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教育現場のワオキャリア | 先生のキャリア

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教育現場の多様なキャリアストーリーを紹介しています。
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#教育

知ってほしい、農業高校のこと。動植物の命や地域の文化・つながりの中で生き生きと働く、農業科教員の挑戦

学校教育において重視されるようになった探究学習。令和の時代の新たな教育トレンドのように語られ、さまざまな実践が行われるようになった。 そんな中、子どもたちが主体的・探究的に学ぶプロジェクト学習が昔から根づいているのが農業高校だ。地域と連携して地域の課題解決に向かって取り組む授業や、農畜産物の命と共にある日々の中で、生徒も必死になって考え、学び、導き出したことを実践している。 そんな農業高校を「学びのテーマパーク」と表現し、生徒はもとより、教員が働く場としても魅力的だと語る

企業の製造現場から、工科高校の先生へ。子どもたちと向き合い、それぞれの人生の道を一緒に模索する存在でありたい

「自分の人生をどう生きるかという視点を、子どもたちに届けたい」 そう熱く語るのは、大阪府立佐野工科高等学校で進路指導主事をしている赤穂遼さん。赤穂さんは教員になる以前、川崎重工業株式会社で製造管理の仕事をしていた。広大な敷地を行き交い、一日2万歩を数えることも珍しくない日々。そんなモノづくりの現場で、人と人とを結び合わせ、成果を上げてきた。 そんな赤穂さんがなぜ、学校の先生に転職したのか。そして、製造管理の経験が学校現場でどう生かされているのか、話を聞いた。 拗ねていた

先生は社会を作る重要な担い手。仕事と育児の両立への悩みから、オランダに移住して見えてきた教員という仕事の本質とは?

2019年よりオランダに移住し、現在はオランダと日本の教育をつなぐ会社Edubleを立ち上げて代表を務める三島菜央さん。 三島さんは、高校中退を経験し大学に入学。留学、ベンチャー企業での勤務、高校教諭といったさまざまなキャリアを経て、現在のオランダ移住に至っている。 多様なキャリアを歩んできた三島さんが、なぜ教育分野の仕事を選んだのか。なぜ高校教諭を退職した今も、オランダの教育についての発信を行っているのか。それらの理由について三島さんに詳しく話を聞いた。 教育分野を志

子どもが成長する瞬間は、刺激的で美しい。学校という「モノづくり」に挑戦する校長のキャリアヒストリー

2022年4月に東京都世田谷に開校し、代々木校、吉祥寺校と新しい学校を展開しているオルタナティブスクール・ヒロック初等部。同校は、子どもが主役となって「育ち」や「学び」を広げているスクールだ。 今回話を聞いたのは、開校当初からヒロック初等部カリキュラムディレクターを務め、2023年9月よりヒロック初等部2校目となる代々木校の校長を務める五木田洋平さんだ。 学校の立ち上げだけにとどまらず、音楽活動や書籍の執筆等、多岐に渡って活動する五木田さんが、これまでどのようなキャリアを

ハイテックハイでの留学、長期のフリーター生活を経て、教育の道へ。教育に多様な大人が関われば、生徒にも先生にもプラスになる!

高校在学中に、アメリカ・サンディエゴにあるプロジェクト型学習に特化した高校・ハイテックハイに留学した経験を持つ岡 佑夏さん。 現在は、日本全国をキャンパスに地域を旅して学ぶ大学・さとのば大学で、高校と大学をつなぐのコミュニティ運営や、一般社団法人STEAM JAPANで、探究のカリキュラムデザインを担当している。 教員ではない立場から教育に携わる岡さんに、キャリアヒストリーと教育への思いを聞いた。 多様な人の得意や好きが生きるプロジェクト型学習 ——岡さんは現在どのよ

デザインが持つ価値と「本質的課題解決」を教えるデザイナー先生。なぜ今の世の中にデザイン教育が必要なのか?

「デザインの本来の価値と意味をしっかり伝えていかなければいけない」 そう語るのは大阪の高校でデザインを教えている芝田陽介さん。 芝田さんは、普段は企業でデザイナーとして働きながら、週に一日、「本質的課題解決のためのデザイン」という名前の授業をしている。 デザインと聞くと、テレビCMや雑誌や新聞の広告など、キラキラした世界を連想するかもしれないが、芝田さんが教えているのは、広告やチラシの作り方ではなく、世の中のあらゆる問題を解決するためのデザインの考え方だという。 問題を

必ず仲間がいるから、心配しないで。教員志望に不安を抱える人に、教員養成に従事する大学教授が伝えたいこと

中京大学で教員を志す学生たちのサポートに注力する教授の久野弘幸さん。 久野さんは教員を目指し教育大学に進学するも、教員の道を諦め一般企業に就職した。しかし企業勤めや海外の学校での勤務を通して、教育の魅力を再確認し、大学院に進学。教員になるために進学したはずだったが、研究にのめり込み博士号を取得。大学教員の道に進んだ。 さまざまなキャリアを経験した久野さんは、教員という仕事にどのような価値や魅力を感じているのだろうか。大学教員として日本の学校現場や教員を志す学生と多く関わっ

一人ひとりの名前を呼べる距離感で仕事がしたい。元広告プランナーが、たった1年半で教育現場に転職した理由とは?

