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自分の人生を生きる

テレビをほとんど観なくなりました。
水曜日のダウンタウンだけは心待ちにしていて、テレビの前でスタンバイしてるのですが笑、それ以外は何曜日の何時にどの番組がやっているか全く把握できていません。
テレビを見る代わりに、本を読んだり、掃除をしたり、YouTubeで好きな人のチャンネルを観ています。

テレビを観る機会が減ったことと比例して、テレビに出ている人の名前が全くわからなくなりました。笑
それは私が歳をとって、今が旬と呼ばれるテレビに出ている人たちとは同世代ではなくなったことも大きいのかもしれません。
トレンドの洋服や流行のメイクにも興味がなくなり、自分に似合うもの、長く使えそうなものを選ぶようになりました。

少し前、とあるブランドのバッグを本当にいろんなところで見かけました。
会社のフロアでも、通勤の車内でも、インスタの中でも、みんなそのブランドのバッグを持っていて、これは壮大なドッキリなんじゃないかとすら思いました。笑
そのバッグがきっと流行っていたのかな、と今になって思います。

ブランド物を少しも欲しいと思わなくなったのも、テレビを観なくなったのと同じタイミングです。
でも20代の頃は、ボーナスをひっさげて、海外の免税店で、ブランド品を買うのが、ストレス発散になっていました。それを楽しみに仕事をしていると言ってもいいくらいに。笑

コロナが蔓延し、人と会わなくなって、私は、ブランド品が欲しくて買っていたのではなく、ブランド品を見せびらかしたかっただけだと気が付きました。

お財布やバッグや服や小物等々。
その時は気づかなかったけど、そのブランド品を自慢したかったのだと気づき、本当に惨めな気持ちになりました。
人に会う機会が減り、近くのスーパーやコンビニに行くとき、この財布じゃなくていいや、と思ったのです。より使い勝手がいい、自分のお気に入りを持つようになりました。
自分で見つけたお気に入りを持っていることの多幸感が半端ないのです。笑

自分の好きな物くらい自分できちんと分かるようになりたいと思うとともに、今当たり前だと思っている考えや思考は本当に自分の内からくるものなのか疑問が湧いてきました。一つ一つ手にとってみると、外からの影響を大いに受けていることに気づきます。


私は、社会人になったら、同じ会社で勤め上げるべきだと、ずっと思っていました。
でも社会人を10年以上続け、同じ会社に長くいることは、世の中の数ある企業の中の1社のしか知らず、その会社の中でしか通じないことを当たり前だと信じていることだと感じるようになりました。

どんな仕事をしてもいい、どこの会社で働いてもいいのに、なぜ、一つの会社で勤め上げようと思っていたのか。
それは単に周りの目を気にしてだと思います。
仕事が長続きしないと思われたくないから。

自分の人生なのに、誰の目を気にして生きているんだろうと愕然としました。

結婚だってそう。
私は独身で恋人もいないのですが、世間で言うところの婚活をし始め、街コンに行くようになりました。
楽しくて行っているわけではありません。
このままじゃいけないよなーと思って、行き始めたのです。

私は千と千尋が大好きなのですが、
ラストの方で、千尋が数匹の豚の中からお父さんとお母さんを当てるシーンがあります。

千尋は
この中にはお父さんもお母さんもいない
と湯婆婆に告げ、それは見事に的中します。

宮崎駿監督はこのシーンについて、
なぜわかるのか。
でもわかるのが人生なんですよ。
それしかないんですよ。
と言っていたとどこかで読みました。

街コンに行くと思うのです。
この中に、私の結婚相手はいない。と。笑
理由は分かりません。
でも、街コンに行くたびに、千と千尋のこのシーンが浮かんでくるから不思議です。

私って、本当に結婚したいんだっけ?とよくよく考えてみました。
これから先、大恋愛と呼ばれるような恋愛をしたいとは思っています。
でも結婚したことがないから、結婚したいのかどうかよくわかりません。笑
結婚がいいものなのかわからないのです。
私の友達はみんなみんな結婚しています。
だから結婚したいと思い、婚活をしていました。
でもみんなしている結婚によって私は幸せになれるのか、大きな疑問が湧いてきました。

周りがブランド品を持っているから、ブランド品を持っていたのと同じように、周りが結婚しているから、結婚したいと思っているのかもしれません。

好きな人もいないし、恋人もいないし、結婚していないけど、今、仕事も順調でとても穏やかに日々過ごせています。
土日は自分の好きなことをなんでもできます。
誰に気を使うこともなく、誰かに合わせることもなく。穏やかな心で。

あれ、私、幸せな状態にいる、と気が付きました。笑
ひとりぼっちで何も持っていないと思い込んでいましたが、そうではなくて、何も持ってなくてひとりでいることが、なによりも自由であって、これこそが私が望むことなのではないかと。

周りと同じような人生を歩きたいと望んでいるのは、そうすれば幸せになれると盲目的に信じているからかもしれません。

今はこれでいいんじゃないかと思えました。
私の寿命が何歳なのか分からないけど、もう人生は折り返し地点が近づいていることに気が付きました。
この長い人生を自分ひとりで歩いてきたから、これからどうしたいのか、きちんと考えればちゃんとわかると思うのです。
周りの動向がどうであっても。

自分の人生をきちんと生きようと思います。
誰かの真似をするのではなく。
誰かの意見を自分の意見だと勘違いせずに。


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