クドカン・ワールドに改めて感服させられた、ドラマ『新宿野戦病院』に心から乾杯!!
最終回ラストに向けてのたたみかけるような怒涛の展開に、終始圧倒され続けたドラマ『新宿野戦病院』がとうとう終わってしまいました。3か月間、純粋に楽しませてもらいました。
現代社会におけるさまざまな問題提起を、笑いあり涙ありのクドカン・ワールドに昇華して描かれた救急医療エンターテインメント。その世界観はまさに唯一無二でした。
コロナ禍をさりげなく描いたドラマはこれまでも数々あって、脚本家としてはこの世界中を巻き込んだパンデミックについて一度は描きたいんだな…と思いながら観てきました。
でもコロナ以降の近未来の未知のウイルスとの闘いについて描いたドラマは、今回が初めてだったのではないかと思います。
第10話は、新たな”ルミナウイルス”に翻弄される「聖まごころ病院」の緊迫した闘いの日々が描かれました。コロナ禍の頃が走馬灯のように蘇ってきて、固唾を呑んで見守った1時間でした。
感染したら家族にも会えず、亡くなっても荼毘に付されてお骨になってからしか対面できない…。志村けんさん、岡江久美子さん逝去のニュースの衝撃がしみじみ思い出されました。
未知のウイルスの治療に際しては、医療従事者の方たちにとってはまさに”野戦病院”そのものだったんだと、ドラマを通して再認識させられました。
そういえばご自身の病院の敷地内に、コロナ専用の病棟を急遽建てられた医師の方もいらっしゃいましたよね。
最終回では”ルミナウイルス”における緊急事態宣言が解除され、歌舞伎町のクラブで狂喜乱舞した人たちが跳ねたせいで床が抜け落ちる大惨事が発生。「聖まごころ病院」がケガ人たちを受け入れて、奮闘する姿が描かれました。
”アフタールミナ”に浮かれる人々の姿は、まさに”アフターコロナ”そのもの。
「聖まごころ病院」へテレビの取材が入り、ヨウコが川島官房副長官とテレビでやり合うシーンは印象的でした。岡山弁ではなく、標準語でしゃべるヨウコの姿が新鮮に映りました。
誰かがつぶやいたことが真実であれ嘘であれ、瞬く間に広がって″既成事実″のようになってしまう…。これは本当におそろしいことだと感じています。
そういえばコロナが流行り出して割とすぐのタイミングで、クドカン自身が感染してかなりネット等で叩かれていた記憶があります。
初の”医療モノ”は、そのときの苦い経験も″込み″で描きたかったのかも?と想像してみています。
ルミナはラテン語で”光”という意味。ルミナ(コロナ)があっという間に世界中に蔓延したこと、さらには今のネット社会における情報の広がり方をイメージして”光”を意味するルミナと名付けたんでしょうね。
ホームレスや外国人、トー橫キッズのような弱者たちの味方だったNPO法人「Not Alone」も、外国人を目の敵にする人々からバッシングされ、とうとう解散に追い込まれてしまいました。
その腹いせ?の気持ちもあって、ヨウコが日本の医療免許を持たずに無資格で医療行為を行ったことを密告したのがまさか舞だったとは…。
自分も人を助ける仕事をしてきたのにバッシングされ、医者は感謝されるということへの矛盾と悔しさとジェラシー。
さらには自分への誹謗中傷から世間の目をそらしたいという気持ち…。理解できなくもないですが、なんとも虚しい気持ちにもなりました。人間の”悲しき業”というやつですね。
確かに無免許で医療行為を行ったのは法律的には完全にアウト。でも目の前に死にかけた命があれば、それを救おうとするのが医者の本分。ヨウコは動かずにはいられなかったんでしょう。
日本で最初に無免許で医療行為をやってしまったときから、こういうことがいつか明るみに出ることを覚悟していたと思われるヨウコ。
最終的には逮捕されてしまったけれど「どんな命も平等に助けるのが医者の使命」という自分の信条を貫き通し、手錠をされた両手を高々と突き上げるヨウコの姿には清々しささえ感じてしまいました。それだけの強烈な魅力ある、ヨウコ・ニシ・フリーマンでした。
2年後の「聖まごころ病院」。亨が五代目院長に就任し、相変わらずバタバタした日々が繰り返されています。第四代目院長としてヨウコの写真が飾られていたのは、今にも消え入りそうだった「聖まごころ病院」に再び輝きを灯してくれたヨウコへの、感謝の気持ちからだったんでしょうか。
テレビに映し出された「国境なき医師団」のメンバーの中に、ペヤングを食べるお茶目なヨウコの姿が!なんともヨウコらしい生き様に笑いながらも感動でした。
私が第1話を観て勝手に名付けた「社会派医療ヒューマンコメディ・エンターテインメント」なドラマ『新宿野戦病院』。クドカン・ワールドに改めて感服させられました。そして、ヨウコを見事に演じきった小池栄子にも心から乾杯!!
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