩兵第50連隊が近くにあった「元町区」の1941(昭和16)年4月から翌年3月までの間に元町区から各伍長(隣組長)あてに出された回覧の一部を収蔵しています。週に2,3回の回覧が来ることもあり、戦時下の窮屈な生活をよく示しています。その中から、いくつかを紹介させていただき、戦時下では特権階級を除いて苦労する人ばかりだった実態をお伝えします。まず、1941年4月18日の第一号から。

1941年4月18日の回覧第一号

 いきなり、主題が「各種焼夷弾実演見学に関する件」です。まだ太平洋戦争が始まっていない、日中戦争の時です。4月20日に松本城天守閣広場にて実施するので防空上の参考にせよと。そして、定番ともいえる「支那事変(日中戦争)国債購入勧奨の件」。21日から5月20日に郵便局で売り出すので、「時局下国債消化の重要性」にかんがみて購入してくださいと。まだ、割当がなかった時ですね。
 続く下写真の6月19日の第9号、これも貯蓄絡みで、貯金が満期になっても払い戻しをするなーが1点。そして135億円貯蓄強調週間実施要項。「高度国防国家体制を完成し大東亜共栄圏の確立に邁進」する規定方針に従い、節約して協力するようにと。また、6月20日から26日の間に合わせてラジオ放送や講演会、各銀行の取り扱い時間延長を行うとお知らせしています。

1941年6月19日の回覧。重ねて、日中戦争中なだけです。

 1941年9月17日の第26号は、強歩大会出場者勧誘と、ちょっと普通の活動の雰囲気がしますが、あくまで「体位向上と精神力振作」が目的。そして日赤社員募集も、戦時下の現れです。そして満蒙開拓青少年団(ママ)に対する寄付の件として、女子青年団が中心となってレコードを贈るとしてあり、壊れていても再製するので出してほしいと。そして松本郵便局からは、貯蓄標準に達していないので増額をと依頼が来ています。まあ、依頼といっても、戦時下では命令ですね。そのためにか、内職希望申し込みもありました。

1941年9月17日の回覧

 1941年11月4日とくれも迫ってきたころの回覧第38号。9月に開いた松本市常会で、「時局の緊迫に伴い」町内会の組織運営強化のため「婦人部を設け時局下婦人の活動を推進することになれり」と、まあ、男達だけで考えたんでしょうね。その求めるところはいちいち書くと大変ですので、下写真をご覧ください。普段は女性の権利を認めず、こういう時だけ頼る、男中心社会です。

1941年11月4日の回覧。女性の担うことの多いこと多いこと。

 そして1941年11月25日の回覧40号は、国家総動員法に基づく金属類回収令による「一般家庭金属類特別回収に関する件」です。この法律によって、強制性が出てきて一般家庭が対象になったのです。箪笥の引き出しの取っ手がなぜかひもだったというご記憶をお持ちの方もおられるでしょうが、この時以降の金属回収で取り外された名残です。いちおう、買い上げとなっていましたが…

1941年11月25日の回覧40号。回収日は日米開戦が話題になったでしょう。まだ、この時は開戦していませんが金属回収です。

 1941年12月8日(日本時間)に日本軍のコタバル上陸作戦から始まった不意打ちの太平洋戦争。これを受けての12月11日の回覧第42号は、紀元二千六百年祝典映画の上映会案内に始まり、続いて開戦に合わせて実施された「防空実施」について、これから先をにらんだ屋内の型付けや防火設備の点検、灯火管制用具の点検などを行うよう指示しています。そして、貯蓄債券と報国債券の、今度は割当です。太平洋戦争開戦で、個人の自主的な判断や隣組の同調圧力では足りぬと、数字を持ち出し、12月15日までに、隣組で購入する金額を用意するよう明記してあります。下写真をごらんください。

太平洋戦争開戦直後の1941年12月11日の回覧42号

 そんな中で迎えた1942(昭和17)年1月5日の回覧第47号。元町区から2人が徴兵制による現役兵として入営をするので、8日に地元の神社で武運長久をして見送るとあわただしい連絡です。また、1月20日の回覧52号では、「戦時挺身食糧増産婦人講習会開催の件」と、またまた女性の登場です。世界中相手の戦争を始めたばっかりで、この状態でした。参考までに、「挺身」という言葉はこんなふうに普通に使っていたので、何年から後、ということはありません。

2人の入営見送り通知の回覧47号
1月20日の回覧52号。名称だけは仰々しいです。

 そして開戦から連勝連勝の報道で来た1942(昭和17)年2月5日の回覧第60号。シンガポール陥落の際の祝賀行事における、貯蓄実践の件として「戦勝感謝貯蓄実践運動」を実施するとしています。

威勢が良かった時の1942年2月5日の回覧ですが…

 その威勢の良い雰囲気から一転、2項目目は「軍刀報国の件」。「長期に渡る支那事変(日中戦争)に次いで大東亜戦争の勃発せる為の出動将兵の佩帯すべき軍刀の需要著しき数に」のぼっているので、家伝の刀を2月6日までに出してくれというもの。十分な準備をしたはずなのに、開戦2か月でこのありさまでした。

さっそく軍刀不足を告げています。

 準備万端の日本軍が植民地軍を相手に勢いのあったこのころで、この調子。ここから先はどうなるか、いずれ別の地区の常会の様子でご紹介しましょう。


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