マガジンのカバー画像

#千住暮らしのひとコマ

19
千住での暮らしの実際の体験談をお届けします。
運営しているクリエイター

#千住

6月15日(土)文化財の家の小さなお茶会

<イベントのお誘い> 北千住駅東口から少し歩いた閑静なエリアに、素敵な古民家があります。 3月に国登録有形文化財として答申告示されたばかりの冨澤邸。 江戸時代に浅草・橋場に建てられ、かつては旗本の下屋敷だった建物が、2度の移築を経て今にいたると語り継がれています。 当日は、国登録有形文化財となる主屋を、登録に携わった建築家による案内の後、この家にお住まいの冨澤八重子さん(茶道師範)のお話をお聞きしながら、お茶とお菓子をいただきます。 ※茶道の知識は必要ありません。ふだん

隅田川沿いの夜景が好きです

こんにちは、富田です。北千住で暮らしてかれこれ1年が経ちました。 夏の時期、暑いので夜になるとよく行くのが隅田川沿いです。水辺越しに輝くビルやスカイツリーの素敵な景色が広がっているのに、なぜかまわりには人がほとんどいないところがお気に入りです。 この景色を見つめながら、イヤホンで好きな音楽を聴き、持って来たビールを飲む。大好きな時間です。 たまに走ってくるランナーに不思議そうに見られますが、気にしてはいけません。夜に川沿いを走っているランナーだってよく考えたら不思議です。

北千住でお花見をしたい!北千住の桜スポット5選を探してきた

どうもこんにちは。富田です。 春になってきたので、僕が現在住んでいる北千住で桜を見たいなという衝動が高まりました。僕は昨年の夏に北千住に引っ越してきたので、北千住の桜は経験したことがありません。 さっそく調べてみたところ、北千住の“周辺”の桜スポットばかりが出てきます。荒川赤羽桜堤緑地や舎人公園など。北千住ではなく、もはや電車に乗って移動しないと行けない距離です。近い場所で汐入公園も桜がきれいみたいですが、住所が“南千住”なんです。北千住の桜スポットはないのでしょうか? 北

荒川七変化

私のスマホには荒川の写真がめちゃめちゃ多い。チャリで通勤していて、行き帰りに千住新橋を渡るが、いちいち感動してカメラを向けたくなる。低解像度だし、たいした写真も撮れないのに、同じような写真ばっかりいっぱい。 水の上を通るのは、何か「心洗われる」効果があるように思う。朝夕、雄大な荒川を渡る千住暮らしはちょっと幸せ。今日は朝夕の写真だけで荒川七変化をご紹介。キャプションと一緒にさらさらっと見てもらえたらうれしいです。 水害から都民を守ってくれている荒川は、約100年前に人の手

都市の極相・まちの極相

もう何年か前の話。ぼくの目は、日光の戦場ヶ原あたりを歩いていた。ふと思う、この湿原はやがてどうなるのか。そもそもどこへ向かっていくのか、と。約2万年前の火山活動がきっかけに長い時間をかけて変化し続け、今、"たまたま湿原"であるのか。それともこれが"終わり"なのか。 stay home 生活で、また少し考えてみた。この夏の自由研究。答えはないけど。 森林の教え都市は、まちはどこへ向かっていくのか。変わりゆく街並みは、人間の活動のカタチが現象として表出したものだとしても、ある意

千住のコンポジション 〜その奥へ〜

ぼくの目が、千住のまちの空間構造について、見て、歩いて、考えてきたこと。少しまとめてみます。 江戸、東京、千住 江戸四宿のひとつとして栄えた千住は宿場町。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光街道、奥州街道へ続く江戸の北の玄関。隅田川の舟運が盛んで河岸と街道が交差するため、たくさんの人やモノが行き交った。 約400年後の現在。舟運が鉄道に変わったものの、時代の変化をまちの中に刻み続けている。品川、内藤新宿、板橋、そして千住。江戸から東京へと変

