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公務員を辞めると決めた日

主夫の薄衣です。

私は2000年4月から、
2020年3月まで地方公務員でした。
市役所の職員です。

生まれは1974年。昭和49年。
就職氷河期世代です。
今年で50歳になります。

就職当時、公務員は大人気でした。
私も、当時80人くらいの受験者の中で、
最終合格者3人に入った時は、
何かの間違いかと思いました。

よく引っかかったもんやと思います。
一生懸命勉強はしましたが。


でも、
定年まで勤めることはできませんでした。


20年働きました。

本当にいろんな事がありました。

だから、これが原因で辞めた、
みたいな 何かコレ!
という決定的な1つが
あるわけではありません。

いろんな事の積み重ねです。

そんな私の経験談。

今回は、その中から
「辞めると決めた日」の
ことを綴ってまいります。


当時の状況

当時私は、教育委員会のある課で係長をしていました。

ある日、部下から声をかけられてビックリ!
退職届を渡されました。

課長とともに話を聞きますが、
決意が固く、翻意はないと判断。

実は彼、前にチョットやらかして、
左遷的に当課にやって来たばかりの人物。
どうもうちの役所は、
教委を島流しの場所と思っているようです。

彼が異動でやってくる時、
人事から、課長を飛ばしてなぜか
係長の私のところに電話がありました。

人事権のない私に言われても困ると
伝えても、
「上の決定だ、伝えたからな!」で終わり。

その彼が異動後2ヶ月ほどして、
年度途中に退職することになったのです。

人事からの電話

退職届を人事に送って数日。
また課長を飛ばして私のところに電話がありました。

「年度途中だから、あなたの課は1名減ね」

私は、

「あの状態で彼を異動させたのは人事です。
 人事の責任はどう考えていますか?」

と問うと、再び

「上の決定だから」でガチャン!

人事でのやりとり

あまりのことに、
人事に単独で乗り込みました。

人事はそもそも教育委員会の弱小課の言い分など、初めから聞く気はありません。ただ、人事係長自身のガス抜きのために、年下で何の権限もない私に電話をしてきただけのようでした。

言われたこっちは、黙っていられません。

でも、人事でのやりとりは、
あ~言えばこ~言う、の繰り返し。
議論や協議と言うより、
ただの口喧嘩です。

話しの本質の部分、
特に人事の責任はまったく
何も感じていない様子。

例えばこんなやりとりが。

人事「だったら誰が欲しいんだ!」
薄衣「では○○さんとか、★★さん。」
人事「そこの課がどうなると思う?
   お前のわがままでその課が潰れるぞ!
   自分勝手なことばっかり言うな!」
薄衣「誰が欲しいと聞かれたから、
   答えたまで。
   私は教委の係長なのだから、
   自分の課のことを最初に
   言うのは当然です。
   人事で責任を持って、
   うちに1名補充すべきです。」
人事「それが自分勝手だと言っている」

こんな感じで、
相手は言葉尻を捉えるばかりで、
さっぱり話が進みません。
そんな時、薄衣は

「そんな扱いでは、
 一生懸命頑張っている
 うちの職員達が
 潰れてしまいます。」

と言うと、人事係長から

「なんやお前ら。
 24時間365日働いてから
 言ってんのか?」

との返しが。
その横では、
総務課長がヘラヘラ笑っていました。


夜 自宅にて

この日の夜、帰宅して
人事でのやりとりを
妻に話しました。

すると彼女がいきなり

もういいよ、辞めなよ

と言うのです。

ここが、私にとっての限界。
それを私よりも先に、
妻が分かっていたようです。

それまでも、
本当にいろんな事がありました。

妻の一言で、
私は肩が軽くなったような、
救われた気がしました。

そしてこの日が、私が
20年勤めた職場を辞めると決めた日です。

その年度の残りの期間、
1名減の状態で頑張りました。

でも、年度途中で辞めた部下、
そして私、ほか同僚1名、
計3名がこの年退職しました。

たった5名しかいない課なのに。




振り返ると

2020年当時、
まだ私の職場では「辞める」ことが珍しかったです。

病気で退職を余儀なくされるとかではなく、
もちろん定年でもない。
40代半ばのおっさんが、
突然の「普通退職」。

今思えば既に病んでいたとは思いますが、

ともかく、
通院も何もしていない、
ハタから見ると元気な中年男が辞める。

前例はありませんでした。

なので、私は自分を
小役人界の野茂と称しています。

MLBで投げるため、
海を渡った最初の侍
野茂英雄さんになぞらえています。
(マッシー・ムラカミさんは
脇に置かせて頂きます。)


そして今、
私の後に続く中年たちの多いこと。

誰も私に続いているとは
思っていないでしょうけど、
毎年コンスタントに
2~3人は辞めているようです。

事務職が全部で200人チョットの、
零細自治体の我が社にしては、
多いと感じています。

私が彼らに選択肢を見せることが出来たか。

その後主夫になり、
まさかの鬱になり・・・
は予定外でしたが・・・

辞めた皆さんが、
せっかく辞めたんだから
これからは元気に楽しく
暮らして欲しいと願うばかりです。


そして何より、
思い返せば返すほど、
私は妻に大感謝ですね。

私が家庭に入る道を示してくれました。
私の出来ないことを分かってくれていました。

私は今も、出来ないことだらけです。
でも家族のため、自分のため、
少しずつ自分に負荷をかけ、
家事に勤しんでいます。

20年間住民のために働きました。
これからは家族と、自分のために頑張ります。

まずは節約から。
ファイト!俺!

最後は独り言で恐縮です。

これからも、公務員時代の経験談を
時々載せていこうと思います。
ただの愚痴にならないよう
気をつけます。

どうぞお付き合いください。


今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。


タイトル画像はメイプル楓さんから。

小役人時代の薄衣を思い出しました。
ありがとうございました。

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