①「自分が嫌い。」好きになりたいのになれない葛藤
■あなたは自分が好きですか?
「好き」と自信を持って答えられる人がいたら羨ましいな。それだけであなたの人生はとても素晴らしいものになっているだろう。
自分の価値を他人に求めるのか、自分に求めるのか。そこで人の幸せは大きく変わると思う。
自分が嫌いな人は自分を他人と比べたり、人の評価を過剰に気にしたりする傾向がある。
自分を自分で認めてあげること。それが大事だって頭ではわかってるけどできない。
■自分が嫌い
自分が嫌い。本当に嫌い。
自分も嫌いだし好いてくれる人なんかいないと思う。
誰も認めてくれない。自分も認めない。
じゃあ、私は何?誰が認めるの?私は何が残るの?
本当は自分を自分で認めたいのに、どうしても人と比べて評価を気にしてしまう。
何をするにも、腰に巻き着いた重い鉛を引き摺るようなそんな感覚がする。
■褒め言葉は信じられない
きっと客観的に見れば、優れているところはあるかもしれない。
だけど、どんな褒め言葉も、嬉しく思えるような言葉も、全て嘘に聞こえる。お世辞にしか思えない。
褒め言葉なら誰の言葉も信用出来ない。
■批判は全て信じて傷つく
たったひとつの、些細な批判的な言葉は全てそのまま受け止める。
なんでも信じるし、心の奥底まで受け入れられる。
そして傷つく。
暖かいものは全力で拒否し、鋭利なナイフは素肌で受け止め、傷だらけの心に更に傷口を加える。
まるで自ら傷つきにいっているようなものだ。
■私の過去
私の学生時代はまさに「神童」だったと言えよう。
トップの成績で運動もでき、ピアノや書道や絵画にと活躍した。
だけど、そんな私を親は褒めてくれたか?
振り返ると、褒めてもらった覚えはない。
悪くはない容姿だったはずなのに、容姿に対して否定的な発言ばかりされた記憶しかない。
体型も普通だったのに、ファッション誌でみるモデルと比べられてデブだと罵られた。背が高くて周りからスタイルがいいねと言われていたのに、全く信じられなくて、自分は常にデブだと思って、食べる度に罪悪感があった。
成績も、もっと上の条件を出したり、全国レベルの優秀な人と比べたりして、批判しかされなかった。
小学生の時、全国学力テストで4教科満点をとっても、中高の定期テストで学年1位をとっても、どんなに模試で良い成績をとっても、母親は褒めなかった。「当たり前だ」と言い、更なる高得点を求め、むしろ次もだと怒った。
絵画のコンクールや書道のコンクールで賞をとっても、「なんだ、〜賞か」と言ってむしろ失望された。
「やっぱりお前は、〇〇な人間だからダメだ」こんな感じのフレーズで、私の人間性を決めつけられ常に批判された。
幼少期から言い続けられたせいで、信じたくないのに、心から信じてしまっていた。植え付けられた、決めつけられた「私」という人間は、いつも否定的に語られ、自分が本当に嫌いだった。
■母親に認められたくて
いつになったら母親は認めてくれるのだろうと、明らかに一際目立って優秀だと思われるように、それだけを追求するようになった。
馬鹿だなあ、私は。
ずっと小さい頃から、母親に認められることだけを求めて生きていたんだ。
なんて母親に囚われているんだろう。
遂に、初めて母親に褒められる日が来た。
私は、書道の全国コンクールで全国1位となった。
家族や親戚を連れて、東京の表彰式に参加した。
その時、初めて母親は喜んでくれた。
死ぬほど嬉しかった。
■承認欲求
それからは、人に評価されることを喜びにするようになった。
それが全国1位であれば母親は認めてくれるし、そうでなくても、自分という人間に価値があるのだと思いこめる気がしたから。
そんな私がSNSを始めたから大変だった。
SNSなんて承認欲求がエスカレートする媒体にすぎない。
高校時代は特にInstagramに時間を費やすようになった。
「インスタ映え」で有名な場所は全部行き、写真のクオリティを上げるために一眼レフまで買った。
投稿のいいねの数やコメント欄の反応で、自分の存在価値を見出そうとしていた。
思い返せば、なんて小さくて馬鹿馬鹿しいことをしてたんだろと虚しくなる。
このようにして、認められない私は、見せかけの「価値」を自分に付与し、自分を認めようとしてきた。
そして、偽りの自尊心をもち、なんとか表面は取り繕って生きてきたのだと思う。
そして高3の春、私は絶望した。
つづく
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