新潟県糸魚川市では、市内にある県立の3高校へ「高校魅力化コーディネーター」という人材を派遣している。高校魅力化コーディネーターは、実際に高校に出向いて授業のサポートなどを行う。 2022年10月より糸魚川市の高校魅力化コーディネーターに着任したのが、齋藤希さんだ。新卒で入社した広告代理店を1年半で退職し、学校現場に飛び込んだという齋藤さんは、教育業界の魅力をどのように考えているのだろうか。詳しく話を聞いた。 高校生一人ひとりの名前を呼べる距離感の仕事がしたい —— 齋藤

子どもたちそれぞれのNo.1を一緒に見つけ、褒められる経験を。人生の針路に迷走した教育者がたどり着いた教育×デザイン

東京都の有明に2021年にオープンした、ひらめきをカタチにする企業ミュージアム「AkeruE(アケルエ)」。子どもたちの知的好奇心と「ひらめき力(ギリシャ語でEureka)」を育む場として、“学び”と“モノ・コトづくり”を体験できるユニークな施設だ。 ここAkeruEで、現在プログラムディレクターを務めているのが、小学校で非常勤講師の経験を持つ鈴木順平さん。 鈴木さんは教育学部を卒業するも、学校の先生にはならずにデザイン専門学校へ進学した。自分の強みは何かが分からず、ずっ

民間企業から小学校教員への転職、そしてドイツでの暮らし。たくさんの寄り道をして感じた「自分を知る」ことの大切さ

幼い頃より小学校教員に憧れ、大学は迷わず教育学部に進学。将来は教員になることが既定路線だったにも関わらず、民間企業への就職を選んだ名越さん。 大学院まで学んだアートへの関心と刺激的な出会いを求めて、画材・オフィス事務用品を扱う民間企業などで約3年働いた後、小学校の先生の道へ。 さまざまなキャリアという寄り道を経験した名越さんは「ちがいは学び」をモットーに、「自分を知る」ことの大切さを子どもたちに伝えている。そんな名越さんのキャリアヒストリーについてお話を聞いた。 美術教

上下関係ではなく、対等に生徒と関わる先生でありたい。企業と中・高・大での勤務経験を経て辿り着いた生徒との向き合い方とは?

「教員は世間知らず」と認識されがちな風潮が嫌で、大学教員を辞めて民間企業を経験してから、再び教員の道に進んだ牛込紘太さん。 一言に「教員」といっても、中学校・高校・大学という校種の違いだけでなく、専任教諭・非常勤講師、全日制・通信制というさまざまな違いもある。 これらの全てを経験してきた牛込さんに、教育業界の魅力や民間企業からの転職を生かしたキャリア教育の実現、どんなときも変わらずに大切にしていることなどを聞いた。 「世間知らずな教員」になりたくなくて、企業勤めを経て教

アイデアを形にする「実行力」を身につけて、自己効力感をぶち上げよう!デザイン会社・IDEOのデザイナーが教育の世界にアプローチする理由

グローバルに展開するデザインコンサルティング会社IDEO(アイデオ)。 その東京オフィスであるIDEO Tokyoでインタラクション・デザイナー・リードとして活躍されている油木田 大祐さんは、実際に自分の手や体を動かして創作する“ものづくり”の過程を通して、自己効力感を高める経験の機会を、子ども向けのワークショップという形で提供している。 デザイナーとして、今世界が必要としているアイデアを形にする「実行力」を伝えるために、産業界から教育現場にアプローチする油木田さん。どんな

人生、ありのままの自分を出せたもの勝ち!20年の教員生活から起業に転じ、50歳を前に再び教育現場に舞い戻った校長の思い

現在、ドルトン東京学園の校長をされている安居長敏さんは、大学卒業後、地元・滋賀県の女子高校に20年以上務めた後、突然辞職。慌てる家族をよそに、なんと民間のFMラジオ局を2つも起業するという経験を経て、再び2006年に学校教育の現場に舞い戻ったというユニークなキャリアを持つ。 キャリアの変遷を重ねる中で、自分自身の人生観が変化していったという安居さん。どんな心境で学校経営に携われているのか、お話を聞いた。 ドルトン東京学園の教育、先生の役割と職場づくり ——安居さんが校長

目の前の子どもたちが成長するために、できることはやりたい。小学校教員を退職してもなお、教育に関わり続ける理由とは?

新卒で小学校教員というキャリアを選択した角田真優さん。「一人ひとりの子どもの意思を尊重する」ことを大切に公立小学校に勤務するも、自分の実現したい教室の姿と現実のギャップに違和感を感じ退職。 その後のキャリアについて悩んだ末に、教育プログラムなどを手掛ける民間企業へ転職し、5年目を迎える。 角田さんはなぜ学校現場を離れてもなお、教育業界に関わり続けているのだろうか。学校外から教育に関わる人として、教員とは異なる立場で子どもたちの学びや育ちを見つめ続けている角田さんに詳しくお