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専業主夫の49歳が精神科病院に入院したときの話(1)いきなり入院!

簡単な自己紹介

はじめまして。薄衣(うすい)です。
昭和49年(1974)生まれの現在49歳。
今思うと、2023年は【49】という数字がとても身近にありました。

現在は専業主夫です。
以前は地方公務員として20年間勤めました。
家族は妻、息子(6歳)、猫と私です。

ここでは、私薄衣が50日間精神科病院に入院した時の出来事を中心に、そこでの実感や衝撃(私には強すぎることがたくさんありました。)、それまでの経緯やその後の暮らしなどをお伝えしていきます。

今私は退院し、うつ病・適応障害の診断を受け通院しています。

私はそれまで精神科に行ったことがありませんでした。

気持ちがしんどくても、イライラが爆発することがあっても、手の震えが止まらなくても、腹痛や下痢、耳なりが数年続いていても、自分が未熟である、情けない、で済ませていました。なんとも昭和ですね。

今でも、辛いときに思うことがあります。
自分は「情けない」と。

それでも私という人間は今を生き、これからも生きていきたいと思っていますし、何よりまず情けない自分と「向き合い」、それを「受け入れる」事を大切に思っています。


これを読んだ皆さまで、
悩んでいる人
しんどい人
どうしたらいいか分からない人  

もし、そんな方がいたら精神科を知る
あるいは試しに受診するきっかけになれば、
また、

「お前の経験や悩みなんてたいしたことないぞ!」とか、

「こんな中年ダメ親父でも一所懸命生きているんだな」とか、

「こいつ しょうもな」

でもいいので、
読んだ方の気持ちがほんの少しでも軽くなる材料になればと願って記してまいります。

私の率直な実感は、
「受診は早いほうがいい」に尽きます。
風邪もひきはじめが肝心とはよく言ったものですね。

とはいえ、早いうちってなかなか精神科に行こうとは思えなかったりするものです。だからこそ、私のつたない経験談などが少しでもお役に立てれば、と思っています。

本稿は、あくまでも初めての通院が入院になってしまった、精神科経験の浅い私個人の実体験と感想になります。病気に対する理解が足りないこともあるかもしれません。

さらに、
私は今の今まで、物書きのようなアウトプットがとても下手です。なるべく分かりやすい文章を心がけてまいりますが、諸々、どうかご海容ください。

それでは本編に入ります。

初めての精神科

2023年のある秋の日、私は妻と息子に連れられて自宅から1時間ほどの大きな精神科病院に行きました。その日は日曜日、訪れた時間は夕方、17時過ぎ頃だったと思います。

その日のことは後でお伝えしますが、この時は妻が病院に電話しました。受診を躊躇する私に説得する妻。それを見ていた当時5歳の息子が、
「母ちゃん!父ちゃんに強く言わないの!」
と妻を一喝。

この言葉で息子に背中を押されたような、勇気づけられたような気がした私は、妻の運転する車で病院へと向かいました。

この日、お昼寝もままならず車中で寝てしまった息子。
彼を抱っこしながら、初めて訪れた精神科病院で休日外来の入り口を探し歩きました。

息が上がるほど歩いた先に、やっと発見。インターホンを押すと鍵が開き、家族3人で中へ入りました。

診察

私を診察してくれたのは2人の医師でした。
まず医師から今日起きたことの説明を求められました。医師は肯定も否定もせずに聞いています。

次いで、原因として思い当たることや、生い立ちのような人生の経緯をサラッと聞かれました。

しんどくてやっとの思いで絞り出すように話す私の横で、辛そうな顔をして頷きながら聞いていた看護師の姿が印象に残っています。

ひととおり話し終えたところで医師から、「薄衣さんは、今日入院したいですか」と問われます。私にとってはこの時が初めての精神科

いきなりの「入院」という言葉に驚きましたが、一方で家族や医師を見ていると、
これはしないといけないのかな・・・
とも思いました。

私は「正直したくはありません。でも妻や子どものことを考えると、せざるを得ないのではないか、というのが率直な気持ちです。」と答えました。

この時まだ自分では気付いていないのですが、私には「自分」がありませんでした。言われるがまま、あるいは周りが求める「正解」を探して戸惑っていたのです。

その後、
私が席を外し妻が医師と話しました。

そして医師が再び私を呼び、
「薄衣さん、今日の行為には【とても強い】死への願望がみられます。一度入院して落ち着く必要があると判断しました。薄衣さんは医療保護入院となります。これから早速病棟にご案内します。」

