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子どもとの間に壁をつくらないあり方を大切に。逗子の小学校教員が語る、“企業”での勤務経験と“教員”という仕事への思い

神奈川県にある逗子市立久木小学校で、研究主任として、日々子どもたちの主体的かつ探究的な学びを研究、実践している大窪昌哉さん。

そんな大窪さんは教員になる前の約7年間、一般企業で経理の仕事に従事していたという。そこからなぜ、どのような経緯で教育現場に転職することを決意したのだろうか。

また、企業での経験が自身の教育観にどのような影響を与えているのか。その後の14年間の教員生活で実感していることと合わせて、話を聞いた。

人ともっと関わりたくて、教員の道へ

——大窪さんは教員になる前に、7年間一般企業で働かれていたそうですね。その経緯を聞かせていただけますか?

お話を聞いた大窪昌哉さん

私は4年制大学の経済学部に通っていたのですが、中学校の社会科の教員免許を取得するために、2年生の途中まで教職課程を履修していました。もともと一般企業に就職するか教員になるかで悩んでいて、教育実習と一般企業の就職活動の時期が重なる3年生に上がるまでに、どうするか決めようと考えていました。

実は、私の祖父が山口県で長年教員をしていて、祖父に対する憧れが私が教員を目指す大きな理由の1つでした。そこで、祖父に進路のことを相談したところ、「一度社会に出て自分の実力を試すのもおもしろいんじゃねえか?」とアドバイスされ、悩んだ末に一般企業への就職の道を選びました。

——就職した企業では、具体的にどんなお仕事をされていたのですか?

私が勤めていたのは、外国のコンテナ船で日本の港に運ばれてきた荷物を、大きなガントリークレーンでトレーラーやトラックに積み込む仕事を請け負う作業会社でした。

私はその会社で、取引先の入出金管理、いわゆる経理の仕事を担当していました。具体的にはその月の取引内容に応じた入出金伝票を作ったり、取引先をまわったりするというルーティンワークです。

——実際に働かれる中で、ご自身の中でどんな変化があって教員の道に進むことになったのでしょうか?

最初の1〜2年はとにかく仕事を覚えることに必死でした。ただ、年数が経つにつれて、経理という仕事が本当に自分に向いているのかというモヤモヤした気持ちを感じるようになって。

経理の仕事では毎朝いろんな銀行に通うのですが、そこで出会う人たちとのやりとりが楽しくて、もっと人と関わる仕事がしたいと思い始めたんです。その後、営業職に転属希望を出してみたりチャンスをうかがったのですが、転属は叶わないまま時が過ぎていきました。

前職は一般企業で経理の仕事をされていた大窪さん

モヤモヤする日々を送る中で、もう一つの選択肢だった「学校の先生」が頭に浮かんできました。ただその時点では、教員になるには4年制大学に入り直して初等教育の免許を取得する必要があると思い込んでいたので、30歳を過ぎて流石にそれはないなと諦めていました。

そんな折、高校の同窓会で当時担任だった先生にそのことを相談したところ、「大窪さんは4年制の大学を卒業しているよね。通信制大学であれば、2年で教員免許が取得できるよ」と言われて。それを聞いて、次の日にはもう必要書類を取り寄せ、その翌週には願書を出しに走っていました(笑)。

——その先生の一言で、大きく道が開けたのですね。

そうですね。2004年の9月に通信制大学に入学して、最初の半年は会社に勤めながら勉強していました。でも、やはり仕事をしながらの勉強は厳しくて、半年で4単位しか取れませんでした。

当時、神奈川県の教員採用は35歳までという年齢制限があったので、このままいくと40歳を過ぎてしまうと焦り、その翌年の3月末に会社を退職して教員の道に集中しようと決心しました。

その後、教育実習と非常勤講師としての1年半を神奈川県逗子市にある沼間小学校で過ごすことになります。それが私の教員としてのキャリアのスタートでした。

転職を通して感じた、教員の楽しさと大変さ

——教員の道を歩み始めて14年目とのことですが、教員を目指す原点はどこにあったのでしょうか?

先ほど教員だった祖父に憧れがあったというお話をしましたが、まさにそこが原点です。

祖父は中学校の国語科の教員で、私が夏休みに祖父宅に遊びに行くと、教え子たちと一緒に家で麻雀を打っていたりするようなとても破天荒な教員でした。自宅が教え子たちが集まるサロンのような場所になっていて、そこに卒業生も加わって毎晩のように文学談義で盛り上がっていたという話も聞いたことがあります。

そんな祖父の、生徒との間に壁をつくらない接し方を見たり聞いたりしていて、「教員っておもしろい仕事だな!おじいちゃんかっこいいな!」という強い憧れがずっとあったんですよね。

