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【ブックレビュー】レジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』【おすすめ本】

季節の変わり目ですがここでオススメ本『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』のご紹介を少し


 季節の変わり目ですが皆さまいかがお過ごしでしょうか?私は長引く風邪で咳と鼻水にまみれて暮らしております。かつてないほどティッシュペーパーを消費しております。繰り返す咳、そして咳のし過ぎによる腹痛と頭痛と首痛で料理する気が全く起きません。こんなんで保育園の送迎をしていいんでしょうか?
 そんな中、時間がないけど早く書いてしまいたいと、超適当ですがおすすめ本である『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』のブックレビューを書いています。だいぶ前に読んだ本なので内容をよく覚えていない上に手元にある癖に読み直すのも時間的・体力的に難しいため、論旨展開もハチャメチャでいい加減な内容ですがご容赦ください。

【ネタバレあり】本作の概要【不要なら読み飛ばし推奨】

 本作はここ10~20年でビジネスマンにはもうすっかり身近なものになった「ファスト教養」の歴史、そしてビジネスマンを取りまく環境、ファスト教養との向き合い方を書いています。
 ファスト教養とは「中田敦彦のYouTube大学」のような、主にインフルエンサーによる、ビジネスや財テクで勝ち抜くために、わかりやすく短時間で役に立ちそうな教養を得ることを目的としたコンテンツのことです。
 このファスト教養が蔓延する背景には『「VUCAの時代にこそ教養が大事」という命題』、そして自己責任主義が台頭した現代では自分を磨かないと社会から脱落するかもしれないというビジネスマンの不安があります。特に『ホリエモンリアルタイム世代』からの需要があります。
 VUCAとは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(あいまいさ)の頭文字を繋げた言葉ですが、確かにここ何年かはVUCAな時代です。
 著者はこのファスト教養をある程度肯定しつつも、ファスト教養の旗手であるひろゆきやホリエモンなどに共通する、自分だけが勝ち抜けばよい『公共との乖離』を『そんな社会の姿はさすがにバランスを欠いているのではないか?』と指摘しています。さらに、ファスト映画の跋扈や陰謀論コンテンツの氾濫に代表される文化・エンタメのファスト教養化が社会に浸透していることにも警鐘を鳴らしています。ファスト教養による文化の浸食が描かれた作品として、カルチャーを愛するカップルを描いた映画『花束みたいな恋をした』で紹介されています。
 そこで最終章では、ファスト教養との向き合い方、ファスト教養と共存しながらファストでない教養を無理なく身に着ける方法が提案されています。例えば、自分の「好き」を掘り下げて知識を身につけ、コンテンツを楽しむ方法が紹介されています。そして、最後にSMAPの『Joy!!』の歌詞である『無駄なことを一緒にしようよ』をキーワードにこれからの教養との向き合い方が書かれています。

身につまされつつも共感したり懐かしめる時代の書、だけど…

   私は赤べこのように何回もうなずきながら本作を読みました。
「そうそう、ああいうお手軽教養ビジネスコンテンツてあるよね~」
「池上彰の本がお手軽教養本として売れたよね~(池上彰本人はそんなつもりで書いたわけじゃないので困ってたらしいです)」
「私もホリエモンリアルタイム世代といやそうだから空気感わかるわ~」
「私もコスパよく知識や勝ち抜ける方法とかあったら知りたいわ~」
「自己成長しないと脱落するかもしれない不安、めっちゃわかる!!」
「でもお手軽に教養が身につくと信じるのもおかしな話だよね…」
「個人の人生や社会全体を豊かにするための教養なのに、いちサラリーマンが収入を上げるためにあるとするのもちょっとね…」
  おそらくホリエモン以降のビジネスマン、特に読書を自己成長に生かしたいビジネスマンが何度も身につまされる反面、共感する部分が多い著作でしょう。また、前半はビジネス本史・ビジネス用教養本史なので、「あー、あの時あんな本が売れたなあ」と懐かしむ一方で「今の若手ってこんな感じだなあ」とうなづく中高年の方も多いと思われます。
 中高年というと、最近の中高年が免疫がないせいか陰謀論にはまる人が増えているようですが、陰謀論コンテンツも問題視しているため、ちくっと言われるような気持になる年配の方もいるでしょう。また、コンビニに売ってるような「育ちの良い人は~~をしない」的なお育ちやマナーについてのファスト教養本は主に中年以上の女性が読みたがると見ています。
 あと、私には「中高年は仏教の教えを学びたがる」との持論があるのですが、五木寛之の読みやすい仏教本や瀬戸内寂聴の辻説法CD(昔はよく通販のCMで出てた)もファスト教養の一種でしょう。
 本作はまさに、ここ10~20年の社会を教養・文化・エンタメのあり方から見つめた時代の書というべき本でした。しかし、私は「ファスト教養はもっと昔に存在してたら、もっとみんな読んでるのでは?例えば意味のない読書を嫌がる農家でも読んでいたのでは?」という疑問も持ちました。

