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精霊の王(神様や仏様が来る、その昔)

なにごとのおはしますかは知らねども
と、西行法師が「臨在感」を感じた「なにごと」
それは、神様とも仏様とも異なる
「もの」ではなかったのではないか
と思う。

日本列島は太平洋文化圏の北西端に
ポツンとかかっている三日月のように
美しく切なく見える。
メラネシアをはじめ広く太平洋諸島にみられる
非人格的・超自然的な力の観念。
精霊・人・生物・無生物・器物など
あらゆるものに付帯し、
強い転移性や伝染性がある。
この観念に宗教の起源を求める学説を
アニマティズム(マナイズム)という。
この「マナ」が「もの」→「物」と転移して
「物の怪」「物語」「物部」「もののふ」
などの言葉が生まれた。
 「こころの日本文化史」中西進著(岩波新書)

ユーラシア大陸の極東に位置する日本列島
は、大陸から神様や仏様を受け入れた。
おそらくは、
弥生時代に稲作と同時に「神様」が来て
その後に「きらきらし異神」として
「仏様」が来た。
しかし、弥生時代の前、縄文時代にも
「カミサマ」はいた。
「モノ」という霊力を宿した「カミサマ」が。

「もの」は霊力であった。
だから力として浮遊するものであり、
反面あらゆるものに宿った。
しかし、「カミ」は憑依するにしろ、
固定した格として存在した。
「カミ」という神格を、
弥生人たちは万象に与えながら、
人間を排除した。
この世界のあらゆるもの、
天象、地勢、植物、動物のすべての状態や動作に
「カミ」を感じると、
そのものを「カミ」として存在させた
にもかかわらず、
「カミ」は「ヒト」の対立概念であり、
ついに「ヒト」は「カミ」ではなかった。

天には八百万のアマツカミがいる。
大地にもクニツカミ
神木があり、
それこそ熊も「カミ」なら、
日本では狼が「オオカミ」であった。
ところが、「カミ」と「ヒト」とは別である。
古事記では、昼は「ヒト」が作り、
夜は「カミ」が作ったといい、
万葉集では「ヒト」は恋するが
「カミ」は恋をしない。
こうした垂直方の世界観は大陸的であり、
「もの」が水平型で海洋的だった
ことと対立する。

この縄文人の世界観こそが、
その後、「神様」や「仏様」や「GOD」
などを迎えても
変わることなく日本人の根底にあるのではないか
と思ったのは、
中沢新一氏の次の文章に出会ったからだ。

縄文の世界は、
現実界、想像界、象徴界の全てにわたって、
調和が保たれている。
人間の社会は自然に包み込まれ、
人間を巻き込んだその自然の奥に、
すべてを動かしている
「グレートスピリット」がいる。
それは、北方世界では熊。
南方世界では蛇の姿で、しばしば象徴される。
その熊や蛇が、人間をも包み込む自然全体の、
真実の主権者だった。
 「アースダイバー神社編」中沢新一著 講談社

聖徳太子が制定した十七条の憲法の第一条
「和を以て貴しとなす」
には、縄文の世界観が生きているのではないか。
ふと、思った。
読み進めていく。

月は生と死の調和的な変化を、
天空のスクリーンに映し出す。
生命の真っ盛りを思わせる満月の状態が
実現したばかりなのに、
早くも翌日の晩には死の翳りをあらわす。
翳りは日に日に増大していき、
ついには生の輝きを飲み込んでしまう。
真っ暗な夜空が二日ほど続く。
するとふたたび空には生の印をもった
新月が出現する。
死は生の否定ではなく、
死が生を準備し、
生は死を母とする。

どうやら、
ぼくが求める「日本人の死生観」とは、
大陸の東の果てで、
大洋の北の果てにある
三日月のような島で
縄文時代から連綿と続くもの
なのかもしれない。

そういえばバガボンドの中に、
父を亡くした子に語りかける
亡父の言葉があった。

「さびしくなったら木を見ろ
 父ちゃん きっと そこにいる
 死んだら きっと そこにいる
 木は人よりも長く
 ゆったりとした時間を生きてるから」
「もし木が 枯れて 倒れたら
 川の石を見に行くといい
 父ちゃん きっと そこにいる
 死んだら きっと そこにいる
 石は木よりももっと
 ゆったりとした時間を生きてるから」
「何も心配しなくていい
 木も石も 本当のお前を知っている
 好きなように 生きなさい」
    

ぼくも、子どもたちに、こう言いそうだ。

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