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小澤メモ|SENTIMENTAL JOURNEYMAN|おっさんの旅。

28 おっさんの旅  長崎編 突きさす太陽。

夏空の下で。
長崎市の縦横を走る路面電車、その3号線の始発駅、蛍茶屋。駅のすぐ裏手に友人の先祖のお墓があった。この地方特有の太くて長い立派なお線香をあげ、手を合わせる。それから路面電車に乗った。途中、出島や県庁付近を通過する。この辺りは、日本最初の印刷所があったところだ。漢和辞書や日本大文典といった本が印刷されていたという。さらにはラテン語、声楽、水彩画、油絵、銅板画、オルガン、天文なども学べた場所だった。いうなれば、江戸時代初期まで、ここが西欧の文明や宗教、そして人との唯一の窓口だった。平和公園の近くで路面電車を降りる。そこは小高い丘になっていた。階段をのぼり展望台に立つ。何度吹き出したかわからない汗が、再び吹き出してきた。スコールを浴びたようなもので、すでに気にならなくなってしまった。

サイレンの音。
初めて訪れた長崎という町をゆっくりと見回した。空はとても青かった。コントラスト強く象られた夏らしい真っ白な雲が遠くにいくつかかたまっていた。時は過ぎていって、カタチあるものは姿を変えたりなくなってしまったとしても、その場所とか磁場とか、そういうものは動かない。じっとしてあり続ける。それが、たとえ地殻変動があったとしても、表層に存在していたものが壊れてしまうだけで、その場所というものは動かせない。この日、長崎の町にサイレンの音が響き渡った。そして、誰もがその場で直立し黙祷した。8月9日、午前11時2分。この時に耳にしたサイレンの音は、今までの自分史における8月9日に聞いた音とは、はるかに違った。ついさっきまで聞こえていた蝉時雨や市中の喧騒などが、すべてかき消されていた。そして、胸の中にまで轟いてきて、ずっと鳴り止まないのではないかと思えるほどだった。とても大きくて、突きささってくる、鎮魂というよりは命の雄叫びのように感じた。実際に、とても大きいサイレン音だったのだろうと思う。

暮らしがあった場所。
草木や生き物など自然が生命力を爆発させて、原色図鑑のごとくきらめく8月。日本は、そんなきらめく季節に、かなしみと鎮魂のサイレン音が何度も響く国だ。広島と長崎に原爆が落とされた日。そして終戦の日。心の中で、その音がかき消えてしまうことはない。しかし、初めて長崎でその音を聞いたとき、とてつもなく圧倒されてしまった。この場所で、音のように一瞬にして消えて暮らしがあり、こちらは、この音の先を生かしてもらっているのだと痛感したのだった。港から船に乗った。目指していた島には海が荒れていると上陸できないらしいが、その日は晴天、しかもこの年最高の真夏日だった。その島は海底炭坑の基地として栄え、日本の近代文化を支えてきたという。1974年に閉山されてから2009年までは、ずっと人が来るのを拒んできた。その後、映画007の『スカイフォール』のモデルにもなって、世界的に知られている。

端島、軍艦島。
とても小さい(狭い)島だが、かつては海底炭鉱によって栄えていた。学校や病院、美容院にパチンコ店、映画館やダンスホールまであった。そのすべては朽ちて、すぐにでもガタガタと崩れ落ちてしまいそうだった。進んでいくとプールがあった。学校によくある25メートルの大プールと同じような感じだ。真夏の太陽が真上にきていて、塀の向こうには真っ青な海が揺れていた。プールは空っぽで、長年、太陽に照りつけられてきた水底は無数にひび割れていた。たしかに、この場所にも人びとの暮らしがあったのだ。島の子どもたちが、このプールで水をバシャバシャやって泳いでいたに違いない。市内で聞いたサイレンの音とはまた違うけれど、ここにも夏の音が残っているような気がした。28
(写真は五島灘に浮かぶ軍艦島/2013年)

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