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子どもたちそれぞれのNo.1を一緒に見つけ、褒められる経験を。人生の針路に迷走した教育者がたどり着いた教育×デザイン

東京都の有明に2021年にオープンした、ひらめきをカタチにする企業ミュージアム「AkeruE(アケルエ)」。子どもたちの知的好奇心と「ひらめき力(ギリシャ語でEureka)」を育む場として、“学び”と“モノ・コトづくり”を体験できるユニークな施設だ。

AkeruE(アケルエ)

ここAkeruEで、現在プログラムディレクターを務めているのが、小学校で非常勤講師の経験を持つ鈴木順平さん。

鈴木さんは教育学部を卒業するも、学校の先生にはならずにデザイン専門学校へ進学した。自分の強みは何かが分からず、ずっとキャリアに悩んできたが、教育実習時に感じた手応えと、デザインの専門学校で培ったマインドで「教育×デザイン」を人生の軸に据え、現在子どもたちに“モノ・コトづくり”の楽しさを伝えている。

そんな鈴木さんのキャリアヒストリーについて聞いた。


教育学部とデザイン専門学校で得た人生の武器

ーー鈴木さんは教育学部を卒業するも、ストレートに学校の先生にはならない道を進みました。ファーストキャリアとして、NPO法人で働くことを選んだのはなぜだったのでしょうか?

教育学部に進学したのは、小学生の頃に「教えるの上手いね」と言われた記憶を頼りに、なんとなく選んだという感じで、もともと教員になりたかったわけではなかったんです。当然ながら大学での勉強に何も見出せず、何がしたいのかも分からず、大学時代の大半を迷いと共に過ごしていました。

そんな中でも3年次から始まった教育実習が本当に楽しくて、「やっぱり自分は教育に関わらないとダメだ!」と思い直したものの、優秀な同級生たちと比べて勉学面でも情熱面でもかなり遅れを取っていたことは自覚していたので、教員採用試験を目指す自信がどうしても持てませんでした。かといって、就職しないという選択肢もなかったので、教育学部への進学を決めた際に、最後まで行くことを迷った桑沢デザイン研究所というデザインの専門学校に入り直しました。

桑沢デザイン研究所でのデザイン教育はすごくしっかりしていて、自分の思想や哲学、スキルを鍛え直せたと思っています。デザインの勉強を頑張りながら、子どもたちの教育の土台を底上げすることを目指したワークショップを提供するNPO法人にもインターンで入っていたので、そのご縁からNPO法人でクリエイティブ・ディレクターとして働くことになりました。

ーーNPO法人では、クリエイティブ・ディレクターとして具体的にどんなお仕事をされていたのでしょうか?

入職したNPO法人は、まだワークショップが一般認知されていない頃からワークショップを商材として扱い、しっかりマネタイズしているパイオニア的な団体でした。私はクリエイティブ・ディレクターとして、ワークショップの本質を理解しながら、それを商材として運用することを学んできました。

具体的には、例えばショッピングモール内でワークショップを開催してほしいという依頼があれば、コンテンツを企画したり、コラボ先を探したり、当日の運営をしたり。プログラミングのワークショップをやるとなれば、その中で使う教材を開発したり。売り上げ予測や実績管理といったことまで含めて、トータルで携わっていました。

教育的な展覧会の制作ディレクションなどもよくやっていましたが、そもそも教材や展覧会の型を作るにあたってデザイン学校や美大出身のメンバーがあまりいなかったので、僕がメインで担当していました。

ーーデザインの専門学校で身につけたスキルや経験が、NPO法人での活動にも生きたのですね。

そうですね。デザイン専門学校で学んだ3年間は、僕の人生において最も影響が大きかった学びの期間でもありました。この時期があったからこそ、「自分は“教育×デザイン”を武器にして、人生設計をしていこう!」と方針を固めることができました。

それまではずっと、人生の針路が見えない日々の中にいて...。
というのも、大学時代に周りから遅れをとってしまった後ろめたさから、デザイン専門学校ではとにかく頑張って勉強して、数々のコンペにも積極的に参加していました。それでも目立った評価をされることもなく、自分の手には何も残っていない感覚だけが残り、打ちひしがれていました。

ところがあるとき、桑沢デザイン研究所の先輩が開いた勉強会で、先輩に「この学校の生徒の中では“教育×デザイン”ができる人はほとんどいないのではないか?」と言われ、「確かにそうかもしれない」と思ったんです。

それまで、自分には特に突出した強みもないと思っていたのですが、「デザインに教育を掛け合わせたら、自分の強みとなって一番になれるかもしれない」と思えてきて。それ以降は、提出した課題も卒業制作も含めて、全て教育にシフトしました。子どもの学びの本も制作したりしましたね。

