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教育現場のワオキャリア | 先生のキャリア

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教育現場の多様なキャリアストーリーを紹介しています。
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#転職

働く場所として、学校は最高の場所。これまで培った経験も、得意なことも、「自分」の全てが生きる仕事

一般企業や高齢者福祉などの現場を経て、現在は岐阜県の町立中学校の主幹教諭として町内の小中学校を飛び回る渡邉和代さん。 大学時代には国文学を専攻し学びながら、建築CADの専門学校にも通い資格を取得。学校教育への思いは抱きつつ、当時の教員採用は異例の高倍率時代。かといって、周りと同じようなリクルートスーツに身を包んで就職活動に向かうことはどうしてもイメージできず、新卒採用ではなく、一般採用という形で民間企業に就職した。 その後、そのときどきの出会いと直感を大切にしながら、さま

企業の製造現場から、工科高校の先生へ。子どもたちと向き合い、それぞれの人生の道を一緒に模索する存在でありたい

「自分の人生をどう生きるかという視点を、子どもたちに届けたい」 そう熱く語るのは、大阪府立佐野工科高等学校で進路指導主事をしている赤穂遼さん。赤穂さんは教員になる以前、川崎重工業株式会社で製造管理の仕事をしていた。広大な敷地を行き交い、一日2万歩を数えることも珍しくない日々。そんなモノづくりの現場で、人と人とを結び合わせ、成果を上げてきた。 そんな赤穂さんがなぜ、学校の先生に転職したのか。そして、製造管理の経験が学校現場でどう生かされているのか、話を聞いた。 拗ねていた

社会のつくり手が育つ学校を目指し、営業職から教員へ。子どもと過ごす毎日が未来につながる、先生は幸せな仕事!

「しあわせをつくる人(Happiness Creator)」を最上位目標として掲げ、自律学習者の育成やプロジェクト型の学びに注力した教育活動を行う、東京都中野区にある私立小学校・新渡戸文化小学校。 同校で、子どもたちや保護者の方から「やまちゃん」の愛称で親しまれているのが、3年生の担任を務める山手俊明さんだ。 前職は企業で営業職を勤めていた山手さんが、教員として子どもと関わることに決めた背景にはどんな思いがあったのか。「社会のつくり手が育つ学び」を仲間と共に探究し続ける山

教員は、最高の仕事!元ホテルマンが噛み締める、日々子どもたちの満面の笑みに触れ、成長を隣で見守れる幸せ

「教員の仕事は最高に楽しい」と語るのは、滋賀県にある立命館守山中学校・高等学校 英語科教諭の竹田健二朗さんだ。 竹田さんは教員になるまでに、ホテルマン(京都府、東京都、大阪府、シンガポール)、半導体営業、英語塾副校長と、バラエティあふれるキャリアを経験してきた。 中でもホテルマンとして順調にキャリアアップの階段を駆け上がっていた竹田さんが、なぜ教員という仕事に転職し、情熱を注いでいるのか。そのユニークなキャリア変遷と、教員という仕事のやりがいについて話を聞いた。 ホテル

一人ひとりの名前を呼べる距離感で仕事がしたい。元広告プランナーが、たった1年半で教育現場に転職した理由とは?

新潟県糸魚川市では、市内にある県立の3高校へ「高校魅力化コーディネーター」という人材を派遣している。高校魅力化コーディネーターは、実際に高校に出向いて授業のサポートなどを行う。 2022年10月より糸魚川市の高校魅力化コーディネーターに着任したのが、齋藤希さんだ。新卒で入社した広告代理店を1年半で退職し、学校現場に飛び込んだという齋藤さんは、教育業界の魅力をどのように考えているのだろうか。詳しく話を聞いた。 高校生一人ひとりの名前を呼べる距離感の仕事がしたい —— 齋藤

目の前の子どもたちが成長するために、できることはやりたい。小学校教員を退職してもなお、教育に関わり続ける理由とは?

新卒で小学校教員というキャリアを選択した角田真優さん。「一人ひとりの子どもの意思を尊重する」ことを大切に公立小学校に勤務するも、自分の実現したい教室の姿と現実のギャップに違和感を感じ退職。 その後のキャリアについて悩んだ末に、教育プログラムなどを手掛ける民間企業へ転職し、5年目を迎える。 角田さんはなぜ学校現場を離れてもなお、教育業界に関わり続けているのだろうか。学校外から教育に関わる人として、教員とは異なる立場で子どもたちの学びや育ちを見つめ続けている角田さんに詳しくお

子どもたちのハレとケの、ケも知りたくて教員へ。学校現場から研究サポートすることで見えてきた、生徒一人ひとりのリアルな姿

三田国際学園中学校・高等学校の理科教諭として、生徒の研究活動のサポートをしている秋山佳央さん。 前職では、企業の側から研究活動に取り組む生徒をサポートしたり、実験教室の企画運営に従事。「企業の人」として見る教育現場と、「学校の先生」として子どもたちの前に立ったときに見える景色はどう違うのだろうか。 企業と教育現場、2つの立場から学校や生徒を見てきた秋山さんにお話を伺いました。 生物の研究に没頭した大学時代 ——まずはじめに、秋山さんの教員歴と現在の業務について教えてい

