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小澤メモ|SENTIMENTAL JOURNEYMAN|おっさんの旅。

27 おっさんの旅  長崎編 真夏の太陽。

暑い夏、長崎。8月の日本。
長崎駅で電車を降りた瞬間、朝に食べたパンがのど元にまでもどってくるような感じがした。しっかり気を入れ直さないと、膝に手をついて下を向いたまま動けなくなりそうだ。初めて降り立ったその駅は、想像していたよりもとても大きくて洗練されていて、ひどく暑かった。レトロな路面電車が走る大通りを横切って、食堂や飲み屋がひしめく路地に入っていく。ランチタイムの仕込みをはじめた店の外には、大きなビニール袋に入った前日のゴミがまだ収集されずに並んでいる。それをどうにかしたいのだろうか、子猫がいた。野良みたいだが、体つきを見れば食事には不自由していないようだった。路地はだんだんと坂になっていて、そのあとは階段があった。その先にある丘を目指して汗だくになる。登りきると、そこは広場になっていた。それを囲むようにして樹木が日陰をつくり、2匹の猫がのんびりと涼んでいる。

猫がいる丘の上の公園。
猫たちはこの場所がどういうところなのか知っているのだろうか。まあ、どちらでもいいのだけれど。広場は西坂の丘といった。ここには大きなレリーフが建っていて、キリスト教徒の殉教地として知られている。かつて、この丘で十字架に両手をひろげ槍を突き刺され火あぶりにされた26人がそのままレリーフになっていた。その中に、3つ、他のより背の低いものがある。彼らは、まだ12、3歳の少年だった。レリーフの前に立って、目を閉じる。太陽光線がじりじりと照りつけてきて、汗が額から流れ落ちた。海の向こう、ポルトガルからこの国にやってきた宣教師たち。そして、彼らを受け入れていった人たち。言葉も違う小さな辺境の島国で深まっていく信念。しかし、ある日を境にそれは罪とされ迫害されるものとなる。政治に裏切られたといってもいいかもしれない。

殉教の地。
このレリーフは、(西坂の丘で十字架にはりつけにされた生きた人間を火あぶりにするという)人間の行いとして信じがたい光景が、つくり話ではないことをはっきりと伝えていた。殉教の26人と、それを取り囲む人びと。興味本位でヤジをいう者。ヒステリックに罵声を浴びせる者。祈る者。泣く者。あざける者。そして、彼らのように殉教の勇気がない弱虫の者。そこにはいろいろな声と視線があったのだろう。しかし、死に直面した26人は、決して悲鳴をあげたりはしなかっただろうと思った。その後、キリストがはりつけにされたゴルゴタの丘と似ていると言われるこの丘で、さらに600人以上のキリスト教徒が弾圧されたという。真夏の青空の下、心と体がキーンとしてくる。ざわんざわんというセミの鳴き声が遠くなっていく。長崎駅を降りたときと変わらずひどく暑いはずだけれど、音も温度もない世界にただ茫然と立っている感じだった。27
(写真は世界文化遺産になった日本二十六聖殉教者天主堂。殉教地の西坂の丘に向けて建っている/2013年)

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