でも結婚して働きながら育児してると、道楽としてのカルチャーはやってられなくなるよね?

 著者は本作でファスト教養とエンタメ・カルチャーの視点から映画『花束みたいな恋をした』(以下「花束~」)を読み解きます。「花束~」は新潟出身の男性麦と東京出身の女性絹がカルチャーを通して愛を深めて同棲しだすも最後にはすれ違って破局する物語ですが、終盤でファスト教養的なビジネス本が登場します。
 イラストレーターの夢をあきらめて営業職に就いた麦は、絹を十分に養えるようにファスト教養的なビジネス本を読むようになり、お金稼ぎにつながらないカルチャーとの両立を諦めます。さらに、絹がエンタメ系の会社に転職するとなると、「仕事は遊びじゃないよ」「結婚しよ。俺が頑張って稼ぐからさ、家にいなよ」などと『前時代的なこと』を言い出します。 
 著者はこのシーンについて『カルチャーとファスト教養の相性の悪さ』『ファスト教養の考え方と古いジェンダー観の相性の良さ』と指摘し、麦の中の家父長制的な田舎の価値観が露出していると解釈しています。確かに「家にいなよ。」の下りは男尊女卑と言えばそうです。
 しかし、仕事と家庭生活、人によっては地域社会とのつながりを両立させようとすると、カルチャーは悪、ファスト教養含む役に立つ情報は善になりやすいのではないでしょうか?だってただでさえ両立は難しいのに、下手にカルチャーを楽しもうとするとお金か時間のどちらかがかかります。その場合、カルチャーは「道楽」になります。
 現に今この文章を書いてる私もこんな駄文を書くのをやめて、執筆中に「ママ、ママ!」と突撃する子どもと遊んだり自己研鑽に励む方が「正しい」のでしょう。今は夫が子供の面倒をみてくれてますが、申し訳ない気持ちがあります。だって必要な用事があるから面倒を見てもらってる訳ではないんですから。
 こんな書き方をすると「カフチョーセーは敵!」といわれそうですが、家父長制や男尊女卑でなく、家庭が大事なら性別関係なく道楽は控える方向になりがちでしょう。夫も子どもが生まれてからゴルフの練習はあまり行ってません。「行ったらええやん」とは言ってますが、なかなか行ってくれません。それは「カフチョーセー」ではなく「ある種の家族愛」で、「花束~」の麦も彼なりの愛があるのです。

「役に立つか」「真っ当な仕事につながるか」「社会から浮かないか」「コスパ」は庶民の文化活動にとって重要な指標になりがち

 ご老人の話を聞く限り、働いて子供を育てて地域社会にも貢献する普通の庶民にとって、役に立たない・コミュニケーションツールにもならないカルチャーは道楽としてのめりこんではいけないものだったのではないでしょうか?実は私はそれを極めて健全だと考えています。
 次に私が色んな方面から聞いた昔の農村でのカルチャーの扱いをいい加減に列挙します。地域や時代、性別によって違うでしょうが、まあ共通してるとの認識です。

・ムラの祭りなどみんなでやる行事はサボるな、町内会の旅行や食事会はみんな行こう
・学校や自治体のカルチャーセンター、あるいは庄屋などのリーダー格のイエが師範として教えてる文化活動以外、つまりみんながしてないカルチャーとは関わるな
・読書をするのは怠け者、読んでいいのは農協が出している本や雑誌
・ムラや家族のこと以外を考えてはいけない
・でもみんなで楽しむために地域のグループで楽しくやるカルチャー、地域復興につながるカルチャーならOK
・大学や専門学校でもお金にならない文学部や芸術系には進学するな
・でもリタイヤしたら小説を書いたり絵を描いてもOK
(余談ですが、大阪文学学校にはリタイヤしたから文学を堂々と楽しめるようになった地方のご老人がたくさんいました。)
・15~18歳になったら漫画やアニメは卒業
・周りがしてないカルチャーが趣味ならわざわざその話をするな