自律的学習者を育てて社会を変える。食品会社営業の経験を生かし、学校と社会をつなぐ小学校教諭の挑戦

食品会社の営業職から小学校教諭に転身した山下徹さん。社会人経験を生かし、民間企業と協働した「総合的な学習の時間」の実践に取り組んでいる。 学校現場で働く魅力を「子どもの熱意や真摯さに触れることで、大人たちにも学びがあること」だと語る山下さんは、なぜ教育業界への転職を志したのだろうか。教育業界で働くやりがいはどこにあるのか、詳しく話を聞いた。 上司に育ててもらった感覚が教育を志すきっかけに ——まずは山下さんのご経歴についてお聞かせいただけますか? 私は現在、東京都三鷹

子どもと大人が学び合う場をデザインしたい。「会いにいけるセンセイ」の、教育×子どもが軸にあるキャリア

教員(神奈川県)→民間企業(東京都)→教員(高知県)と働く環境を変えながら「教育と子ども」を軸にキャリアを歩まれてきた野崎浩平さん。 本業と並行して、学校の外でも現役教員と気軽に話せる場「会いにいけるセンセイ」や、誰も教えてくれない保護者のやり方を考える「みんなの保護者会」というユニークな活動や場づくりに意欲的に取り組まれ、「のざたん」の愛称でも親しまれています。 そんな野崎さんのキャリアの変遷や活動の原動力になっている経験、教育と子どもたちへの思いについて聞きました。

子どもとの間に壁をつくらないあり方を大切に。逗子の小学校教員が語る、“企業”での勤務経験と“教員”という仕事への思い

神奈川県にある逗子市立久木小学校で、研究主任として、日々子どもたちの主体的かつ探究的な学びを研究、実践している大窪昌哉さん。 そんな大窪さんは教員になる前の約7年間、一般企業で経理の仕事に従事していたという。そこからなぜ、どのような経緯で教育現場に転職することを決意したのだろうか。 また、企業での経験が自身の教育観にどのような影響を与えているのか。その後の14年間の教員生活で実感していることと合わせて、話を聞いた。 人ともっと関わりたくて、教員の道へ ——大窪さんは教

「二足のわらじ」で教育の世界へ。放課後NPO代表×学園理事長を務める元会社員の、小さな一歩とは?

「野球部みたいに夢中になれる40代、50代を過ごしたいと思っていたんです」 自身が教育業界に関わるきっかけをそう振り返るのは、株式会社丸井に入社後、放課後NPOアフタースクールを立ち上げ、現在は渋谷区教育委員や東京・中野区の新渡戸文化学園の理事長を務める平岩国泰さん。 これまで“民間企業とNPO”、“NPOと学校”といった「二足のわらじ」で活動を続けてきた平岩さんに、NPOを立ち上げた経緯や、学園理事長として学校づくりに懸ける思いについて話を聞きました。 子どもたちの放

市民の暮らしを守る警察官から、子どもの学び場を守り、育む教員へ。「第2の人生」を生きる元・警察官の挑戦

警察官から教員という異色の経歴をお持ちの荒石将司さん。柔らかな語り口の中にも、こちらの背筋が伸びるような芯の強さを感じられるお人柄が印象的です。 警察官になりたいという子どもの頃からの夢を叶え、12年間にわたり大阪府民の暮らしを守るため情熱を注いできた荒石さんが、なぜ教育の世界に身を転じ、教員として「第2の人生」を歩き始めようと思ったのか。 警察官だった頃のまなざしは、教員という職業にどう活きているのか。お話を聞きました。 理想と現実の壁にぶち当たって気づいた「教育」の

大学職員から美術経験ゼロで公立小学校の図工専科に。子どもの「やりたい!」を叶えるクリエイティブ・ラーニングの環境づくり

「教育現場で働いてみたいと思うのであれば、怖がらずに覚悟を決めて飛び込んでみてほしい」と語る山内佑輔さん。 山内さんは、大学職員から美術経験ゼロであるにも関わらず小学校の図工専科教員に転身。「図工のことは何も分からない」というピンチを逆手に取って、さまざまな企業やアーティストとの共創による新しい授業や学びの空間づくりに取り組んできた。 「学校の先生」という枠に収まりきらない取り組みをされている山内さんに、教育現場へ転職して感じたことについて話を聞いた。 学校の垣根を越え

それでも何とか自分にできることはないか?を常に考える。働く意味を問い直し、ベンチャー企業から教員の道を目指した理科教諭の挑戦

「日本の学校と社会を新しい教育で融合できないか」と考え、挑戦し続けているかえつ有明中・高等学校 教諭の深谷新さん。その挑戦の過程では、「人の成長に関わっていきたい」という思いで就職した企業での経験がとても役に立っているそうです。 企業での勤務を経験したからこそ、自分にできることが明らかになり、企業と教育業界をつなぐ挑戦に乗り出した深谷さんのキャリアストーリーを聞きました。 働く意味を問い直し、民間企業から教員の道へ ——深谷さんは、人材派遣のベンチャー企業から転職して公