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宇宙飛行士を目指して自衛官になり、今は高校教諭に。挑戦を繰り返した数学科教諭が子どもたちに伝えたいこと

自分が教員になったとして、自信を持って子どもに伝えられる「何か」があるだろうか?

教員を目指す人の中で、この問いに逡巡する人も少なからずいるのではないだろうか。自衛官を経て、現在は公立高校の教員として数学を教える舘弘士さんも、かつてはそんな若者だったという。しかし、教員になるまでに経験した数々の挑戦が、今に活きていると感じることは多々あるようだ。

自衛官から教員の道へキャリアチェンジした異色の経歴を持つ舘さんに、これまで歩んできた道や今の仕事についてお話を伺った。

異色の挑戦と挫折を経験して教員の道へ

――学校の先生になる前は、自衛官や宇宙飛行士採用試験を受けるなど、ユニークな経験を積んでこられたそうですね。これまでの歩みについて簡単に教えていただけますか?

大学卒業後からお話すると、理学研究科数学専攻の大学院に進学し、2年の修士課程を経て、博士課程1年まで進みました。当時は数学を研究していきたいと思っていたんですが、将来への不安も感じていました。

そんなとき、たまたま高校で非常勤講師をする機会をいただいて、1年間、高校で数学を教えていました。ただ、自分は数学を教える以外に生徒に何かできることがあるかというと、自信もなくて。もっと自分のために時間を使いたいという思いもありました。

そんなときに、「宇宙飛行士に挑戦してみたい!」という思いが湧いてきて。自衛隊のパイロットを目指そうと思い至り、博士課程を途中で辞めて自衛官の道を目指しました。

航空自衛隊時代の舘さん

高校生のとき、僕は体育が嫌で嫌でしかたがなかったような生徒だったのですが、大学生になり運動も好きになり、自衛隊に入ってもっと自分を磨きたいという思いもあったんだと思います。

ただ、実際に航空自衛隊に入隊してパイロットの訓練に入ると、自分には操縦の適性がなく壁にあたりました。宇宙飛行士を目指すならば、自分が活躍できる領域で経験をしっかりと積んでから目指そうと考え、パイロットとしてではなく、技術者として戦闘機の開発に関わることを決めました。

そのような中で、自衛官12年目の年に何年かぶりの宇宙飛行士の採用試験が実施され、受験しました。しかし、結果は残念ながら二次選抜で諦めることとなりました。

――夢叶わなかったものの、誰もが経験できるものではない、とても貴重な挑戦をされたのですね。そこからなぜ教員になられたのでしょうか?

実は宇宙飛行士の採用試験と同時に、岐阜県の教員採用試験も受けていたんです。自衛官のときにチームのリーダーとしてグループ運営を行っていた経験があったので、チームで働くことの素晴らしさや後輩の育成等、教員として伝えたいものが見つかったと思ってのことでした。

そして、晴れて教員採用試験の方には合格し、岐阜県の教員になることができたという経緯です。その後、自衛官と同期間である12年間教員として勤務し、13年目からは教育委員会で働いています。

——「人に教える仕事」はたくさんある中で、公立学校の先生への転職を選んだ理由を教えてください。

もともと非常勤講師として学校で働いた経験があったので、教員という職業への転職は常に意識していました。それに加えて、僕は自衛官だったので、国に貢献したいという気持ちが強く、それならやはり公立学校の先生として働きたいという思いは持っていましたね。

また、自衛隊ではアメリカに2年間も行かせてもらっていたのですが、その成果をあまり還元することなく辞めてしまったので、形は違えど、もう少し国に貢献したいという使命感もありました。

教え子の成長を見届けられる幸せ

——教員になってやりがいを感じるのはどんなときでしょうか?

生徒が卒業後に僕を頼ってくれたり訪れてくれたときなんかは、やっぱりうれしいですね。在学中は手を煩わせてくれた生徒が、卒業した後に連絡をくれて、一緒に沢登りをしたり探検に行ったりすることがこれまでにもありました。

先週の土曜日にも、教え子から「車が壊れて修理しているのだけれど直せない」という連絡が入って。僕は車の修理が好きなので、彼の家に行って、ミッションを降ろしてクラッチを分解し組み立て直す...という作業を一緒にやりましたね(笑)。

生徒たちの成長は、残念ながら在学中にはあまり感じないのですが、卒業した後に彼ら・彼女らと接するとものすごく感じるんですよね。

自分が何ができたのかと自問することもありますが、一人ひとりの生徒が何かしら問題を抱えながらも力強く成長していく姿を見届けられる。こんな幸せな仕事はないと思いますね。

——卒業後も関係が続いていくのは素敵ですね。一方で、異業種からの転職だったからこそ苦労したことや大変だったことは何かありますか?

生徒と一緒に取り組むと本当に何でも楽しいですよ。僕は生徒には負けたくないので、バドミントンの部活動では練習をやりすぎて、膝を2回も手術したほどです。午前中の部活なのに午後も体育館が使えれば一緒にひたすら練習したことも何度もありましたね。

ただ、自衛隊のときに比べると、時期によっては休日がなくなるような場合もあって、大変な点を挙げるならそうした働き方の部分かなと思います。

子どもたちが頑張っているから、その様子を見て先生方も一生懸命になるわけです。でも、休みなく数週間働くのはどんな先生でも大変です。やりがいのある仕事だからこそ、この部分は何とかしないといけないとは思いますね。

——現在は教育委員会で仕事をされているということですが、もし教員として現場に戻ったとすると、どのような活動に力を入れていきたいですか?

