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教員は、最高の仕事!元ホテルマンが噛み締める、日々子どもたちの満面の笑みに触れ、成長を隣で見守れる幸せ

「教員の仕事は最高に楽しい」と語るのは、滋賀県にある立命館守山中学校・高等学校 英語科教諭の竹田健二朗さんだ。

竹田さんは教員になるまでに、ホテルマン(京都府、東京都、大阪府、シンガポール)、半導体営業、英語塾副校長と、バラエティあふれるキャリアを経験してきた。

中でもホテルマンとして順調にキャリアアップの階段を駆け上がっていた竹田さんが、なぜ教員という仕事に転職し、情熱を注いでいるのか。そのユニークなキャリア変遷と、教員という仕事のやりがいについて話を聞いた。


ホテルマンから教員に転身した、ユニークなキャリア

—— 竹田さんは、先生になる前どのような仕事をされていたのでしょうか?

大学を卒業した後、ホテルマンを10年ほどやっていました。ホテル業界は転職が多い業界で、京都、東京、大阪、シンガポールと、各地を点々としながらホテル業界でキャリアを積み、30歳前半までを過ごしました。

そもそも「ホテルマンになりたい!」と思ったのは、大学時代の課題図書で読んだある本がきっかけでした。その本の著者はホテル経営が学べるアメリカの大学院を卒業されていたのですが、その方が北海道に新しく専門学校を開校するという情報をつかみ、すごいタイミングだと感じて、大学卒業後その専門学校に入学しました。ですが、想定外の事件が起きてしまって…。

—— どんな事件が起こったのですか?

その専門学校は4月に開校したものの、学校の経営状態があまり良くなくて、約4ヶ月で半分解散のような感じになってしまったんです。

解散当時は7月末で、民間企業に就職した同級生たちは社会人1年目の新任研修が終わり、本配属の話が聞こえてくる頃でした。それなのに私は、専門学校を卒業もできないまま、完全無職の状態で北海道から地元の京都に戻るはめに...。とりあえずアルバイトで食いつなぐ生活が始まりました。

バイト先は京都のホテルで、アルバイトからステップアップし、後に社員になりました。ホテルマンとしての仕事に慣れてくるうちに、だんだんと理想も高くなっていき、やがて「日本一のホテルで働きたいな」と思うようになりました。

思い切って上京し、日本のホテルの御三家と呼ばれ、高級ホテルの代名詞とされてきたホテルの門を叩き、アルバイトからの再スタートを切りました。

一流ホテルのホテルマンとしてさまざまなおもてなしを学び、数えきれない失敗も経験しながらステップアップを重ねてまた社員になったのですが、当時は自分自身が若かった上に縦社会がすごく厳しい職場で少し心を病んでしまい、ホテル業界を一旦離れることにしました。

—— ホテルマンとして順調にキャリアアップしていたのに、業界を離れたのですね。その後はどうされたんですか?

地元である関西に戻り、大阪で1年半ほど半導体の営業の仕事をしました。25歳ぐらいの頃です。ただ、途中で「またホテルで働きたい、海外のホテル専科がある大学院で勉強する夢を叶えたい」という思いが再燃してしまって、以前お世話になった京都のホテルに掛け合い、復職することになりました。

ここから、ホテルで働きながら「海外で勉強する」という夢を叶えるための道を歩き始めました。

京都のホテルでしばらく働いた後、英語力を磨くためにシンガポールへわたり、現地で2年間ホテルマンをしながら実践の中で英語力をブラッシュアップしました。その甲斐もあって、英語力が大学院の基準点に到達し、スイスにあるホテル専門の大学院に1年間留学することができました。高校生の頃から抱いていた夢がようやく叶って、感無量でした。

日本に帰国後は、東京にある外資系最高級ホテルにご縁をいただき、管理職として就職しました。最上階にあるラウンジのチームリーダーとして、国内外問わず多くの芸能人や映画スターの方々などと出会う経験をしました。

そのことが今となっては、生徒が喜ぶ話のネタになっています(笑)。

教え子たちが社会に巣立つ姿を見届けられる幸せ

—— 華やかなホテルマンの世界から、どのようなきっかけで教員という職業へと舵を切られたのですか?

管理職として働き、ホテル業界におけるキャリアの階段をどんどん上っていく段階に入っていたのですが、ずっと目標としていた海外留学へ行き、東京の一流ホテルでホテルマンとして働き、役職にも就かせていただいているという現実に、「夢が全て叶ってしまった」という感覚がありました。そこから更にキャリアを積み重ねていくイメージがどうしても湧かなかったんです。

ちょうどその頃、民間企業で働いていた同級生が、日本大学の通信教育部に通い、英語の先生になったという話を聞いて「これだ!」とピンときたんです。その後、フルタイムのホテルマンを辞めて教員免許を取りに行く生活にシフトしました。アルバイト生活の復活です。

前職のご縁から、東京の別の外資系最高級ホテルの高層階でアルバイトとしてお仕事をさせていただきました。無事に教員免許を取得し、英語塾で1年間の講師兼副校長を経て、立命館守山中学校・高等学校に英語科教諭として入職しました。

—— ホテルマンと学校の先生の仕事は全然違うものだと思いますが、実際に先生になってみていかがですか?

