「人を幸せにする」この夢を持った理由〜30年の人生で見えたもの〜
人を幸せにしたくて、コロナ禍でも人材会社を立ち上げた僕が考える「人の幸せ」について、幸せにしたいと思った背景や幸せの定義などを書いています。
「幸せ」に少しでも興味がある人は、最後まで読んでみてください。
何かしら得るものがあると思います。
さて、「人を幸せにしたい」って言うと、「なんで人を幸せにしたいんですか?」「どうなったら幸せなんですか?」とよく聞かれます。
昨日、30歳になりましたので、30年の人生で辿り着いた現段階での考えを書いていきます。
また、前回のnoteにも書きましたが、「世界で最も人を幸せにしている会社」が僕が代表をやっているルビーイン株式会社のVISIONです。今回のnoteは、会社の想いとイコールでもあります。
最初に幸せの定義を書いておきます。
では、本題に入っていきます。
1.なぜ人を幸せにしたいと思えるようになったのか?~自分のコップが満たされた~
人を幸せにしたいと思えるようになった理由は、2つあります。それは「自分のコップが満たされたこと」と「人の生きる意味を考えたこと」です。
まず、1つ目の「自分のコップが満たされたこと」について書いていきます。
「自分が幸せじゃないと人を幸せにできない」とよく聞きますが、まさに自分がすごく幸せだからこそ、自分を幸せにするのではなく、人を幸せにしたいと思えるようになったんだと思います。
「どうすれば自分のコップを満たせるのか?」
承認欲求を例に、コップを満たすことについて書きます。多くの人が考えているコップ(承認欲求)の満たし方としては、下記のようなものが多いのではないでしょうか?
確かに上記のような結果を出すと褒められるので、嬉しい気持ちはわかります。ただ、多くの場合が自分のコップに水を注げていない状態です。
「え?褒められたら嬉しいし、承認欲求満たされるはずじゃ?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕はそうは思いません。なぜなら、上記の結果は社会のモノサシでの判断でしかないからです。
答えはNOです。
高学歴でも有名企業の社員でも、承認欲求が満たされていない人はたくさんいます。
不思議ですよね。日本で一番良い大学に行っていたり、誰もが知ってる有名企業で働いているのに、承認欲求が満たされておらず、自分に自信がないなんて。
でも、理由は明確です。それは、自分のモノサシで生きてこなかったからです。社会のモノサシで生きていても、社会的に認められる結果が褒められているだけで、自分自身が認められているという感覚を持つのは難しいと思います。
なぜなら、「その大学に行けてなかったら、褒められていない」というロジックが裏に存在してしまうからです。褒められているのは「有名大学」というラベルなんです。
では、どうすれば満たされるのかというと、まずは自分のモノサシで生きることです。
自分のモノサシで生きて、その結果を認められることが、自分のコップ(承認欲求)を満たすことに繋がるのです。
では、僕の人生がどうだったかというと、ありがたいことにずっと自分のモノサシで生きてきました。自分のコップに水を注ぎ続けられたから、早い段階で溢れるところまで来たのかなと思っています。
なぜ、自分のモノサシで生きて、自分のコップに水を注げたのか?それは、亡くなった母親のおかげです。母親からもらった大きなものは、下記2つです。
①自己選択
②承認、信頼、期待
①の自己選択について、記憶のない幼少期に遡ります。僕は覚えていないのですが、習い事を選ぶときに、色んな習い事の体験に行った上で、僕がやりたいと言ったものをやらせてくれたそうです。
僕はあまり字がきれいではないのですが、中学生くらいの頃に「習字習っとけばよかったー」と漏らしたら、母親が「習字の見学行ったんよー」と言ってきました。「そうなんだ!」と驚きましたが、「自分に選ばせてくれたんだな」と気が付きました。
また、母親は仕事が大好きでしたが、子供最優先だったので、僕が生まれるタイミングでいったん専業主婦になりました。そして、仕事に復帰をするとき、僕ら兄弟に「仕事してもいい?」と聞いてくれて、僕らが嫌だと言っている間は仕事にも復帰しませんでした。
ここでも、僕らに選ばせてくれてたんだなと思います。本当に感謝です。
高校、大学、就職先、結婚などほぼすべての選択において、社会や周りの大人の意見に引っ張られることなく自己選択できたのは、母親のおかげで自己選択が当たり前になっていたからだと思います。
自分で選んだ道を歩んでよかったなと思っています。
また、②の承認、信頼、期待については下記の通りです。
例として、進研ゼミの話を書きます。
DMのマンガを読むと「やってみたい!」ってなる人は多いと思います。僕も「やりたい!」ってなったので、親に「やりたい!」って言うと、やらせてくれるんです。でも、いざやり始めると溜まるわけです。溜めて辞めたのに、またDMのマンガを読むとやりたくなるわけですよ。で、またやらせてもらって、溜めて、辞める。
