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小澤メモ|SENTIMENTAL JOURNEYMAN|おっさんの旅。

15 おっさんの旅  辺境編 与那国空港。

日本最西端の空港。
琉球エアー・コミューター、その小さなプロペラ機の音や揺れ。それは東の辺境から、また別の辺境へと向かっているということを実感させてくれた。そして、日本最西端の小さな与那国空港と、そのプリティなターンテーブルがさらにローカル(遠く)にやってきたことを実感させてくれた。(そうだよな、大洋に浮かぶ孤島には、ジャンボジェットが離着陸できるような立派な滑走路があってはならないのだ!)。なんていうことを、実際にそこに暮らす人からしたら不便なのかもしれないが、偶然の旅行者は勝手に納得してしまう。空港の外に出ると、小学生とその父兄が集会をしていた。と思ったら、新学期を前に、与那国島を離れる先生を見送るためにやってきたようだった。

夏のように暑いけれど春休み。
ドラマ『Dr.コトー診療所』でもそうだったけれど、多くの離島は、過疎化と医師や教師の人材不足が危惧されている。だから、この辺境までやってきてくれた先生の別れのあいさつは胸を打つものがあった。自らの故郷から遠く離れた与那国島までやってきて、子どもたちや島民と過ごした年月。それを大切に思うと同時に、やはりここを出て行かなくてはならない理由もある。そして、それを止めることは誰もできない。「ありがとうございました。お元気で!」。最後はみんなで大きな挨拶を交わすと、先生はエアー・コミューターへ搭乗していった。いつまでも止むことがなかった子どもたちの誠実で真っ直ぐなサヨナラの声。そんな声にでさえ影響を受けかねないほどの小さなプレペラ機だったが、ふわっと舞い上がると、あっという間に見えなくなっていった。

国境の島、与那国島。
3月26日、空港を出たオッサンたちを取り巻く、ぬめりのある空気や原色な草花は、夏そのものだった。前日の地元紙・八重山日報の総合版の1面は、与那国島の海開きのニュース。日本の夏一番乗りと言わんばかりに、海水浴シーズンの幕開けを報せていた。つい昨日まで東の辺境の白銀世界にいたオッサンたちは、季節感というヤツに後頭部を叩かれて気絶している間に、夏のど真ん中に放り込まれてしまった。縦に長い列島を3000km以上移動してやってきた与那国島は、2016年からは“有人国境離島地域”に特定されている。安全保障の重要拠点として、陸上自衛隊の駐屯地が新設され、沿岸監視隊が配備されているのだった。この国境の島の全人口の15パーセントにあたる250人が、自衛隊とその家族だ。といっても、物々しい雰囲気は一切なく、迷彩服姿など見かけることもない。それどころか島固有の与那国馬の群れがのんびりと草を食んでいる。ただ、ニュースでよく知る尖閣諸島などと現実的にはかなり近いところに、与那国島の暮らしがある。そして、オッサンたちも、今いる場所と東京が異次元にあるのではなく、全部が1つのことだと忘れてはいけないと改めて思ったのだった。15
(写真は最西端の空港、与那国空港内/2019年)

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