マガジンのカバー画像

戦国note

150
編集メンバーの価値観で記事を追加いたす 好きに記事投稿/追加とかを申請すればできるフリーマガジンです。 普通に歴史団欒を楽しみたい人もどうぞ 20人以上のメンバーを目指すぞ!
運営しているクリエイター

#江戸時代

戦国最大の謎・本能寺の変! 明智光秀はなぜ織田信長を討ったのか?

35日間の連投で、和樂webに掲載された歴史記事を中心にご紹介してきましたが、本日が一区切りとなります。本日のテーマは「本能寺の変」です。 天正10年(1582)6月2日早朝、京都本能寺にて織田信長死す。戦国最大の謎ともいえる本能寺の変で、明智光秀はなぜ、主君の信長を討ったのでしょうか。動機については古来、怨恨説が語られてきましたが、その後、野望説や黒幕存在説なども生まれ、今もなお研究者の間で議論が続いています。今回は各説のあらましと研究の最前線から、本能寺の変の真相を探る

二条城~江戸幕府の誕生と終焉を見届けた城

 京都の人気観光地の一つである二条城は、歴史上も重要な役割を果たした城です。 武家政権の長が城を構えた二条 現在の二条城ができる前にも、二条には城郭ないし武家屋敷といえる建築がありました。足利義輝の邸宅は二条古城、織田信長の京での宿所は二条新御所、豊臣秀吉の邸宅は妙顕寺城と、それぞれ別名を持ちます。二条新御所は、本能寺の変の際に織田信忠が討ち死にした場所です。  上記は、いずれも今の二条城から少しずれた場所にあり、現在は石碑が残るのみです。  現在の二条城を築いたのは、関

伊予松山城~貴重な建築が多数現存する城

 愛媛県松山市にある伊予松山城は、現存天守のある12の城のひとつです。天守以外にも残存建築が多く、21棟が重要文化財に指定されています。これは、姫路城(74件)に次ぐ日本で2番目の多さです。 重要文化財の現存天守 松山城の築城を開始したのは、豊臣秀吉に仕えた武将・加藤嘉明です。関ヶ原の合戦で東軍に与し、伊予20万石の大名となりました。嘉明が会津に移封された後、松平氏の時代に城が完成しました。親藩の普請であるため、現存天守で唯一、瓦に「葵の御紋」を持ちます。  伊予松山城の

岡山の名城・備中松山城の天守を"普段見えない角度"から見る

 岡山県高梁市にある備中松山城は、全国に12しかない「現存天守」のひとつがあることで知られています。  天和3(1683)年に修築され、明治維新以降も解体されることがなかった天守は、国の重要文化財に指定されています。また、天守の背後にある「二重櫓」も重要文化財です。今年11月4日~5日に内部が特別公開され、貴重な機会を逃さないため訪問してきました。 現存唯一の「山城」の天守 備中松山城が築かれたのは、標高430mの小松山山頂です。中世には、さらに奥の大松山に城が築かれてい

明石城「櫓特別公開」訪問記

 兵庫県明石市にある明石城は、日本100名城の一つでもあります。築城は江戸時代初期の元和5(1619)年。築城者は小笠原忠真(忠政)ですが、将軍徳川秀忠が直々に築城の命令を出しました。明石城は、西国大名への押さえとして築かれたのです。  ちなみに小笠原氏は、信濃守護を務めた家柄です。小笠原長時の代に居城の林城を放棄。その子・貞慶の代に松本城が築かれました。忠真は貞慶の孫にあたります。  忠真はその後豊前小倉に転封となり、以後は松平氏などが明石城主となりました。 現存する

赤穂城~山鹿流兵学を取り入れた個性的な城郭

 播州赤穂といえば、有名な塩の産地。そして、大石内蔵助に率いられた赤穂浪士の討ち入りが思い浮かぶでしょう。  大石の主君・浅野内匠頭の居城だったのが赤穂城です。赤穂義士ゆかりの町である赤穂市は、もちろん赤穂義士を町おこしの中心として推しています。  しかし、実は赤穂城は城ファンにとって非常に楽しめる城でもあります。  その秘密は、個性的な縄張りにあります。変形の輪郭式で、塁線が折れ曲がっている特異な形をしているのです。山鹿流兵学の祖・山鹿素行の助言を取り入れた結果、この