よく僕のことを信じて何回もやらせてくれたなぁと思います。そのくらい信頼と期待をし続けてくれましたね。
このように、自己選択をたくさんして、承認、信頼、期待され続けてきたからこそ、僕は自分のモノサシで生きていくことができました。
少しだけ話が逸れますが、このような感じで育てられると、「おれはやればできるはずだ!」と思ってしまうので、自分自身に多大な期待をしながら生きた結果、そこそこの結果も手に入りました。
もちろんこんな人生を歩んできた僕は、今も信じて走れば何とかなると思っています。(だから「世界で最も人を幸せにする会社を作る」と言ってます。)
少し長くなりましたが、周りの目を気にせず自分らしく生き続けることで、自分のコップに水が注がれる状態となるため、大学生の途中である程度コップが満たされたんだと思います。
どのくらい満たされているかというと、明日死んでも、50年後に死んでも、僕自身の死ぬときの幸福度は、ほとんど変わらないと思えるくらい、僕は幸せです。
妻からは「禅二郎はどうなっても幸せだから、禅二郎の幸せには価値ないよね」って言われます。(褒め言葉だと思っていますw だいたい何でも幸せですが、もちろんそこに優劣はあります。)
2.なぜ人を幸せにしたいと思えるようになったのか?~人の生きる意味を考えたこと~
2つ目の「人の生きる意味を考えたこと」についてです。
結論を書くと「人は人のために生きている」「世の中に何かを残すことに価値がある」と僕は考えています。
他のnoteやTwitterにも書いているので、知っている方もいると思いますが、僕が大学2年生の冬に母親は亡くなりました。
45歳でした。
大学生ながら色々と考えさせられました。
(※考える機会は、母親からの最後かつ最高の贈り物だと思っています。)
「人って何のために生きてるんだろう?」
「母親の人生の意味って何だったんだろう?」
生きる意味について書かれた本なども読んでましたね。
母親自身が幸せだったことや人生を楽しんでいたことは消えてなくなり、母親が残したものがこの世界に残っていました。母親が残したものというのは、僕や弟、関わっていた人が受け取ったものでした。
ここでの大きな気づきは、「残すことが大事」だということです。
どれだけ楽しい人生を歩んでも、100年後には死んでますからね。だったら自分が死んだあとにも残っている人に対して、何かを残す方がいいと思いました。(もちろんそれを押し付けるつもりはありません。自分を満たすことがまずは大事だと思ってます。)
人の生きる意味を見つけたもう一つの話が、ペンのエピソードです。
学生時代、自宅でペンを眺めていた時に、ふと「なんでペンは存在してるんだろう?」と考え始めました。ペンの存在理由を深く考えた結果、「人は人のために生きる生き物だ」と気がつきました。
ペンのおかげで、人は人のために活動する生き物なのだと気づきました。
余談ですが、人の生きる意味の話になると、「子孫を残すため」という生物学的な話が出てきます。生物学的な答えは面白くないなぁと昔は思っていましたが、人のために生きることで、異性に好意を持ってもらえる可能性が上がるという点で、人のために生きることは子孫を残すことにも繋がっていると思っています。
長くなりましたが、自分のコップに水が注がれる人生を歩み、生きる意味を突き詰めた結果、僕は「人を幸せにするために生き続けよう」と思うに至りました。
3.人の幸せとは?
最初にも書きましたが、幸せの定義は下記です。
幸せになるためには、自分らしく生きることで、自分のコップに水を注いでいくことが大事です。ちゃんと自分のコップに水が注がれる状態をさえ作れば、遅かれ早かれ満たされます。自分のコップに水が注がれることで、自信を持てたり、自己肯定感が上がってきます。
僕が、人を幸せにするために提供したいものは、自分のコップに水が注がれる生き方をするきっかけ、つまり自分らしく生きるきっかけです。
4.最後に
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
昨日から30代がスタートしました。僕の人生が40代に突入するのか、30代の途中で終わるのかはわかりませんが、人にたくさんの幸せを提供しようと努力することだけが、自分にできることなのかなと思っています。
ルビーイン株式会社の事業を通して、人に幸せのきっかけを提供していきます。
最後になりますが、本noteによって、読者や読者の周りの方々が、幸せになるきっかけを少しでも得られていれば嬉しいです。
ルビーイン株式会社 代表取締役 千手禅二郎
どのくらい学びを提供できたかの指標にしたいと思っていますので、もしよければサポートください。路上ライブに近い感じですね。