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子どもと大人が学び合う場をデザインしたい。「会いにいけるセンセイ」の、教育×子どもが軸にあるキャリア

教員(神奈川県)→民間企業(東京都)→教員(高知県)と働く環境を変えながら「教育と子ども」を軸にキャリアを歩まれてきた野崎浩平さん。

本業と並行して、学校の外でも現役教員と気軽に話せる場「会いにいけるセンセイ」や、誰も教えてくれない保護者のやり方を考える「みんなの保護者会」というユニークな活動や場づくりに意欲的に取り組まれ、「のざたん」の愛称でも親しまれています。

そんな野崎さんのキャリアの変遷や活動の原動力になっている経験、教育と子どもたちへの思いについて聞きました。

子どもたちの良いロールモデルになりたい

——野崎さんが教育や子どもに関わるお仕事に関心をもたれたきっかけは何だったのですか?

一番最初のきっかけとなったのは、私が高校2年生だったときに兵庫県で起きた少年犯罪事件です。連日報道されるニュースを聞きながら、ぼんやりと、「大人にもさまざまな人がいるのだなぁ」と感じていました。

その頃の僕にとって身近な大人といえば"学校の先生”で、生きる上でのロールモデルにしたいと思える人もいました。その一方で、事件の報道などから「責任をとることを避ける大人もいるんだ」と思い、僕は子どもたちの良いロールモデルになれるような仕事がしたいと思ったんです。

また、子どもは僕とは違う視点で世の中を見ていて、自分自身がいつも学ばせてもらえる存在だとも思っていました。そんな些細な感覚から、教員免許を取っておこうと思い、大学に進学しました。

——教員免許を取得されてから、実際にどのようなキャリアを歩まれたのでしょうか?

教員免許を取得していざ就職というときに、就職活動にも教員採用試験にも、全く興味がわかない自分がいました。どうしようかと悩んでいると、横浜市にある母校の私立中高一貫校の恩師に非常勤講師として働かないかと声をかけていただき、そこから4年ほど、理科の先生として働きました。

その間、さらに山梨にある予備校からもお誘いを受けて、山梨と横浜を行ったり来たりしながら先生の仕事をかけ持ちしていましたね。

仕事そのものは楽しかったのですが、不安定な働き方ではありました。この先どうしようかと思っていたときに、ベネッセで働いている友人に、新規事業で実験教室を始めていてスタッフを探しているということで声をかけてもらって。僕が小学校から高校の理科の内容を全部理解していて、かつ理科が好きだよねということで、一緒にやらないかと誘われました。

子どもが自分たちで実験する場所を提供するというのもおもしろいなと感じたので、ベネッセに転職しました。

お話を伺った「のざたん」こと野崎浩平さん

——民間企業への転職を決めた理由の中にも、やはり「教育と子ども」という軸があったのですね。その後、再び学校の先生として教育現場に戻られたのはなぜですか?

実験教室の仕事は、子どもたちとの関わりがおもしろくてやりがいを感じていたんですが、働きすぎてしんどくなってしまって...。ちょうどその時期に起きたのが、東日本大震災でした。

今でも覚えているんですが、週明け、出勤するために僕は自転車で自分の勤務先の教室に向かったんですね。そうしたら、動いていない電車に向かう大人がたくさんいたんです。

「僕のやっていることの先って、これなのか?このままで本当にいいのだろうか?」と、人生について考えるきっかけになりました。

ちょっとのんびり地方で過ごしたいなと思い、妻の実家がある高知県に移住し、教育からも一旦離れてみようと思って事務職の仕事をやってみたのですが全く性に合わなくて(笑)。

教育の仕事ってないのかなと思った矢先に、私立の学校で理科の先生ができる人を探しているという話がたまたま聞こえてきて、それならやろうと思い、教育現場に戻りました。そのあとも学校を転々と変わりながら今に至っています。

——まるで教育現場に引き寄せられるようにして戻ってこられたのですね。企業という教育とは異なるフィールドを経てから学校現場に戻られて、何か感じることはありますか?

2つあります。1つは、転職を重ねる中で、自分は授業だけではなく、コミュニティ作りや人の動き、学校のデザインといったところに強い興味関心があることを感じていました。

ですので、学校には戻るけれど、学校以外での活動も大切にしたいと考えて、現役教員と気軽に話せる「会いにいけるセンセイ」という場づくりや、誰も教えてくれない保護者のやり方を考える「みんなの保護者会」という活動を始めました。

野崎さんの活動の様子

もう1つは、学校の先生に戻ってみて「学習指導要領は変わっていくのに、僕が受けた20年前の教育と同じことをやっている。変わっていないことがたくさんある」という違和感でした。これには強い危機感を覚えましたね。

せめて自分がやりたいと思う教育を実践できる環境に身を置きたいと考えて、現在は土佐塾という私立の中高一貫校で理科の教員をしています。また、探究型の教育を学校現場に取り入れようと、新しいコースの立ち上げにも関わっています。

同僚、そして他校の教員仲間と一緒に

経験があるから語れることがある

——学校の先生として働く上で、民間企業に勤めていてよかったと感じるのはどんなところですか?