大坂城「櫓特別公開」訪問記

 大坂城(現在は「大阪」だが本来は「大坂」といった)と言えば知らない人はいないでしょう。町の象徴である復興天守が思い浮かびますね。  地元の人でも意外と知らないのですが、大坂城には江戸時代の貴重な建物が多く残り、13棟が重要文化財に指定されています。 大坂城「櫓」特別公開 大坂城の櫓は原則非公開ですが、時期によっては内部に入ることができます。今年8月の公開期間に地元(奈良)に戻っていたので、見学してきました。  今回公開されたのは、大手口多聞櫓と千貫櫓です。西ノ丸庭園入

皇居一般参観で江戸城を見学する

 言わずと知れた徳川将軍の居城であった江戸城。かつての本丸・二の丸・三の丸であった皇居東御苑、皇居外苑は無料で入ることができます。一方、一般参賀などの特別な機会を除いて入れない地区もあります。  平日の午前・午後には、自由には入れない地区を見学する「一般参観」が行われています。宮内庁庁舎や宮殿の他、江戸城の富士見櫓や伏見櫓といった歴史的建物も間近で見られるので、城ファンとしても見逃せない機会です。  午前の部は、9時から桔梗門の前で整理券配布が始まります。事前予約は埋まり

土浦城~低地を生かした水の城郭

 茨城県土浦市にある土浦城は、続日本百名城にも選定されています。現在城址公園になっている地域は小さいですが、かつては土浦藩の藩庁として広大な城域を持ちました。 水に浮かんだ「亀城」 土浦城は、霞ヶ浦の近くの平地に築かれた平城です。洪水の際に周囲が水に漬かっても城は水没せず、それが亀の甲羅に見えたので「亀城」という別名があるとのことです。  土浦城は15世紀に、常陸の戦国大名・小田氏の家臣によって築かれました。その後幾度かの改修を経て、江戸時代には土浦藩の政庁となりました。

大名の分け方は「親藩・譜代・外様」でいいのか

 江戸幕府を開いた徳川家康は、全国の大名を3つに分けた、と歴史の授業で習います。 1.将軍家の親戚である親藩(尾張・紀伊・水戸の御三家、会津や越前の松平氏など) 2.代々の徳川家臣である譜代大名(井伊氏、酒井氏、阿部氏など) 3.関ヶ原合戦の前後に徳川家に臣従した外様大名(島津氏、伊達氏、細川氏など)  親藩や譜代大名は要地に置かれる一方、外様大名は江戸から遠い辺境に置かれた…と習った人が多いと思います。  しかし、大名の分類に「これが正解」というものはありません。笠谷

姫路城「特別公開」訪問記

 世界遺産であり、国宝天守の一つを擁する姫路城。8月31日まで、普段公開していない場所を見学できるとのことで訪問してきました。  姫路城の天守は、主要な「大天守」の周りに三つの小天守が付属し、渡櫓で連結された構造になっています。  今回は、「乾小天守」「イの渡櫓」「ロの渡櫓」「ハの渡櫓」「東小天守」が公開されました。 上から見ると「ロ」の字をしている姫路城天守。大天守からは見えにくい「ロ」の字の内側が見られます。 乾小天守からは、普段見られないアングルの大天守を間近に

忍者たちの非常食

今日はね、忍者たちのアイデアで作られた非常食のお話だよ。 忍者は戦国時代や江戸時代に本当にあったお仕事なんだよ。敵のお屋敷の床下や天井裏なんかに何時間も隠れていて大切な秘密のお話を聞き出していたんだ。だから隠密とも呼ばれていたんだよ。スパイ活動をしていたんだね。任務中は水を飲むことも、トイレに行く事もお腹がすく事も我慢しなくちゃならなかったよ。 そんな忍者たちが考えた非常食があったんだ。ちゃんと忍法書に書いてあるよ。代表的な忍者飯を二つ紹介するね。 水渇丸っていうのはね