ーーAkeruEで、視点を変えるような子ども向けのコンテンツや、不思議に出会うようなワークショップを開発されているとのことで、今につながりますね。

そうですね。あのときの先輩の一言がきっかけとなり、自分が“一番”になれる領域を見つけられたことで、ようやく向かう先が見えた気がしました。

僕が敬愛するイタリアの美術家で、ブルーノ・ムナーリという方がいるのですが、彼は数多いる美術家の中でも「デザインの教育者」として知られています。グラフィックデザインもプロダクトデザインも両方やりますし、その他にも仕掛け絵本を作ったり、彫刻をしたり、教育もする。僕も彼のように、何でもできる人になりたいと思っています。

2つの公立小学校で経験した教員という職業の現実

ーーNPO法人で5年間働かれた後、小学校の非常勤講師に転職されていますね。これにはどんな理由があったのでしょうか?

NPO法人での最後の仕事は、日本製の商品を学びの文脈に置き換えて、子ども向けの体験型展示をマレーシアで展開しようという一大プロジェクトでした。ここに僕の持ち得る力の全てを注ぎ込み、大成功でそのプロジェクトを終えることができました。これをやり切ったことでNPO法人から卒業し、次のステージに移ることにしました。

しばらくフリーランスとしてワークショップの依頼などを受けていたのですが、なかなか生計を立てるのが困難でしたし、ある時ふと、自分は「教育×デザイン」を武器にしているのに、実際の学校現場を深く知らずに教育を語れない、と思いました。

そこで、古巣に戻るような気持ちで、「小学校の先生になって教育現場をちゃんと知ろう、NPO法人で培った経験が学校現場でも通用するのか試してみよう」と思いました。そんなタイミングで、ちょうど知人から図工専科の非常勤講師を探しているというお話をいただいて、公立の小学校での勤務を始めました。

ーーかつては諦めた小学校の先生になってみて、いかがでしたか?

小学校での経験は本当に価値あるもので、自分にとっての学びが大きかったですね。

その学校は教職員同士、お互いを尊敬し合っている雰囲気がありましたし、100年を超える歴史のある小学校だったので、生徒の保護者の中にもOB・OGが多く、保護者の方たちと先生方の関係性がすごく良好でした。

1学年60人前後の少人数だったこともあり、先生たちの目が行き届いていて、子どもたちからも能動的な姿勢を感じました。保護者からの学校への理解もあったので、先生・児童・保護者の輪を感じられる環境が本当に居心地よくて。その学校でもっといろいろな経験をしたかったのですが、僕は一時的な非常勤講師として採用されていたので、正規職員が見つかったタイミングで泣く泣く退任することになりました。

ただ、いろいろな学校現場を知っておきたかったので、その後もう1校、別の小中一貫校にも非常勤講師として入りました。

ーー2校目は、1校目とはまた違った現場だったのだろうと想像しますが、どんな学校でしたか?

前任校とは対照的に、2校目は開校からまだ10年も経っておらず、最初の卒業生もまだ出ていないような新しい学校でした。近隣の小学校が合併する形でできたマンモス校ということで、まだ文化が根づいておらず、複数の思想が混在していて先生方も手探りな部分が多かったと思います。

一つにまとまり切れていないからこそ起こる、さまざまなトラブルも経験し、一口に学校現場と言っても、こんなにも背景も雰囲気も抱えている課題も違うものなのかと感じましたね。

歴史や規模、地域とのつながり、その他さまざまな要因が学校組織にもたらす現実を目の当たりにして、教員という仕事のポジティブな面とネガティブな面の両方を体感できたと思います。

非常勤講師として学校現場に入ることに少し疲れてしまったことと、実は非常勤講師と並行してAkeruEの立ち上げにも関わっていたので、AkeruEのオープンが近づいてきたタイミングでAkeruEの方にシフトしました。

子どものマインドセットを育むことが、教員の役割

ーーAkeruEに移って今年で3年目になるとのことですが、やりがいやおもしろさはどんなところにありますか?

AkeruEでは、プログラム・ディレクターとして館内展示の監修や、ものづくりを通して「自分のやってみたい」という情熱を自分の力で形にする「アルケミストプログラム」という探究プログラムを企画、運営しています。

AkeruEは、「企業のブランディング」という文脈で設置された施設ではありますが、運営企業さんが「クリエイティブさの追求は自由にやってくれていい」と言ってくださるので、とてもありがたいです。だからこそ、利用者満足度やクオリティアップといった成果を出して、私たちの活動を支えてくださっている企業さんへ還元したいという使命感の元、日々取り組んでいます。

僕はこれまで、あまり人から認められない人生を歩んできました。だからこそ、こうして運営企業さんから現場を任せていただけることで自己肯定感が高まりますし、子ども向けのプログラムにおいては保護者の方々からの評価も高くいただけていて、やっと少し「自分のやっていることは間違っていなかったんだ」という手応えをつかめるようになりました。

今までのキャリアで培った経験がつながり、報われ始めているような気がして、ありがたくお仕事をさせていただいています。

ーー探究プログラムなどを通して子どもたちと接する上で、鈴木さんの強みである“教育×デザイン”はどのように生かされていますか?