子どもたちに「そんな人生もありなの?」と興味を持ってもらえる点かな。

ベネッセを辞めて先生になったと言うと、生徒たちはドン引きするんですよ(笑)。わざわざ大企業を辞めて、地方で先生になる意味が分からないと思うみたいで。

私が大事にしていることとして、嘘を言わずに、自分が経験したことで、伝えられることは伝えようと思っています。今の時代、実際に大企業を辞める人はたくさんいるし、ずっと同じ会社で働き続ける人の方がもしかしたら少ないかもしれない。実際に自分が経験しているからこそ、「キャリアは自分で決めて作っていいんだよ」「メリットとデメリットがあるよ」みたいな話が正直にできる。

いわゆる、先生になるための一般的なルートを通ってきていない僕の話だからこそ、子どもたちは「いろいろな選択肢があるんだな」「そういう生き方もありなのか」と感じてくれるみたいです。

子どもたちの選択肢や視野を広げられたらいいなと思っているので、そんな関わり方ができるのは、民間企業と学校現場の両方を経験していてよかったと感じる点ですね。

——野崎さんは、ご自身で一般社団法人を立ち上げるなど、学校の中に限らずさまざまな場で子どもたちの声を聞く活動をされていますよね。その中で意識していることや感じている課題はありますか?

これは企業に勤めていたとき、チームで仕事をするときにも大事にしていたことなのですが、相手の言いたいことを「そのまま」受け止めて、理解することを意識しています。

というのも、子どもたちは自分の親だったり担任だったり、身近な大人に対して、話したいことが話せないときがあるらしいんです。僕が個人活動として行っている「会いに行けるセンセイ」という活動では、相手の話を「うん、うん」とただひたすらに聞きます。

すると、何かアドバイスをしたわけでもないのに、「聞いてくれて助かりました」「聞いてくれるから話せます」と言われます。話したからといって解決するとも思っていないけれど、悩んでいるんだということを否定せずに聞いてもらいたかったのだと。「聞いたよ」と言うと、「ありがとう」と言われて終わり。

ただそれだけなんですが、相手を「そのまま」受け止めて話を聞くというスタンスを大事にしたいと思っています。子どもたちが僕に話をすることで自分の中で何かが解消し、自分で決めて歩き出すときは、少しだけ寂しいですが、すごくうれしい瞬間です。

一方で、理由や背景はいろいろあると思いますが、学校や大人が、子どもたちの「そのまま」を受け止めることが難しい現状があるということは課題に感じています。

レゴを使用したワークショップの様子

——子どもたちの「そのまま」を理解するために、「聞く」以外に大切にしていることはありますか?

「待つ」ことも大切にしていますね。困って、向こうから来るまではじっと待ちます。

当然ながら子どもたちにもいろいろなタイプがいて、大人からアプローチすることで動き出す子もいれば、じっくり自分で考えるまで待っていてほしい子もいる。だから、大人の対応にも多様性があることが一番いいかなと思っているんです。

最近の子どもたちを見ていて、 自分で決められない子が増えてきたように感じます。自分の進路も自分で決められない。 自分で決められないから、進学したり就職したりしてもうまくいかない。

だったら、早い段階から「自分で決めていいんだよ」「君はどうしたいの?」という声がけを、延々とし続ける大人が一人ぐらいいてもいいだろうと思っています。「頑張れ。自分で決めてみたらいい。失敗したら、僕がクッションぐらいにはなれるから、痛かったら来たらいいんじゃない?」という思いで接しています。

自信を持って自分の人生を歩こう

——先生という職業は魅力的である一方で、ハードな働き方が話題になることもあります。働き方の面で何か工夫されていることはありますか?

「やれないものはやれない」とハッキリ言って、自分の業務の線引きをきちんとします。

企業で働いていたときにそういうスタイルだったこともありますが、「ここまではできます、ここからはできません。なぜならば、こういう理由だからです」と説明できれば、 そんなに大変じゃないように感じています。

僕も皆さんと同じように、時間にもやれることにも限りがある。先生ではあるけれど、“野崎浩平”としてやりたい活動もある。なので、そのために時間を一生懸命作ります。

「先生という仕事はやりたくてやっていることだ」という感覚が抜けないと、仕事とプライベートが混ざってしまい疲れてしまうので、そこは混ぜこぜにしません。先生としての時間、私個人としての時間を自分の中で切り分けています。 

自分の「心地いい働き方」を作り続けるためにも、先生自身も「自分で決める」という姿勢を持っていることが大切だと思います。

学校の先生は、「自分で決める」ことができる場面がたくさんあるということも、企業で働いていたからこそ感じます。そして、それを先生が大事に思っていれば、子どもたちも同じように、きっと自分自身で決めていくんだろうな、とも思っています。

——今後の教育現場での展望や、学校で挑戦してみたいことはありますか?

子どもと大人が一緒に学び合うような場づくり、関係性をデザインすること。今すごく興味があるのはそういうことですね。

正直、学校だけで「教育」をやることに限界を感じています。なので、僕は学校から外に積極的に出ていって、社会にいる人たちとコミュニケーションをとりながら、「子どもたちのためにできることはあるかな?」ということを意識して探し続けています。

——最後に、教育業界や先生という職業に興味がある読者の方にメッセージをお願いします。

自分の人生、自分で決めて歩んで大丈夫です。企業勤めの頃も、子どもと向き合っている今も同じことを感じますが、やはり自分で決めて動き出した人はものすごく成長するし、変わっていくんですよ。

だから、やってみたいと思ったらやってみたらいいと思います。自信を持って自分の道を歩んでいく感覚を持っていると、それが子どもたちにも伝わるし、自分にもかえってくる。

子どもや教育と関わるおもしろさはそこにあると思っています。

取材・文:鈴木育実 | 写真:ご本人提供

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