「ん!?保護、ですか?」と私。

この時、私はこれから自分に何が起きるのかはもちろん、サラッと簡単に話しただけの今のが診察だったのか、などさっぱり理解出来ていませんでした。

病棟の看護師を待つ間、
笑顔の息子は私に
「父ちゃん、頑張ってね」と
両手でガッツポーズを作りました。

私もこの時はほんの数日のことだろうと勝手に思っていたので、軽く「おう、ありがとう」と強がって笑顔で答えたのを覚えています。

それがこのあと、50日もの間入院することになろうとは、夢にも思いませんでした。

以下は、薄衣が起こしたこの日の行動を記載しています。
突然とても強い嫌な思いに襲われました。

読みたくない、と思った方は直感に従ってください。

どうか、飛ばしてください。




この日の出来事

オチから話すと首をつったのです。
1日で2度。もちろん2度とも失敗。
(この表現が適切かどうか分かりませんが、結果として【失敗】したおかげで今ここに居ります。)

江戸時代の武士なら、2度も自決に失敗するなど恥ずかしいことかもしれません。昭和40年代生まれの古い私も、入院当初はそんなような、【恥】という思いも確かに持っていました。死ぬことすら出来ないダメ人間、だと。

さて、
1度目は自宅にて、チョットしたことで今までに経験したことがないくらい取り乱しました。
(しかも息子から見えるところで取り乱すとは・・・と、大きな自責の念にさいなまれたのだと思います。)

これにパニクって、後は気がつくと自室にこもり、タオルを首に巻き付けてドアノブに引っかけて一気にいきました。
ところが、
そのタオルが粉々にちぎれ、落ちた私は尻を強打。大きな音で異変に気づいた息子が私の部屋の前まで来て、扉の向こうで「どうした、父ちゃん!」と叫んでいます。

意識はありましたが、苦しくてあまり声が出ません。お尻も痛いし。たしか、何度も「大丈夫」とかすれた声で言った気がします。

この時、まずいと思い、仕事中の妻に電話。
帰ってきて欲しいと頼みました。

帰宅した妻に経緯を伝え、その後数時間自宅で過ごしました。

夕方、突然2度目が訪れます。
庭で遊ぶ妻と息子を見ていたら、急に身体が動きました。
「もう、いいな・・・」
これがこの時頭に浮かんだ思いです。
なんで急にそんなことを思ったのか、
今考えても分かりません。
突然でした。

フラッと1人で宅内に入ります。
しかし、
ヘタレなダメオヤジが出てしまいます。

まず死んだ後のお漏らしを少なくしようと、トイレを済ませます。
その後2階に上がり、掃除機を見つけてコードを首に巻きましたが、ウマいこと引っかけるところが見つけられず右往左往。

つまり結果的に、
モタモタと時間をかけたのです。

ようやく、なんとか引っかけていざ吹抜けの壁を越えようとしたのですが、こんどは
「高い・・・」とビビりました。

そんな時、妻の
「何やってんの!」
と大声が聞こえ、階段を駆け上がってきたので、慌てて壁によじ登ったところ、
私の肩に妻の手が。
すんでのところで妻に引き戻され、
また尻を強打しました。



その後、妻が病院を探して連れて行ってくれたことは既述のとおりです。
本当に妻が力持ちで良かったと・・・、
そしてまた、
自分が臆病者で良かったと思っています。

それと、後日妻から聞いたのですが、妻が異変に気づいたのは、猫が何やら大騒ぎしていたから。猫に誘導されるように階段まで来てみたら、という事だったそうです。


家族みんなに助けられ、
今、なんとか生きております。

というわけで、
この後入院生活が始まるのでした。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次回に続きます。


サポートに心から感謝です。主夫、これからも書き続けます。