戦時下でも権力者が恐れるのは内乱。そこで外の敵を徹底的に臣民に憎ませ、戦争につなぎとめ
日中戦争中の1940(昭和15)年に発足した大政翼賛会は、太平洋戦争の敗色が濃くなってきた1944(昭和19)年も半ば過ぎ、特に米国を憎ませる活動「一億憤激米英撃摧運動」を推進します。これは、同年10月9日に政府が「決戦世論指導方策要項」を閣議決定したことを受けた動きで、その一つが「翼賛運動報道資料」の発行であり、「秘・一億憤激米英撃摧運動資料」の提供でした。
「秘・一億憤激米英撃摧運動資料」は、相手国の国力や思考方法を分析し、今後の戦いに役立てる、というものではなく、相手がいかに残酷で野蛮かということを訴えるのに終始し、その勢いで飛行機増産へとつなげます。「脱落国の悲哀」という項目では、失脚したが復活したムソリーニが暴露したという、イタリアの休戦条約を大げさに書き連ねています。200万人を奴隷とか。植民地に転落とか。ネタ元が信頼できなくとも、公的に装うのは上等手段。まあ、シベリア抑留という、とんでもないことをした国もありますが。
こうした宣伝の結果、例えば大日本婦人会長野市支部では、「一億憤激米英撃摧日本婦人総進軍運動」を展開。「憤激を戦力増産に集結」「必勝の信念を堅持」などと、狙い通りです。そして標語「憤激を戦力へ 家庭は堅陣、増産で追撃」となっていて、米国の「野獣性」と対比し「つよさ」「やさしさ」「あたたかさ」までが標語で各家庭に張り出したようです。
また、長野県翼賛壮年団は「米英撃摧航空機献納金」を集め、増産に役立てていたようです。下写真は長野県上水内郡芋井村(現・長野市)の人が30円を献納した時の領収書です。
こうした献納運動は、全国で行われたようです。宣伝効果は絶大でした。
大政翼賛会のよき宣伝になったのが、常に政府の内閣情報局や軍に検閲されている雑誌でした。主婦之友は1944年12月号の表紙や各ページに「アメリカ人をぶち殺せ!」などとスローガンを入れ、「米鬼絶滅を期する一億の合言葉」を募集します。
12月号で米国人全般を対象にしたのに飽き足らず、1945(昭和20)年の新年号では、アメリカ女性に的を当てて、共働きは快楽のためと糾弾し、言外に日本の家制度を良しとしています。
修身を納めていた日本軍が、占領地で何をしていたのか。そんな自分の身を振り返る事こそ、大切なはずですが。とにかく外への憎悪を継続させないと国がやばい、となれば、特権階級も死に物狂いだったでしょう。こうした宣伝を真に受けたか、結局、庶民の手で戦争をやめさせることができなかったのが、権力者にとっては大きな成果だったでしょう。
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