 ドン引きする人も多いでしょう。私も「正しさはわかるし、やれと言われたらやるかもだけど、守り続けるのは大変だな」と思います。しかし、家庭、そして家庭を取り巻く地域を守りたいなら持ってもおかしくない考え方です。特に子どもが生まれるとたいていの日本人は近所の公園や自治体の育児広場、公立の教育機関、地域見守り隊のお世話になるので、地域社会との連携を意識せざるを得なくなります。
 京都の田の字地区という都会中の都会で文化の中心地(ですよね!?)に生まれた職人さんの家系に生まれた、年配の理系研究者も似たような価値観でした。彼は立場上京都の文化には詳しく、いわゆる京都本も持っていたはずです。京都人として生きていくうえで自然に身についた知識なのでしょうが、京都文化について知ることは京都の地域社会で生きていく上では重要で、職人の仕事につながります。
 一方で、小説や漫画は意味がないから読まないとも言っていました。趣味のクラシック音楽は長らく楽しんでいますが、それでも道楽にできるだけお金をかけられるようにお小遣いの使い方には注意していたようです。
 話はずれますが、私の祖父も文化的な活動の愛好家でしたが、そこは庶民なので自分なりに制約があったようです。リタイヤしてからも内面化した価値観のせいか「働かなきゃいけない」と畑仕事をしていました。孫娘がこんな体たらくで申し訳ないのですが、祖父の生き方はかなり真っ当に感じます。
 たとえ役に立たないカルチャーを愛好していても、「役に立つ文化活動か」「真っ当な仕事につながるか」「社会適応につながるか」「コスパ」は庶民にとって重要な指標なのでしょう。なお、富裕層や高所得者層でも同じ感覚の人・イエはよく見かけます。今となってはコスパの悪そうな趣味の筆頭であろう茶華道も、コミュニケーションツールや素養として必要だから、それならやってても文句が出ないから、とやってる人もいます。

庶民の文化活動や教養に対するニーズがやっと表に出てきた結果がファスト教養

 仮に60年以上前に『農家の嫁が知っておきたい教養』とのファスト教養本を農協が出していて、そこにお勧め教養本が書いてあるとしましょう。「農民に学問や教養はいらぬ」「女は余計なことを考えるな、本なんか読むな」と言われた農家のお嫁さんだって読んでも許されたでしょう(昔の農家ならもっと保守的かな?)。ムラの女性たちがみんな読んでたらなおそうでしょう。対費用効果が高ければコスパ面も抜群です。
 ここまで露骨でなくとも農協は『家の光』という婦人向け情報誌を大正14年から出版しています。2025年で100周年です。すごいですね!カルチャーや教養への制約がきつかった農家の嫁でも『家の光』なら読んでも許されました。「役に立つ」「真っ当な仕事につながる」、そして農協が出版しているので「読んでいれば農村で浮かない」からです。
 でも昔はそんなコンテンツはなかったのでしょう。「庶民は役に立つ知識が手っ取り早く身につく教養コンテンツが欲しいんだよ!」と気づいてビジネス化する流れが出版界になかったか、みんな気づいていても「でも教養はそんなものじゃない」としてタブー視されたかです。
 しかし、その代わりに「雑学本」は30~40年前から出版されていたと記憶しています。役に立たないけど話のネタになる面白知識なら、手っ取り早く手に入れてもよいのです。しかも「雑」と卑近な漢字まで関しています。「手っ取り早く簡単に知識を手に入れるなら雑な学びでしかない」という感覚が出版界や知識階級にはあったのかもしれません。確かに、大学の研究室で「先生、手っ取り早く研究分野の知識を手に入れたいんでレジュメ作って下さい」と学生が言い出したら、教員は「真面目に論文を全部読め!」と怒るでしょう。
 となると、やっと今になって庶民が文化活動や教養に求める要素や願望がお天道様に顔向けできるようになり、ファスト教養が溢れるようになったのでしょう。

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