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武士道と云うは 死ぬことと見つけたり

日本人の「さようならの理」を構成する
大きな要因「武士道」
泰平の世となった江戸・元禄期に記された
「葉隠」の逆説的な生き方(死に方)の勧め。

武士がもっとも大切にした
「名」とか「恥」という倫理は
徹底して「この世」でのあり方が語られる。

武士の時代の社会は「自力救済社会」であった。
古代律令制の司法の力が衰退して、
自分の権利を守るには、自分で武力を持つ必要があった。
武士が「やられたらやり返す」のは、
そうしなければ「面子」を保つことができず
そうなれば、侮られて自分の権利を侵される。
それも、子々孫々まで。

ということを知っていたからだ。

「死ぬこと」とは、
「この世で生ききること」であり、
その「死」は
遺される者のためのもの。

そんな武士の一人、
宮本武蔵は次のような言葉を残す。

「我、神仏を尊びて、神仏に頼らず」

宮本武蔵が「独行道」に記したというこの言葉は
武士が「この世」で生ききろうとしたこと
の表れかもしれない。
そんな宮本武蔵をモデルとした
井上雄彦の「バガボンド」
人を殺し、沢山の人を殺した武蔵は
「人はなぜ生きるのか?命に価値はあるのか」
という疑問を持つ。
その武蔵に心の師ポジションの
沢庵和尚はこういう。

「自分だけのものと考えていたら、
 命に価値はない」
「自らがここにいる理由は、
 誰かが命を繋いでくれたから」
「自らが生きる理由は、何かの命をつなぐため」

だと。

「バガボンド」の中では、
「生きる」ことは「水の流れ」にたとえらる。
川の流れを見ながら、武蔵は思う。

広い川と狭い川
緩い流れと急な流れ
流れの速さや遅さを
水自身は決めていない。
川底の地形と風や外からの力に
完全に決められている。
水自身はそれに従っている。
それでいて水は水。
どこまでも水。
完全に自由。

「人の運命は完璧に決めれていて
それが故に完全に自由だ」

沢庵和尚の言葉に還る武蔵が描かれている。

日本で生まれ育ったぼくもまた
この「武士」という
日本に独特な存在
の美意識・死生観から
影響されずにはいられない。

バガボンドの中に、
父を亡くした子に語りかける
亡父の言葉がある。

「さびしくなったら木を見ろ
 父ちゃん きっと そこにいる
 死んだら きっと そこにいる
 木は人よりも長く
 ゆったりとした時間を生きてるから」
「もし木が 枯れて 倒れたら
 川の石を見に行くといい
 父ちゃん きっと そこにいる
 死んだら きっと そこにいる
 石は木よりももっと
 ゆったりとした時間を生きてるから」
「何も心配しなくていい
 木も石も 本当のお前を知っている
 好きなように 生きなさい」

バガボンド 井上雄彦

さようならの理






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