「城壁」と暮らす 2

土手を「城壁」と見立てる。千住は城郭都市だ、の続き。 ぼくの目は、隅田川の「掃部堤(かもんづつみ)」の跡である墨堤通りをなぞるように歩いていた。 いまの千住のまちを囲む荒川や隅田川の「土手」は、ケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」(The Image of the City)でいうところの「エッジ(都市の境界)」だろう。この墨堤は、昔のまちの「エッジ」であり「パス(道、通り)」である。歩いてみると、堤防としての役割が失われ、市街化の中でその姿を埋もれさせながらも、微地形

旧千住郵便局電話事務室 百周年に向けて

今年パナソニック美術館で分離派100周年の展示が行われ、千住の建物が美しい写真とともに紹介された。その写真は会場でしか見ることができないが、今から100年前、分離派が台頭したその時代に造られたたこの建物を、今でもこの千住の地で見ることができる。 展示会場に書かれていたエピソードには、設計者である山田守によって他の作品とともに当時撮りためた写真がヨーロッパにわたり、巨匠コルビジェの目に触れ、最も美しい作品であると評価を受けることとなった。 千住地域の中で、この建物は宿場町街

#千住暮らし のこと。

はじめまして。 #千住暮らし note編集部です。 千住は、東京は足立区の南の端。 荒川と隅田川に囲まれた小さな島のようなまちです。 ほぼ2キロ四方のまちのなかに、約7万7千人の人が暮らしています。 千住で生活したり、仕事したり、飲んだり食べたり、散歩したり、子育てしたり。 千住で笑ったり、泣いたり、怒ったり、おしゃべりしたり、議論したり。 それぞれなりに千住暮らしをしている仲間たちと、このnoteをはじめます。 そうですね、ちょっと千住暮らしを気に入っている仲間たち、と

お茶をたしなみ季節を愛でる

盛夏の室内へ涼を呼ぶ緑のグラデーション。 グリーンの宝石箱のような輝き。 やわらかな陽光が差し込む秋晴れの一日。 深い緑も暖かそうに色づいて。 ※yukoさんの記事を預かり、事務局がアップしました。

風化の美学 〜空間の素材〜

ぼくの目は、いつの間にか千住のまちのシワばかり気になっていた。 「いつまでも若く見られたい」 若さに固執する姿は美しくない、と思う。最高齢現役モデルのカルメン・デロリフィチェは、加齢(エイジング)もファッションも自分のスタイルに変えている。その姿を見て、多くの人は美しいと思う。 まちも同じである。まちの空間に時が刻まれている姿は、人々を魅了する。わびさびの文化をもつ日本人であれば敏感であるはず。例えば、欧州の国々へ旅行して、その街並みに感じる美しさだってその類。表層的な

「城壁」と暮らす

ぼくの目は、千住の大踏切の青い桜並木をくぐった先で土手に突きあたった。 土手を「城壁」と見立てる。千住は城郭都市だ。響きがいいが中身は村に近い。千住の四方を荒川、隅田川、綾瀬川が囲んだため、洪水という侵略への防御として「堤」が築かれた。もちろん西洋のそれとは違う。 ケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」(The Image of the City)に、都市のイメージを構成する要素のひとつとして「エッジ(都市の境界)」がある。 千住のエッジはどれだけの人に認識されているの

千住のコンポジション 〜 序 〜

ぼくの目は、地図と頭の中にある千住を行ったり来たり。 江戸時代、千住は宿場町。江戸四宿のひとつとして栄えた。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光道中、奥羽道中へ続く江戸の北の玄関。たくさんの人やモノが行き交う、まさに千住は「通り」のまち。 今、わずかに残る建物や蔵は、その時間をつなぎとめているかに見える。 よく目を凝らしてみると気づくことがある。「通り」に面する建物、その土地のカタチ「地割り」は間口が狭くとても長い。この「通り」とうなぎの

千住荒川の土手散歩

北千住に暮らし10年以上が経ちます。コロナの自粛期間中、運動不足解消に今まであまり行ったことがなかった荒川の土手を、毎日自転車で走ることを日課としました。荒川の土手で見た景色やどんな方が利用されてたのか、いくつかご紹介します。 #チャリ爆走族 朝早めの時間帯は、サラリーマンの方と、速乾性あるシャツとピチッとしたレギンスにヘルメットという格好で、オシャレクロスバイクにまたがる方が爆走してました。私のようにチンタラ走るチャリは、できるだけ邪魔にならないよう端を走行するのが必須