本当に、全然違いますね。

ホテルでは、ベルボーイやフロント、コンシェルジュやバトラーなど、お客様と接する仕事もしていましたが、一期一会というか、一度きりの出会いに精一杯サービスをさせていただくような仕事なんです。

一方で学校の先生はというと、同じ子どもたちと毎日顔を合わせます。特に中高生という年頃は、その成長していく姿がすごくよく分かるんです。それが一番の大きな違いですね。子どもたちの成長を近くで見られることがうれしいと、最近特に感じています。

—— 具体的にうれしかったエピソードがあれば教えてください。

教員1年目の頃に担任をした子どもたちが、今年から社会人になりました。就職活動が始まる頃に、「ホテル業界で働きたいのですが、ちょっと相談に乗ってもらえませんか」と相談に来た子たちが、実際にホテル業界に就職したという報告を受けたときはうれしかったですね。

教え子たちが立派に社会人になっていく姿を見届けられることは、本当に幸せなことだと思います。

また、中学1年生で担任をさせてもらった子どもたちが高校3年生になり、6年間で立派な一人前の大人に近づいていることも実感しています。いつの間にか身長も追い抜かれて、今はその子たちを見上げながら話をすることも楽しいですね。

また、生徒会を5年間担当させてもらったのですが、生徒たちがプログラムから競技まで全部考えて作り上げた体育祭も印象に残っています。

生徒たちが「運動が好きな子もいるし、苦手な子もいる、体育祭ではしゃぎたい子もいる。だから、どんな子でも楽しめるような体育祭を作りたい」というので、彼らに全部企画を任せ、一から作り上げてもらいました。

勉強がすごく得意だけれど運動は苦手という子も楽しめるようにと、「めくってめくってめくりまくれ」という頭脳プレーも必要な競技を自分たちで考えたり、SDGsの観点から体育祭で出るゴミをどうにかリサイクルできないかと工夫したりと、教員では到底思いつかないようなアイデアを出して実行してくれました。

—— エピソードがどんどんあふれてきますね!竹田さんが心から教員というお仕事を楽しんでいる様子が伝わってきます。今後のビジョンはありますか?

ホテルマン時代は、どんどんキャリアを積み重ねて上り詰めていくことを目指していましたが、教員になった今は、日々子どもたちの成長を見届けることがすごく楽しいです。これからも同じスタンスでずっといきたいなと思っていますし、中高生の先生という枠に収まらず、生徒が学校を卒業した後も気軽に頼ってもらえるメンターのような存在の教員になっていきたいと思っています。

私自身も、「会いたい、何かを相談したい」と思ったら、ふらっと会いに行ける恩師がいます。そんな恩師のようになりたいですね。

進む働き方改革、教育業界の未来はきっと明るい

—— 竹田さんが、前職でも今でも大切にされていることはどんなことですか?

ホテルマンも教員も、いかにたくさん目の前のお客様や生徒たちと会話できるかという点で共通しており、そういう意味において、私はコミュニケーションを大切にしています。

ホテルマン時代、お客様とたくさん交流させていただきましたが、こちらが心を開くとお客様もいろいろなお話をしてくださるんです。それは教員になってからも同じで、こちらのマインドをオープンにしておけば、生徒たちもいろいろな話をしてくれるようになっていきます。

今でこそコミュニケーションが大事だと言っていますが、20〜30代前半までは、ホテルマンとして失敗もたくさん経験しました。入り込みすぎたり、逆にちょっと引きすぎたり。お客様からご意見をいただくこともあって、「この方にはこう接するべきだったんだな」とか「これをしなければよかったな」など、勉強させてもらいました。

その経験が、今における生徒や保護者対応などの場面で生きているように感じます。

—— 教員としてのやりがいはどんなところに感じていますか?

現在は中学1年生を担任していますが、まだ入学して間もない子どもたちが、毎日満面の笑顔で、楽しそうにワイワイしながら登校してきてくれる光景を見るのがたまりません。

入学式当日から、自分の心の扉をバーンと開けて、「元気のエネルギーだけは負けないぞ」という気持ちで子どもたちと接することを意識しているのですが、そうすると子どもたちも「こっちも元気ですよ!」と返してくれるんです。

これからいろいろなことを経験していくと思いますが、楽しそうに学校に来てくれる。ただそれだけで、うれしいものなんですよね。

過去に担当していた生徒で、つい最近まで、1年間の海外留学に出ていた生徒がいます。その子は少しフワッとしたような雰囲気の子で、私が教えていた中学1〜2年生の頃はまだそこまで英語に対する関心がない感じでしたが、1年間の留学を経て、帰国後は目の眼光が鋭くなっていました。

「先生、私はこの1年間でこんな経験をしてきました。こんな苦しい思いもしました。だから、日本に帰ってきてからも頑張りたいんです」と熱心に語ってくれるんです。彼女のように、自身の経験を通して自分自身が成長し、変容していく。そんな子どもたちが増えたらいいなと、最近その生徒を見て私自身も学ばせてもらっています。

—— 先生でなくては味わえない、素晴らしい経験ですね。最後に、異業種から「先生になりたい!」と思われている方にメッセージをお願いします。

私自身は、「教員の仕事は最高だ!」と声を大にして言いたいです。中学1年生から高校3年生までの子どもたちの成長の変化を毎日目にできるこの仕事を、ぜひ一緒にやろうとお誘いしたいですね。

私のような、教育以外の分野から教育業界に来たいなと思われている方は、メディアなどで教員の働き方のネガティブな報道に多く触れ、不安に思っている方もいると思います。ですが、本校も含めて、私たち教員にとって働きやすい環境になるようにと政府もいろいろと改革に動いているので、数年後にはより良い環境で、さらに5年後10年後となればもっともっと良い環境になっているはずです。明るい未来しかないんじゃないかと思います。

ですので、もし迷っていたら、今から教員免許を取りに行っていただくことをおすすめしたいですね。チャレンジしたいと思う同志が増えたらうれしいですし、実際にチャレンジしてほしいなと思っています。

取材・文:増田 千華 | 写真:ご本人提供