祖父だけでなく、小学校1〜3年生のときの担任の先生にも、出会っていなければ教員の道を選ばなかったと思うくらい、影響を受けた一人です。土曜日に一緒に釣りに連れていってくれたり、学校外でドッジボール大会を企画してくれたり、教員と生徒の関係を超えた関係性でした。

 いわゆる型にはまらない先生たちとの出会いが、「教員になりたい!」という私の思いに強く影響したことは間違いないと思います。

——教員という枠にとらわれず、子どもと同じ目線で接している姿や、一緒になって楽しんでいる姿が、大窪さんの理想の教員像にも大きく影響しているのでしょうね。

そうかもしれません。一番最初に沼間小学校に入職したときに、休み時間に子どもたちとドッジボールをしたのですが、すごく楽しくて。「ああ、これが仕事なんだ!」と感動しました。

他にも、運動会の企画を同僚と一緒に考えたときは、全教職員が一丸となって取り組んでいる輪の中にいる感覚があって、なんとも言えないワクワク感や高揚感を感じました。

子どもと教員の垣根を取っ払って遊んだり、仲間と一緒に何かをつくり上げることが楽しいと感じるのは、私がこれまでに出会ってきた先生の姿が大きく影響しているのではないかと思っています。

——企業から教育現場に身を移し、驚いたことやギャップに感じたことはありますか?

学校現場に来て一番びっくりしたのは、社会人1年目の先生へのサポートの違いです。

企業では新卒社員を、先輩社員がマンツーマンでついて仕事の仕方を教えてくれてます。それから3カ月くらいで、ようやく仕事を一人で任せてもらえるという流れでした。ですが、小学校では新卒ですぐに、一人でクラスを担任することが多いですよね。

私はたまたま非常勤講師としての経験があったので、ある程度学校の様子はつかめていたし、企業勤めの経験から仕事上の作法やコミュニケーションまわりのビジネスマナーは理解できていました。でも社会人経験がない状態でクラスを任されるのは、かなり大変なことだろうと思いました。

まずは、教員という仕事を楽しむこと

——教員としても社会人としても1年目、という状況は確かに大変そうです。企業での勤務経験が、学校現場で生かせているという点について、もう少し詳しく教えていただけますか?

1つは「企業で働いていたという経験そのものが、子どもたちや同僚である先生方や保護者の方々からの信頼につながっている」ということです。結局は人と人とのつき合いなので、自分の人となりを知ってもらって、お互いに信頼関係を築いていくことはとても大切です。

私の場合は「企業でさまざまな経験をしてきた」というキャリアに、周囲の人が付加価値を感じてくれているようです。企業での経験があるからこそ、良い人間関係の構築につながっているように思います。

どこの業界でもあることですが、学校現場にも特有の常識や慣例みたいなものが少なからずあります。もし私が教員からキャリアをスタートさせていたら、そこに疑問を持つことは難しかったかもしれませんが、企業を経験したからこそ学校の慣例にとらわれないでものごとを考えることができていると思います。

子どもたちにも「なぜそれをやるのかを自分で考え、納得した上で行動すること」が大事だと日々伝えていますしね。

——これから教員の道に進もうと考えている方に伝えたいことはありますか?

実は私自身、学生時代はあまり勉強ができない、どちらかというと不真面目な生徒でした。当時の担任の先生に「お前よく先生になれたな!」と言われるくらいで(笑)。だからこそ、勉強やコミュニケーションがうまくできない生徒の気持ちが分かるような気がしていて。

先生は一般的に「一生懸命で真面目、頼りになる人」というイメージが強いですよね。でも本当はもっと気楽に、いい意味でフランクになってもいいんじゃないかなと思います。

その上で、まずは何よりも教員という仕事を自分自身が楽しむこと

人と人とが直接関わる仕事である以上、うまくいかないことや大変なことは勿論あります。でもあまり難しく考えすぎず、まずは子どもと一緒にいることを楽しむことが、とても大事になると思います。

——まずは楽しむこと、ですね。教員を10年以上経験された現在も、大窪さんが先生という職業を楽しんでいることが伝わってきました。

ありがとうございます!先日とあるラジオ番組で、現在中学1年生の元教え子4人と「学校ってなんだっけ?」というテーマの座談会をしました。

その番組の中で彼らが自分たちで主体的に学ぶことや、生徒同士で互いに学び合うことの大切さについて語ってくれたんです。その内容は、まさに私が日々伝えていることそのものだったので、本当にうれしかったですね。

子どもが自立して生きていくために、主体的に学ぶ力は何よりも大事。教員という仕事を通じて、そのことを広く社会に伝えていけたらと思っています。

学校の主役は子どもたちなので、いろいろなことの主語が子どもであるべき。そのためにも、学校はもっと多様で、もっと自由な場所でいいと思うんですよね。教員として、子どもが多くの選択肢を持てる未来をつくっていきたいです。

取材・文:芝田 陽介 | 写真:竹花 康