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小澤メモ|SENTIMENTAL JOURNEYMAN|おっさんの旅。

12 おっさんの旅  辺境編 厚岸駅。

少し溶かしたピノは半永久的に食べることができる。
朝、ホテルで聴いた坂本龍一さんの『mizuno nakano bagatelle』を早速ダウンロードした。気に入った曲をひたすらリピートする。気に入った食べ物や飲み物も、ふと飽きてしまうその日まで、ひたすら食べるタイプ。当然、(自分だけのエリアでの)音楽もそうなる。だいたい、なにかしらのしめきり作業中に流れている曲は、そのときお気に入りの1曲をずっとリピートしている。本の背表紙を見て、(あの号はこの曲だったなあ)とかって、回想できる。ちなみに、それまでの自分史で最多の再生回数なのは、サリー・ホワイトウェルのピアノ作品集のものかもしれない。『mizuno nakano bagatelle』は、厚岸の朝以降、それをしのぐ勢いで聴いている。そして、このときの車内リピート作戦は、1時間ほどしたとき、限界がきた他の2人に阻止されたのだった。

バラサン岬に吼えろ。
厚岸の町を出る前に、見ておきたい場所があった。1つは厚岸水産高校。現在は、統合されて厚岸翔洋高校となっている。初めて来た学校だったが、記憶の中ではよく知っていた。尊敬する人が、若かりし頃、この学校で教鞭を振るっていた。30年以上も昔の話。荒れに荒れていたこの水産高校で、生徒たちに惚れぬいて、信じぬいて、クラスを立て直していったという話。学校の近くにあるバルサン岬をキーワードに、そのドキュメントは本になっていた。さらには、まだ30歳と若かった石原良純さん主演で映画にもなっていた。故郷から遠く離れた北海道という地で、不良少年たちとハードボイルドなスクールデイズを送っていたのだろうか。学生結婚だったという若い夫婦が、幼い我が子と一緒に狭い教員住宅で暮らした日々。苦労話というより、とても楽しかったと、よく話してくれた。そして、今でもあの町へ戻りたいと微笑んでいた。これは、大学時代に好きだったひとのご両親の話だ。

厚岸の牡蠣。
好きだったひとのお母さんはとても素晴らしい人で、しょうもない貧乏学生に、いつもご馳走してくれた。厚岸から牡蠣が届くと、「これだけは自慢しちゃう」と、ふるまってくれた。作ってくれる料理はどれも美味しいのに、手を加えない牡蠣を自慢する。そんな謙虚な人だった。そして、苦労が多かったはずなのに、美しい景色や美しい味が溢れる厚岸を愛している人だった。こちらは、厚岸なんていう町がどこにあるかも知らなかったし、その頃は牡蠣がおいしいと思えるほど、たらふく立派な牡蠣を食べたこともなかったので、きっとリアクションが悪いガキだったと思う。だけど、いつもニコっとして、「もっと食べなさい」と言ってくれるようなご両親だった。好きだったひとは、「いつか一度行ってみてほしい。厚岸は有名じゃないけど、美しい場所なんだ」と言っていたのを思い出す。

根室本線、JR花咲線の厚岸駅。
教育者の道を歩み始めた父親が、故郷に近い東京に赴任することになって、一家は厚岸を離れた。彼女が高校生のときだった。あの頃も、話を聞かせてもらいながら、まったく知らなかった北海道の東の小さな町のことを想像したりはした。「美味しい牡蠣がほんとにたくさんとれて、家のすぐ近くまでキツネがやってくるんだよ」。「電車は単線で2両しかなかったけど、全然空いてて、一面緑の中を走って、きれいだった」。北海道の短い夏。真夏の蜃気楼にゆらぐ駅前のコンコースを打ち水する駅員。小さなホームのベンチに座っているセーラー服をきたそのひと。友だちか彼氏か、誰かと待ち合わせして、通っていた学校がある隣町まで行くのだろうか。そんな見たこともない光景を想像して、(ほんとに良いところなんだろうなあ)と思った。

黄昏時の厚岸駅。
今回、辺境の旅で出るときから厚岸に寄って、そして、厚岸水産高校と厚岸駅を見たいと決めていた。ただ、それは撮影旅行とは関係のないことだったので、他のオッサン2人には厚岸に着くまで言えないままだった。でも、どうしても行きたかったから、ギリギリのところでようやく言った。車内を漂う、『mizuno nakano bagatelle』の美しいピアノの旋律の効能もあったかもしれないが、オッサンたちはガイドブックには決して載らないようなスポット巡りをすることになった。そして、写真をたくさん撮った。撮りながら、ホームの向こう側のベンチに厚岸を発った日のご両親や、学校に通う好きだったひとの姿を思った。30年以上前、1989年頃、彼らは、この小さな町の駅のホームに降り立つ当時年間利用者149,650人、1日410人の中のひとりだったのだ。東京から遠く離れた場所で、美しい景色と時間の中にいたのだ。

手にとる美しい人生。
人生の時間は過去がどんどん増えていく。だけど、過去の景色を思い、心から微笑むことができるひとならば、その場所へと帰れるうちに帰るのがいい。ご両親が、いつか必ず厚岸に戻ってこれたらいいなと願った。『mizuno nakano bagatelle』を聴きながら、夕闇に包まれはじめた厚岸駅を眺める。厚岸湾の海と空の境界線が混ざり合っていた。ホームから走り出した電車はすぐに湿原の中に吸い込まれていく。この町の特産の牡蠣をとる漁船の灯りが揺れる。とても美しかった。途方もなさすぎることなく、美しいものをちゃんと自分の目で見渡せることができて、美味しいものだらけであぶれてしまうことなくほんとに美味しいものを食べることができる、そして、ここには、スモーキーではなく色どりがある。100パーセント、自分の体で実感できる分の美しさとともに暮らせる町。お母さん、必ずやお元気で。30年かかって、やっと来ることができた。寄り道、厚岸。それは、昔好きだったひととどうなったとか、今はどうだとかっていうことなんかじゃなくて、尊敬しお世話にもなった素敵な人々が、美しい物語を紡いでてほしいと願う寄り道だった。12
(写真は厚岸駅と厚岸湾/2019年)

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