表現者の意識
アイドルやモデル、作曲者や漫画家など、何かしらを伝えようと生きている人からは、人として対面した時に「圧を感じる」気がしないだろうか。
何故だろうなと思って。
「圧を感じる」という事は、表現者の望みや願望が、前方に対して強く現れているからだとすると、「目力」が人一倍強く綺麗に感じるのも頷ける。
しかし、同時に「危うさ」を感じるのは何故か。
表現者自身の意識が前方のみに強く持って行かれたが故に、おそらく後方や本体への意識が薄れる為であろうと考える。
この現象における問題点は何であるか。
「後方」、本体の視野的に見えない部分に対する「不安感」と、「本体」、己自身の体に対する感覚が鈍る「健康意識の希釈」かなーと。
対策は、?
「後方」に関しては、前方に行き過ぎた分を後ろに戻すか、前方と同じだけ後方にも意識を向けるか。
「本体」に関しては、「どこにも意識しない時間」、よくわかりやすい例は「瞑想」になるが、外に出過ぎた意識を全部切る感じが近いと思われます。
理想的なイメージは。
ある一定ラインで、自分の体に「自分」が押さえつけられてるように、窮屈さに苛立ちに近いものを感じると思われるのですが、そうしたら逆に、「自分」ってのがただ在って、たまたま体がこれっぽっちの器なんだねみたいな、意識の方向を「自分から外」ではなくて、「外にいる自分」から「自分の体」の向きにすると、特に「自分」という容量の制限をする必要が無くなるので楽だと思います。
おわり。
何かを伝えたい人がよく消えるから、悲しい。
生きてくれとは言わないが、せめて生きる方法を知ってもいいと思う。
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