デザインの大事なポイントは「何のためにやるのか?」という本質的な理解だと思っています。つまり、物事の本質を探ることがデザインの考え方であり、本質を探った先に最適解が出てくるはずだというのが僕の考えです。

本質的な議論をするためには、本音で言い合える関係性が必要です。なぜなら、嘘は物事の本質を曇らせて見えにくくしてしまうからです。

僕は、このデザインの考え方を子どもたちとのコミュニケーションでも意識していて、いつも子どもたちと接するときには「誠実であること」を心掛けています。本質を見極めないことにはいいアドバイスはできないし、いいファシリテーションやコーチングもできませんから。

教育に、物事の本質を探るデザインの考え方を取り入れる。そこに私の強みがあり、これからも本質に気づいていくデザイン思考も使い、子どもたちにさまざまなことを教え続けていきたいと思っています。

ーー学校の先生という立場ではありませんが、AkeruEでワークショップ講師として子どもたちの前に立ち、導くという意味では、教育者として共通することがあると思います。鈴木さんの、教育者としてのありたい姿があれば教えてください。

大学時代の教育実習まで話が遡りますが、僕にとってオリジナルの教材を作ることが一番楽しかったんですね。ワークシートの一部をビンゴにしてみたり、迷路を取り入れてみたりしながら、クスッと笑えるようなものを作るのが本当に好きで。

僕の作った教材で、普段はつまらなそうにしている子どもが笑顔になるのもすごくうれしくて。

AkeruEで開発してるキット

学校なので、子どもたちの学びに対するモチベーションはさまざまだと思うんです。その中で、いかにやる気がない子をやる気にさせるか。いかにネガティブなマインドの子を、ポジティブマインドに持っていくか。

非常勤講師として学校現場に入った経験から、子どもたちのマインドセットを育てることこそが教員の役割なのではないかと思いました。

僕自身がこれまで褒められてこなかったからこそ、関わる子どもたちには、自分の強みを見つけて、生かせて、周囲から「すごいね」とか「それいいね」と認められ、褒められる人生であってほしくて。

社会に出れば競争になるので、図工であれ、音楽であれ、僕自身は順位はあってもいいと考えています。ただ、「アイディアを出すスピードNo.1」など、多種多様なジャンルの順位があるので、子どもたちそれぞれがNo.1を取れて輝けるジャンルを見つけてあげたい。そして、その技能やスキルを伸ばしてあげたい。AkeruEでのプログラムを通して、そんな教育者であり続けたいと思っています。

開発したWSのアウトプット例

ーーいろんな教育関係の方々とお仕事される機会が多いと思うのですが、学校の先生方へのメッセージはありますか?

僕は、これまで教育に関わるさまざまな環境を経験してきて、教育が大好きだと言えるので、学校の先生たちには幸せになってほしいと思っています。そして、教育業界に人が集まってほしい。そのためには、先生たちの頑張りが評価される業界に育てないといけないと思っています。

NPO法人時代の仲間の言葉で「教育は業界を育てないといけない」という教えがあって。教育業界を育てないと、子どもは育たないし、教育・先生がもたらす社会的価値を認めるカルチャーも育たないというものです。

義務教育という制度のせいか、先生たちの仕事の価値が薄れがちですが、無料じゃないんです。教育は、消費されるものではなく、もっと正当な対価を得られるものであるべきだと思うのです。

例えば民間企業のプロジェクトには、予算があって達成までにたくさんのステップがありますよね。それを進めていく中で、それぞれのステップでしかるべき費用が発生する。先生たちが授業を作ったり、成績をつけたりすることも立派なプロジェクトなんです。

だから、先生たちには、自分がしている業務はお金が掛かっていることなのだ、と認識してほしいと感じます。現状は、自分の仕事に対する金銭感覚を意識できている先生は少ないのではないかと思っているので。

そういった意味では、今後は民間企業出身の方をはじめとする、多様な経験をされたことのある先生の割合が増えてほしいと思います。ずっと教員一筋でやってきた先生方と、社会のスキームを理解し、越境経験をされてきた先生方の経験が掛け合わされば、とても良い学びを子どもたちに提供できると思うからです。

それぞれが協力して、お互いの強みが融合した学校になれば最高ですよね。生徒の笑顔以外のことでも、先生方が報われる教育現場であってほしいと願っています。

取材:山本 周 | 文:後藤 かおる | 写真:ご本人提供