見出し画像

「城壁」と暮らす

ぼくの目は、千住の大踏切の青い桜並木をくぐった先で土手に突きあたった。

土手を「城壁」と見立てる。千住は城郭都市だ。響きがいいが中身は村に近い。千住の四方を荒川、隅田川、綾瀬川が囲んだため、洪水という侵略への防御として「堤」が築かれた。もちろん西洋のそれとは違う。

ケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」(The Image of the City)に、都市のイメージを構成する要素のひとつとして「エッジ(都市の境界)」がある。
千住のエッジはどれだけの人に認識されているのだろうか。間違いなくエッジは堤、土手だろう。この土手エッジはある幅をもった境界空間といっていいかもしれない。物理的な境界線は川であり、荒川の河川敷や隅田川のテラス(聞こえはいいがただのコンクリート護岸)は都市のアクティビティを誘発する領域になっている。それっぽい理屈を言うけれど、城壁の内側にあるぼくの目は、土手が空をカットする景色をただ美しいと感じるだけでもある。

近年、都市やまちづくりの分野で注目されたアメリカのポートランド。現在の都市がクリエイティブな活動が適度な密度感であふれる背景には、都市開発の広がりを制限する境界線が大きな役割を果たしている。千住は期せずしてこの状態になった。内側に向かって成長するしかない。この千住を「島」となぞらえる人もいる。
現在の荒川は1930年ごろに完成した人工河川、放水路だ。江戸時代、宿場町として栄えた千住の北側は地続きで、北へ街道が伸びていた。隅田川は街道と交錯する水運として物流の要であったし、もちろんコンクリート護岸ではなかった。

現在の千住の城壁の中には、以前の隅田川の堤の跡がある。まさに時間の痕跡。次はこれを観察したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?