現在は教育委員会のICT担当指導主事として、岐阜のある地域に所在する学校のICT教育推進の支援を担当しています。

僕自身は、1人1台タブレットが導入された年度の終わりに、授業で少しだけ試して、すぐに教育委員会に異動となりました。教員として現場に戻ったら、1人1台タブレットの環境だからこそ生徒に体験させられる数学の授業を実施してみたいですね。

現在は教育委員会のICT担当指導主事を務める舘さん

探究活動が重要視されていることもあって、以前、自分なりの探究プログラムを作ったんですよ。現在は「授業・校務活用素材ポータル」というサイトに「探究活動で使えるフェルミ推定講座」というタイトルで一部が掲載されているのですが、それをブラッシュアップして、生徒たちがやる気を持って取り組めるような探究活動のプログラムを作り上げたいですね。

また情報の授業を持っていた際に、情報が入試科目になることを見越して、同僚の先生と協力してカリキュラムを作り、授業の中に探究的な取り組みを入れたことがありました。その授業を受けた生徒が非常に喜んで学んでくれて、「情報の授業が楽しかった!情報の先生になりたい」と言ってくれました。そうやって言ってくれることは本当にうれしいので、このカリキュラムをもっとブラッシュアップしてより生徒が楽しんで学んでくれる形にしていきたいなと思いますね。

舘さんだから伝えられること

——自衛隊のときに身につけた考え方やスキルで、現在の働き方に生かされているものはありますか?

やはりさまざまな経験や挑戦を繰り返してきたことが現在に活きていると思いますね。

戦闘機の開発過程では、数学の中でもかなり最先端なものが使われていますが、高校で学習する内容でも理解できることが数多く含まれているんですよ。だから、数学をこうやって活用するんだということを伝えられるのはかなり有利です。

特に今はタブレットが1人1台入ってきて状況が大きく変わりました。昔はパソコンを使って体験させようとしてもコンピュータ室の空き時間を一生懸命探して、時間割をなんとか調整しないと生徒たちに体験させられなかった。

でも今はそんな学びがいつでもできる。これはとても素晴らしいことで、待ちに待った環境だなと思います。

——多くの挑戦をしてきた舘さんだからこそ、子どもたちに伝えらえることがありますね。

僕の人生は、挑戦と失敗を繰り返してきました。その中で伝えられることが見つかったかなと思っています。

パイロットとしての適性がなかったり、宇宙飛行士になれなかったりと、うまくいかなかった部分はありますが、多くの人がおもしろそうだけどやらないような挑戦をしてきたという自負はあります。

だから、挑戦することに対して臆病になる必要はないんじゃないか、やりたいと思ったらやってみればいいんじゃないか、ということは自信を持って伝えていけると思っています。

それこそ博士課程1年のときには、コーヒーを飲みながら1日中数学の話をしているような生活だったのが、自衛隊に入隊したその日から、戦闘服を着て泥の中を這いずりまわる生活に変わったんですよね。100kmの距離を重い荷物を背負って歩くこともありました。追い込まれて体がボロボロになりもう倒れようと思ったこともありました。

しかし、そんな状態でも重要な役回りが回ってくると、体から痛みが消えて自由に動き回る事ができたんですよね。自分が思っているほど限界は近くにないと思える素晴らしい経験でした。

生徒に無茶はさせられないけれど、いろいろな経験を伝えて生徒の背中を押してあげることはできるのかなと思っています。

——自衛隊のときと現在で変わらず大事にされている考えはありますか?

楽しく毎日を過ごすことを大事にしています。僕は自衛官のときに自衛官の心構えを学びました。「使命の自覚」「個人の充実」「責任の遂行」「規律の厳守」「団結の強化」の5つです。

もちろんどれも大事ですが、この2つ目には「個人の充実」があります。これは少し不思議な気もしますが、個人が充実しないと国も守れないだろうという考えから2つ目に挙げられているんじゃないかと思っています。やっぱり学校も同じで、教員が充実しないと、生徒も幸せになれないと思うし、押しつけになってしまうと思うんです。そういう意味で、日々の生活を楽しく過ごすことを大事にしています。

昔は我慢できる人材を育てることが日本の経済発展の基礎の1つになり、国の豊かさを享受して幸せな人生を送れたのではないかと思います。しかしこれからは、それだけでは人が幸せになれない時代になっていくのではないでしょうか。

「幸せな人生を送る」ことを教えてあげる必要があると思っています。そのためにも、教員自身が充実した生活を送ることが大事ですよね。自分の両親以外で接する大人は先生だけ、という生徒も案外多いと思います。だからこそ、色んな先生がいていいと思うんですよね。その中でこんな大人になってみたいと思える大人を見つけてもらえばいいんじゃないかな。

——素敵な考え方ですね。最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

「生徒を育てる」という仕事は、やはり非常にやりがいのある仕事です。そして、社会人として教育ではない別の職業に就職して、キャリアの途中で「先生になりたい」という気持ちが芽生えるケースも多いように感じます。

ですので、例え最初は違う仕事に就くつもりだとしても、将来的に教員を目指してみたいという思いがある場合には、早めに教員免許を取っておくことをお勧めします。仕事に就いてから教育実習に行って免許を取るのはなかなか大変なので。僕自身も、教員免許を取得したのは教員採用試験の受験と同じタイミングだったので間に合うか焦りました。

僕みたいに、挑戦しながら色んな体験をして、ちょっと回り道をしてもいいから教員になりたいという人がいてもいいと思うんですよね。今は年齢などの門戸も広がっていますので、ぜひ教員になりたい人は目指していただきたいなと思います。

取材・文:管谷 雅紀 | 写真:ご本人提供