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第57話 迅速なクラスター調査

 今回のコロナ対策で、「クラスター」という単語の認知度が随分と上がった。もともと、クラスター(cluster)は「ひとまとまり」「集団」という意味。公衆衛生学でのクラスターは感染集団を指し、クラスター調査は「連鎖的に感染した集団を見つける調査」だと捉えればよい。クラスター調査のことを接触者調査/接触者追跡調査と呼ぶこともある。

 台湾では、感染者が見つかるとクラスター調査がいち早く展開される。台湾CDCに所属している防疫医師がリーダーシップをとり、場合によっては地方の衛生局(保健所に相当)の協力下で調査を行う。台湾はこれまでに麻疹やデング熱などでクラスター調査のノウハウを蓄積してきた。今回のコロナではその実力を惜しまず発揮できたと思う。

 コロナのクラスター調査では、まず感染者の発症前14日間の行動歴を聞き取り、そこから接触者を洗い出す。ここでは、感染源と新たな感染者(二次感染者)の両方を見つけることが目的になる。
 感染源は、発症前14日間から発症前日までの接触者の中から症状を有する人を探し、その発症日を基に判断する。症状を有する人がいない場合は、可能性のある人に抗体検査を行って感染源の特定を試みることもある(第16話第27話参照)。
 新たな感染者は、発症前2日から診断までの間に濃厚接触した人の中から探す。濃厚接触の定義は、「適切な防護のない状況下で1-2メートル以内15分以上の接触」。そして、濃厚接触者は症状があれば速やかに検査へ回される(注:拒否権なし)が、無症状であれば「在宅隔離」を指示される。最終接触日から14日間の隔離だ。期間中は外出禁止、他者との直接的な接触は禁止。その間、毎日2回検温を義務付けられ、衛生福利部(厚生省に相当)の担当者が毎日健康状態を電話で確認する。何か変化があれば、衛生福利部が検査の手はずを整える。生活面の各種サポートは、地域のケアセンターが提供する(第24話)。

 クラスター調査の成果は、台湾のコロナ感染者443人中(2020年6月11日時点)、感染源不明例が10名しかいないという結果に如実に表れていると思う(第51話)。また、累計9,308人の在宅隔離者のうち115人が在宅隔離中に確定診断に至っているので、約81人隔離して1人感染者がいたという計算になる。1人の感染者を見つけるために80人もの自由を無駄に奪ったと考えるのか、または、妥当な社会的コストだと考えるのか、私には判断がつかないが、ひとつの事実として書きとめておく。そして、4月12日以降新規国内感染者ゼロの日が続いたため、5月25日には在宅隔離者ゼロとなった。なお、全在宅隔離者9,308人中、違反者は19人だった(6月7日発表資料より)。

 2020年6月5日の記者会見で「振り返ってみて、一番大変だったクラスター調査はどれでしたか?」という質問に対し、防疫医師たちの答えは、「最初の死亡例」(第15話)だった。検査結果が出たその日にご本人が亡くなってしまったため、本人からの聴取ができないだけでなく、大事な人を失ったばかりの遺族に対して聞き取り調査や検査をし、自宅へ行って環境調査をしなければならなかったのは、とても難しい状況だったとのこと。遺族の悲しむ時間を尊重したい一方で、感染源と二次感染者を見つけ出して感染拡大を阻止するには一刻の猶予もなかったため、作業を進めざるを得なかったことを医師たちは語った。

 台湾のマスコミは事実確認をせずに「~らしい」という噂でも平気で記事にする。そして、誤情報がネットの批判を盛り上げ、クラスター調査対象者は社会からの攻撃を怖れて事実を話すのをためらい、スピード勝負であるクラスター調査の妨げとなる。2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)のときは、感染者だけでなく、医療者やその家族、病院周辺の地域住民たちまでもが差別され、クラスター調査は難航した。今回、感染症対策に必要なのは社会の思いやりと共感力だ、と何度も何度も政府が記者会見を通して国民に訴えかけたのが強く印象に残っている。

 一部のマスコミやネット住民は、感染者や隔離者のプライバシー暴露に躍起になっていたが、その行為は防疫の妨げになるだけだ、と繰り返し政府は説いた。政府がクラスター調査で必要な人たちには聞き取りしていることを示し、暗にマスコミや国民が政府の真似をする意味がないことを伝えているのだと私は思った。
 その代表的な場面がこれだ。「昨日診断された感染者の〇〇(同僚、いとこ、前日に食事した友人など)は調査しましたか?」と質問をする記者(自分たちが見つけた接触者を政府がちゃんと把握しているのかを知りたがる)に対し、「その方は検査済みで陰性です。」「その方は検査の必要はないと判断し、現在在宅隔離中です。」「その方は前日ではなく、3日前に食事をした人です。」などと、常にマスコミの上をいく回答を政府はしていた。このようなやり取りの中で、私はクラスター調査の精度の高さを認識し、政府の能力を信じるようになった。おそらくマスコミも同じだろう。この手の質問は徐々に減っていったように思う(ゼロにはならなかったが)。

 クラスター調査は、国民の協力なしには成立しない。その協力を得るには「国民の政府と社会に対する信頼」しかない。政府に対する信頼とは、自分のプライバシーが守られること、政府が適切な調査で感染を食い止めてくれること。社会に対する信頼とは、自分が傷つけられないこと。
 台湾でクラスター調査が迅速に展開できたのは、人材が揃っており、彼らが十分な法体系の下で活動できる条件が整っていたからだと思うが、同時に、社会の雰囲気づくりに政府が注力したことも、大事なポイントだと思う。

衛生福利部Facebookページ2020年2月10日の投稿より

2月10日の言葉

衛生福利部Facebookページ2020年2月13日の投稿より

2月13日の言葉

衛生福利部Facebookページ2020年3月6日の投稿より

3月6日の言葉

衛生福利部Facebookページ2020年4月19日の投稿より

4月19日の言葉


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